父の愛は、茶色く、香ばしく、果てしなく
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記事:YokoKita(ライティング・ゼミ7月コース)
父の作った卵焼きの味に衝撃を覚えたのは5才の時だった。一口めを食べた瞬間、おそらく私は目を大きく見開いていただろう。そして5才児の言葉にならない言葉でこう叫んでいたと思う。
「んまーーーーーっ! (大人訳:美味い!)」
こんな美味しいものがこの世にあるのか! そして、それをどこかのスゴイ人ではなく、はたまた“魔法”などでもなく、今まさに自分の目の前にいるお父ちゃんが作り出している。幼い私にとって、そのギャップは受け止めきれないくらいの衝撃であった。
この衝撃を受ける少し前、私が5才の誕生日を迎える二か月前に、母が亡くなった。
そして、父が台所に立つことになった。
幼かった私には、母が亡くなったことがどういうことなのか、そしてその後の生活がどうなっていくのか、よく分かっていなかったように思う。でも、母は2年以上も患っていたから、父には覚悟が出来ていただろう。妻を失うこと、そしてその後、一人娘をどうにかしてこの手で育てて行くのだという覚悟が。
不慣れな感じでぎこちなく台所に立っていた父の姿と、この最初に作ってくれた卵焼きの味を、50年以上経った今でも覚えている。
小さな家の小さな台所で、ごつごつとした四角い背中を少し丸め、卵を混ぜる。スプーンに山盛りの砂糖を入れ、次いで卵液がまっ茶色になるくらい、醤油をどぼどぼと入れる。熱々のフライパンに“ざっ”と、そのまっ茶色の卵液を入れた瞬間、なんとも香ばしい甘い香りが漂う。バババっと焦げ付かないように手早く混ぜ、皿にどさっと盛り付ける。
おかずは卵焼きだけだ。しかも相当茶色い。「料理は見た目も味のうち」などといわれるが、その見た目は、良く言えばシンプル、別の言い方をすれば、雑。しかしとにかくいい匂いがする。甘い香りを纏って、ほわっと立ちあがるやわらかな湯気からして、それはもう御馳走だった。そして、一口食べれば、先に書いた通り、「んまーーーーーっ!」と幼児語で叫ぶに至る。
食べてみて分かったのだが、卵と砂糖と醤油の相性はとても良い。そして、どう見ても“目分量で適当に”入れていたにも関わらず、父の感覚が生み出したそのバランスは絶妙だった。
おそらく日によっては、他にも何かしら作ってくれたと思うのだが、父には失礼ながら、「父が作ってくれたおかず」として覚えているのがこの茶色の卵焼きしかない。ただ、父なりに、栄養のことや、小さい子が飽きないようになど、いろいろと考えて工夫しようとしていたのか、「具」のバリエーションがいくつもあった。玉ねぎ、海苔、鰹節、青ネギ、豆腐、油揚げ……。海苔の入った卵焼きなどは、茶色どころかもうそれは“真っ黒”だったが、本当に我が父は天才だと思うくらい最高にいい味を出していた。
ほどなくして、食事の面倒は近所に住む母方の祖母がすべて見てくれるようになり、父があの小さい台所にぎこちなく立つ姿を見ることはなくなった。父は、母亡きあと、父なりの覚悟をもって私との暮らしを始めたはずだ。しかし、時折様子を見に来ていた祖母は、やはり男手だけで、仕事をしながら家事をこなし、子を育てていくのは無理だと感じていたようだった。もしかしたら父は、もっと一人娘のために料理をしたかったのかもしれない。料理といえばほぼ卵焼きだけだったとはいえ、あんなに具材を変えてバリエーションを考え出していたのだ。これから卵焼き以外にもレパートリーを増やして、男手だけでも娘を育てたいと、育ててみせると、思っていたのかもしれない。
父にも何か言い分はあったのではないかと今にしては思うが、義理の母の申し出を断るという選択肢は、おそらくなかったのだろう。
かくして父の茶色く香ばしい卵焼きは、少々のせつなさを伴って、私の記憶にのみ残ることになった。
大人になってから、何度か思い出してあの卵焼きを作ってみるのだが、父の味を再現できたことが一度もない。何回作っても味が薄いのだ。実際に自分で作ってみると、あの味にするために父が入れていた砂糖と醤油は、見ていた以上に相当な量だったと分かった。濃い味付けは身体にはあまり良くないのかもしれない。しかし、あの大量の砂糖と醤油の濃い味は、そのまま父の愛情の濃さだったようにも思える。おそらく、どれだけ砂糖と醤油をつぎ込んでも、自分の手では決して再現はできない、濃い、濃い、果てしなく濃い味なのだ。
父も幾分旅立ちが早く、いっしょに過ごした時間は短めだった。今でもこんなにあの味を懐かしく思い出すというのに、父がいる間に、いかに美味しかったかを伝えることもせず、“レシピ(もしかしたら父独自のこだわりがあったかもしれない)”を聞くこともしなかったと、先に立つことのない後悔をすることもある。
自分では作れないあの茶色い卵焼きは、記憶の中だけでしか味わうことができない。が、であればこそ、そこにもれなく付いてくる父の果てしなく濃い愛情も同時に味わうことができるのだから、まぁそれもいいかなとも思えてくる。やはりもれなく蘇る、あの醤油のたまらない香ばしさと共に。
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