思い出という名の隠し味
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:塩田健詞(ライティング・ゼミ5月コース)
「ガキの頃、生まれて初めて食った生クリームパンよりも。学校帰りに食った揚げたてコロッケよりも。何百倍も、何千倍も旨いのだった。――しかし、なぜこんなものがこれほど旨いのか」
花輪和一原作、崔洋一監督の映画『刑務所の中』。この一節に、私は妙に心を奪われた。
物語は、原作者が体験した獄中生活を淡々と描いている。月に6回だけ支給される昼のパン食。メニューはコッペパンに小倉あん、フルーツの缶詰、そしてマーガリン。
「小倉あんの上を妖精が舞っている」――なんて形容に、思わず笑ってしまう。しかし、同時に不思議な共感があった。
「そういえば、あの時の一杯の蕎麦も、まさにそんな味がした」
自分がここまで食べ物に思い入れを抱いたことは、今までなかった。だが、数年前、ふと立ち寄った駅のホームで食べたあの唐揚げ蕎麦だけは別だ。
プライベートで交流のある団体との共同プロジェクトを我孫子で控えていた私。
当日の昼ご飯は何にしようかと考えていたところ、ふと頭に浮かんだ。
「久しぶりに、我孫子駅のホームの唐揚げ蕎麦を食べようかな」
高校時代、同級生に付き添いで食べに行ったあの唐揚げ蕎麦。
握り拳より大きな唐揚げが、蕎麦つゆの中でじゅわりと音を立てる。つゆに染まった衣がとろけ、噛むとじゅんわりと肉汁があふれる――。そんな記憶が、なぜか急に蘇った。
夏の炎天下。我孫子駅のホームに降り立ち、自動ドアを抜けて、食券機の前に立つ。
「唐揚げ蕎麦」。迷わずボタンを押し、チケットをカウンターへ差し出す。
冷凍チルドの蕎麦がゆがかれ、湯気を立てながら丼に盛られていく。
最後に唐揚げがひとつ、どん、と載せられる。
「唐揚げ蕎麦、お待ちどうさま」
カウンター越しに差し出された一杯。
35度の猛暑日、店内のエアコンはかすかに効いているが、それでも汗が頬を伝う。
普段ならざる蕎麦を選ぶところだ。だが、この日はなぜか、この熱々の一杯が恋しかった。
この店を初めて訪れたのは、高校3年生の秋だった。その日は放課後、教室で文化祭の準備。いつもは部活動に忙しいクラスメートたちも、この日ばかりはクラスの行事に全力を注いでいた。帰宅部だった私にとって、放課後に教室で誰かと過ごす時間は珍しく、少しだけ浮き足立っていた。
作業が一段落した頃、サッカー部のクラスメートが声をかけてきた。
「我孫子の唐揚げ蕎麦、食べに行かない?」
その誘いに、なんの迷いもなく頷いた。
帰宅部の放課後に、はじめてできた“予定”だった。
我孫子駅のホームに降り立ち、蕎麦屋の食券機で600円を投入。迷わず「唐揚げ蕎麦」のボタンを押し、カウンターに券を差し出す。
丼を受取りそのまま店内で食べようとした私に、彼はこう言った。
「カウンターで食べるんじゃないんだよ。夜風を浴びながら食うのが美味いんだよ」
言われるがまま、丼を持ってホームに出る。
11月の夜風が顔に触れ、少しだけ身震いした。
その寒さに抗うように、湯気立つ蕎麦を啜る。
ふわっと広がるつゆの香り。
握り拳ほどの唐揚げは、つゆに浸すと衣がほどよくふやけ、鶏の旨味と絶妙に調和する。
淡白な唐揚げだが、まるで「つゆに浸す前提で作られた料理」のようだった。
その時、私は「味」だけではない、時間と空間ごと記憶に刻まれる食の体験があることを初めて知ったのかもしれない。
あれから10年以上の時が経った。今の私は、自分の力でお金を稼げるようになった。15,000円を超えるコース料理を楽しむこともある。地上38階から夜景を眺めながら、ワインを片手にステーキを味わうこともある。たった一杯で2,500円もするような蕎麦も、「たまには贅沢しよう」と気軽に啜れるようになった。
味は、もちろん美味しい。料理人の技術も、盛り付けも、サービスも一級品だ。
だが、どこか物足りなさが残る。こんなにもお金をかけているのに、心が満たされない。
そんなモヤモヤを抱えながら過ごしていたある日、久しぶりに訪れた我孫子駅のホームで、唐揚げ蕎麦を啜った。一口すすった瞬間、身体の奥から何かが溶け出していくような気がした。
唐揚げの衣がそばつゆを吸い込み、柔らかくほぐれていく。口に運べば、あの日の風景が蘇ってくる。11月の冷たい夜風。文化祭準備を終えたばかりの、あのクラスメートの笑顔。そして、初めて「誰かと放課後にごはんを食べた」という、たったそれだけの喜び。
豪華な料理では味わえなかった“温かさ”が、そこにはあった。
それはきっと、あの唐揚げ蕎麦の中に、私の“原点”が詰まっていたからだ。
高級な店で背伸びするよりも、私はこの一杯の方が好きだ。
あの夜風と、等身大の自分で向き合えるから。
思い出という隠し味――それは、どんな一流の料理人にも、決して再現できない“私だけの味だった”。
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