メディアグランプリ

一言のチカラ~扉が開きその後が変わることがある~


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:浅井ちひろ(ライティング・ゼミ7月コース)

 

この一言があったから、考え方や生き方が変わった、ということが人生にはある。スイス人・ラシェルからの一言は、間違いなくその後の私を変えてくれた。

 

大学2年生の終わり、3年生になる前の春休み。20歳の私は、友人2人と共にフランスのニースへホームステイと語学研修のために向かった。外国語学部フランス学科に所属していたため、フランスへの興味はあり、友達たちの誘いに行きたいとシンプルに思った。ただし、恥ずかしい限りなのだが、当時の私は真面目に勉強していた学生ではなかった。部活のために学校へ行って授業ではうたた寝をし、怪我で泣く泣く部活を辞めた後も勉強に身が入らず、必須の単位を落とすほど成績は酷かった。そのためフランス語の実力なんてあったものではなかったが、浅はかな私は困ったら英語でなんとかなるだろう、と思っていた。

 

飛行機でまずパリのシャルル・ド・ゴール空港へ。パリからは夜行列車でニース・ヴィル駅まで移動した。駅から出ると広がる異国の景色。朝日が差し込むフランスらしいカフェに3人で入り一息つく。「今私たちはフランスにいるんだ」という実感が湧いた。駅からは各々ステイ先へと移動する。フランス語力がとことんなかった私は、公衆電話からホストマザーに電話をかけるにも話したいことを紙に書いて読み上げた。ホストマザーはフランス語で答えてくれていたが、私が理解していないことを察知し、英語を理解できるか確認した後英語に切り替えてくれた。ほっとしたことをよく覚えている。

 

迎えに来てくれたホストマザーの車に乗り込みアパートに着くと、部屋へと案内してくれた。ベッドが2つ。窓からはニースのオレンジ屋根の景色が見える。ルームメイトがいて、彼女はスイス人、名前はラシェルというらしい。手違いで彼女はニースの空港へ私を迎えに行ってくれているとのことだった。

 

緊張とわくわくが入り混じる気持ちでラシェルの戻りを待った。出会った彼女は金髪に近く、ショートカット、目はブルーグリーンの綺麗な女の子だった。Enchantée!(はじめまして)と挨拶、自己紹介をフランス語で言った。この程度なら私でも何の問題もない。ただ、話していくとすぐに限界を感じ、英語は話せる?と彼女に聞いた。ホストマザーと同様に、英語で乗り切れるとしか思っていなかった。ところが彼女の答えは、「私、英語は話せないの」。 Quel choc ! (なんてことだ!) ラシェルと話すためにはフランス語を話すしかない。そこからフランス語修行が始まった。

 

毎晩寝る前、部屋を少し暗くしてベッドに寝転がって2人で色々なことを話した。その時間が楽しくて大好きだった。私のフランス語能力は散々なので、ラシェルが話すとすぐに「それは何て意味?」と聞いた。単語や表現の説明が都度必要となるため、1つの話題が全く進んでいかない。彼女には「ちひろが来てから寝不足だよ」と言われた。申し訳ない限りだ。ただ、フランス語をフランス語で説明するということはおそらく彼女の勉強にはなっていたはずだ。私は私で、話せなくてもなんとかなるという度胸がおかげさまでついた。自分比ではあるがフランス語も徐々に上達した。

 

ラシェルは別の日本人の女の子と元々仲が良く、私も混ぜてもらい3人で遊ぶこともあった。3人で夜ニースの旧市街へ行き、人生で初めて飲んだホットワイン。その美味しさは今も覚えている。

 

ある日、ラシェルが3人で出かけようと誘ってくれた。ただ、あいにくその日時はニースに一緒に来た友達たちとの先約があった。私は悩み結論が出せなかった。当時の私は人目や周りを気にし、断ることがものすごく苦手で自分の意見が言えなかった。そんな自分のことが嫌いだった。

 

答えを出せない私に、ラシェルは「大事なのはちひろがどうしたいかだよ。私はあなたが決めたことを尊重する。あなたが決めたことがいい」と言ってくれた。はっとした。目が覚める思いがした。私はどちらとも遊びたいけれど、先約を優先したい。一緒にニースに来た友達たちとの約束を選ぶことをラシェルに伝えると、ラシェルは「OK ! それでいいんだよ」と受け止め、私が自分で選んだことをいいと笑顔で言ってくれた。「そっか、自分の気持ちで選んでいいんだ、自分がどうしたいかが大切だ」と実感した出来事だった。

 

日本に帰ってからの私は、どうしたいかを自分の心に問いかけてから物事を決めるようになった。心に従う心地よさ。周りを気にしてブレることもまだあったが、その度にラシェルの言葉を思い出した。自分嫌いがほぼなくなるのはもっと後、ここから15年以上先のことなのだが、ラシェルの言葉が大きな転機となり変化の第一歩になったのは間違いない。

 

ラシェルは今頃どうしているだろうか。連絡先もわからず二度と会えることはないだろうが、今でもふと思い出して感謝し、彼女の幸せを日本の片隅で願っている。

 

≪終わり≫

 

 


2025-09-04 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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