憎っくき水道屋さん、明日もまた来てね
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記事：星空志音（ライティング・ゼミ５月コース）
「うわっ、今日なの？ 当日に言われても……」
マンションのエレベーターの掲示板に話しかける。
心の内で呟いたつもりが、思わず口に出てしまったらしい。
「……そうですよね。気持ちわかります」
たまたま同じエレベーターに乗り合わせた方が、話も合わせてくれる。急な大きい独り言に驚いただろうに、それでも共感してくれたことに随分と救われた。
『水道点検のお知らせ』
この文言から始まるペラ一枚の紙には、続いて今日の日付と午前９時の文字が記されていた。
そう、水道点検があることを当日の朝に知ったのだ。
「昨日までこんな掲示あったっけ？」
「……って9時？ もうすぐじゃん！」
８時のゴミ出しの帰りに気づいたのだ。もう残り１時間もない。
「最悪だ。確か去年もお知らせギリギリだったよね……」
ぼやいたって仕方がない。刻一刻と時間はなくなる。憎っくき水道屋さんを思い浮かべながら必死で手を動かす。
その数時間後
「水道屋さんありがとう。明日もまた来てくれないかな……」
と呟いているとも知らずに。
年に１度しかない水道点検。水回りに異常がないかの確認と、排水の流れを良くするために薬剤が撒かれる。そのために必ず在宅の必要があることと、台所・お風呂・洗濯機・洗面台の掃除が事前に必要になる。
毎年憂鬱になることなのに、そんな大事なことを当日に知ることになるなんて。
滅多に来客のない我が家への訪問者。それが何を意味するかはお察しの通り。
水回りのみならず、部屋も片付けなくてはいけないのだ。
来客がないとどうしても部屋は散らかる。定期的にでも来客があれば保てるものの、そうでなければ自然と甘えが生じる。
みんなそんなものじゃないだろうか？
（あれ？ うちだけかな？ そうだったらお恥ずかしい）
頭と手をフル稼働。残り３０分を切り、この時間で出来る最大限のことを考える。台所の排水溝に手を突っ込みながら、頭の中はもうお風呂場にいる。
「お風呂場の掃除はたいてい済んでいたはずだから、目立つ髪の毛さえ取り除けばいけるはず！」
次から次へとシュミレーションしていく。
「洗面台はキレイにしていたはずだから、これで水回りは終わりよね！」
と少し余裕ぶった瞬間、突き落とされる。
洗濯機の排水ホースの周りを見て愕然とする。洗濯機を使う上で特に何の問題もないので、いつもそんなところ意識していない。想像以上の汚れ。もし気づいていなければ、これを水道屋さんに見られていたかと思うとゾッとした。
最低限のノルマ、水回りの掃除をいつもの何倍速で終え、残りの時間で散らかったものたちを見えない所に隠し、掃除機かけ。あと１分で９時。
「あっ、でも作業は９時からって書いてあった。という事は１０時や１１時の可能性もあるよね？」
何世帯も入っているマンションだ。まさか１軒目のはずが無い。
まだ余裕があるは……
「ピーンポーン！！」
９：００ちょうど。時報かの如くけたたましく鳴るチャイムに、ますます水道屋さんが憎らしくなった。
「汚い部屋ですみませんー。急に知ったものでー」
白々しい言い訳をする。そんな言い訳はきっと聞き飽きているのだろう。何食わぬ顔で
「お気になさらず。失礼しまーす」
と言うと、すぐに作業が始まる。
さっきまで凄い形相で掃除していたことを悟られまいと努めてみるが、汗だくの姿が全てを物語ってしまっていた。ただその事には一切触れず淡々と作業する。的確な仕事ぶりと優しい気遣いに溢れた水道屋さんに、少しでも憎らしいと思ってしまった自分を恥じた。
「やったー！ 乗り切ったぞ！」
時計は９：１０を指していた。
「まだこんな時間なの？」
朝から怒涛の作業量に、体感としてはもう昼近くてもおかしくなかった。いつもならダラダラしているうちに午前中が終わり、
「もうこんな時間なの？」が口癖なのに。
その日は一日がとても長かった。
いつもより随分と早くエンジンをかけられた体は、水道屋さんが帰った後も難なく家事をこなしてみせた。一旦走り始めた車は、止めてエンジンをかけ直す方が面倒なのだ。
水道点検のせいで時間は減った……はずだ。
それなのに実際にはいつもより時間が増えた。
不思議だ。
違いはいつもより早めに１つ目のスイッチを押したこと。これだけだ。それだけで多くの時間が生まれた。
しめしめ……。時間の錬金術を知ってしまった。
これで私だけ１日３０時間に……はならないかもしれないが、それくらいの効力を得た。このことを知ってから、９時までには何かをやり始めることにしている。
あなたも朝イチから水道屋さんを呼ぼう！
水道屋さんじゃなくてもいい、誰か呼ぼう！
いや、誰か呼べなくてもいい。朝イチから何か１つ手をつけよう。
それだけで一日は長くなる。時間が増える。
「水道屋さん、来ないで」って思ってごめんなさい。
あなたのおかげで時間の増やし方を知ることができました。
ついサボる私に抜き打ちで会いに来てくれると嬉しいです。
＊＊＊
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