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私が地中深くに埋めた子どものこと


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:岬 あん(ライティング・ゼミ夏休み集中コース)

 

嫌な子。

X上で共感と感動のコメントが飛び交ったある短編漫画の主人公に対して、私が真っ先に抱いたのは嫌悪感だった。
のちに映画化し、第48回日本アカデミー賞で最優秀アニメーション作品賞を受賞した、藤本タツキの『ルックバック』。
そこでは小学校の学級新聞で四コマ漫画を連載していた藤野が、引きこもりの少女、京本の絵の才能に感化され、画力を上げようと猛烈にのめり込む姿が描かれる。ひいてはコンビを組み、二人で漫画を共作するようになるという青春ものだ。
私は娘に誘われて訪ねた映画館のスクリーンで、動く彼女たちを見た。

藤野という少女の表情を見ると、私の肺は焼かれたようにカッとなった。
彼女のすぐ調子に乗るところ。
天狗になって大きなことを言うところ。
自慢しいなところ。
自分には価値があると信じて疑わないところ。
友人関係も勉強もそっちのけで絵にのめり込んで、みんなに忠告されても無視するところ。
挙動の全てが鼻について仕方がなかった。

傲慢。自己中。恥ずかしい。身の程を知れ。
心の中で罵倒して、娘が藤野みたいに生意気な子じゃなくて良かったと胸を撫で下ろす。
アレじゃとても愛せない。

お茶しながら正直な感想を吐くと、娘は心底驚いたように目を丸く見開いた。
「藤野ちゃん。ひたむきで、頑張り屋さんで、最高にかっこよかったよ。あたしは憧れたし、共感したけど。なんでそんなふうに思うの」
「なんでって、言った通りだよ。特にあのコンビの子……京本だっけ。彼女が美大へ行こうとするとこ。あんたにはできっこないなんて呪いをかけるの、ほんと最悪。まるで自分が彼女を生かしてやってるんだって顔して。傲慢ったらないし」
憎々しげに顔を顰めた私から目をそらし、娘はうーんと首を傾げた。
「そんなシーンだったっけ? あたし、藤野は京本を誰よりも応援してたし、認めてたと思うけど。だから負けじとひとりでも漫画を描き続けてたんじゃん?」
なに、この温度差。
私たち、全然違う映画を見たみたい。

公式HPのあらすじにも描いてあるので明かすが、順調にそれぞれの道を歩み始めたふたりは突然、取り返しのつかない悲劇に襲われる。
観客は悲劇が起きるまで、彼女たちが歩んできた人生の尊さに想いを馳せて涙するのだ。
人に壊されていいはずがない、と心に刻んで。
この映画でひとり藤野に対する憎しみに胸を焦がす私は、どう考えてもおかしかった。

「そういえばママも、あたしの小さい頃よく絵を描いてくれたよね。結構上手で、ばあばが褒めてたの覚えてる」
ミックスジュースを飲み干して、娘はガラリと話を変えた。繋がっているのは絵を描くということくらいだ。
私は桃のタルトにフォークを入れる。
「えー。あの人に褒められたことなんかあったっけ」
嘘。よく覚えてる。
娘たちが小さかった頃、私は彼女たちをよろこばせようと似顔絵や、キャラクターの絵をせがまれるまま描いてやっていた。
実家に帰省した時、いつものように描いていたら母が覗き込んできて言ったのだ。
「特徴をよく掴んでるわ。あなたこんなに描けたのね」と。

今更、何を。
はらわたが煮えくりかえった。
かつて、絵なんか描いてどうするのと嘲笑ったのは両親なのに。

父は兄に「大学ぐらい行ってかないと」とはっぱをかけたのと同じ口で、私には「なんで大学になんか行きたいんだ」と言い顔を顰めた。
片方には「なんでもいいから進学しろ。やりたいことは行ってからでも見つかるもんさ」と背中を押し、もう片方には「本当に行く必要があるのか。絵なんかどこででも描けるだろ」といっそう確固たる理由を求める。
くやしい。
やりたいことがあると伝えているのに、どんな理由も理由にならない。
夢みたいなことをと嘲笑されて終わり。

美術部の先生も期待してくれているのに。
部の友達はすでに絵の学校で受験の準備を始めているのに。
「全然うまくならない。焦る」
弱音を吐きながらも、休み時間までスケッチブックにかじり付いていたあの子の横顔が浮かぶ。
映画で見た藤野のように、ひたむきな。

皿に崩れたタルトをフォークに貼り付けながら私は鼻を膨らませた。
「でも私、絵を描くのなんか好きじゃなかった。不器用だし」
嘘つき。

「あんたたちが描いてってうるさいから、しかたなく描いてただけ」
嘘つき。

「でも、褒められたらうれしいでしょ。美大とか行きたいと思わなかったの」
うるさい。

「まさか。高校時代は一応美術部だったけどね。名前だけよ? 同級生に本の表紙絵を描いてる子がいるのが自慢」
「ええ。すごーい」
でも、あの子より全然、私の方が。

ああ。そうか。藤野は子どもの頃の私にそっくりなんだ。

才能を信じてて、誰にも負けないと思ってて、みんなからもそう見られてるってちゃんと知ってる。
一人ででもうまくなりたくて、いっぱい、必死で描いたんだ。
それでもちゃんと習いに行ってる子との差はどんどん開いて、美大を受けるチャンスもなくて。
父からは、絵なんか描いて遊ぶな。公務員試験の勉強は進んでるのか、と詰られて。

結果、私は折れた。
絵を捨てた。
もう描かない。
絵なんか好きじゃない。
卒業だ。大人にならなきゃ。

藤野も一度、絵を捨てている。
京本には敵わないと打ちのめされて、絵を描くのなんかもう飽きた。いつまでも子供みたいなことしてないで、大人にならなきゃと言い聞かせていたことがあった。

だから藤野を見ていると、深く埋めてなかったことにしたはずの私の傷が疼くんだ。

才能なんてなかったんだよ、私には。
そう思わないと生きていけない。
打ちのめされたまま、空っぽの人生を生きていけない。
いらない。あんなやつ。
あれから私は一度も、かつての私のことを振り返らなかった。

あたたかなアールグレーで喉を潤し、娘の顔も見ずに呟く。
「あなたは好きなことをしなさいね。映画の二人みたいに」
「え。あたしは漫画とか絵を描きたいと思ったことはないけど……でも、建物を作ってみたいって思ったことならある」
娘は眉を寄せた少し居心地の悪そうな顔で返事をした。
「建築?」
「そう。どっちかっていうと土木かな。工学部。まちづくり、みたいな。マイクラとか好きだし」
そんな理由か、なんて私は笑わない。
「へえ。私も、何かしようかな」
口に出してみる。娘は笑って頷いた。今度はどこかほっとしたような柔らかな笑みだ。

前言撤回する。
藤野は嫌な子なんかじゃない。
ひたむきで、とてもとても素敵な子だ。
藤野も京本も決して何者にも奪われてはならなかった。

迎えに行こう。見捨て、埋められた私を。

 


***

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2025-08-15 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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