ふるさとの物語を翼に乗せて
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:河本 和代 【2026年4月開講・京都/通信・2週間集中コース】
皆さまは、「香川県」と聞いて、どんなイメージをお持ちになるでしょうか。おそらく多くの方が、まず「讃岐うどん」を思い浮かべるのではないかと思います。
香川県は四国の北東にある、日本でいちばん小さな県です。「瀬戸晴れ」という言葉がありますが、雨が少ないうえに水はけのよい土地が多いのです。そうした風土により、米より麦の栽培に向いていたことや、瀬戸内海で獲れるいりこで出汁の文化が育ったこととあわせて、讃岐うどんが親しまれてきた背景になっています。
一方で、山地や大きな川が少ない香川県は、昔から水不足に悩まされてきました。そこで造られたのが農業用のため池です。県によると、その数は約12,000箇所にのぼり、多くは江戸時代に築かれました。江戸時代には年貢の基本が米だったため、米の収穫を増やすことが重視され、堤防・水路工事の技術の発達も、ため池造築に寄与しました。
わたしがため池に興味を持ったきっかけは、「ひょうげ祭り」という小さな祭りを知ったことでした。ひょうげ祭りは、高松市南部で毎年9月の第2日曜日に行われる奇祭です。「新池」というため池の造築に尽くした矢延平六(やのべへいろく・1610〜1685)の功績を今に伝える行事でもあります。
祭りの前には、地域の人や子どもたちが集まって準備をします。「ひょうげた」とは、讃岐弁で「おどけた、ひょうきんな」という意味です。当日は、大人も子どもも赤や青の色を顔に塗り、黒ひげを描くなど、歌舞伎役者のような化粧をします。さらに、棕櫚で作ったかつらやひげをつけ、そろいの法被や子どもたち手製の紙の裃をまといます。武士に扮した人は南瓜の鍔の刀を腰に差して、平六たちが築いた新池まで町を練り歩きます。最後は神輿を勢いよく池に投げ入れ、祭りを締めくくります。参加する人も、見る人も、みんな笑顔になる祭りです。
新池のある地域は高低差が大きく、水の便が悪いため、たびたび干ばつに見舞われました。讃岐藩主の命を受けた平六は、4キロほど離れた川から水路を築き、新池を完成させました。その際には、農民に松明や提灯を持たせて通りに立たせ、その灯を頼りに測量するなど、大変な苦労があったともいいます。武士でありながら農民とともに汗を流した平六は尊敬を集めましたが、のちに新池が高松城を水攻めにするためのものだとの噂が広がり、阿波藩へ追放されてしまいます。人びとは平六の功績を忘れませんでした。ひょうげな衣装や練り歩きは、平六への仕打ちへの反発でもあり、感謝とやるせなさを託して、ひょうげ祭りが生まれたと伝えられています。
この地域にある小学校では、4年生の子どもたちが地域学習の題材としてこの祭りを学び、開催に合わせて学習発表会を行います。わたしは、縁あってその練習風景を見る機会がありました。
子どもたちが舞台で練習しているのを見たとき、わたしは以前、県外の友人たちと四国を旅したことを思い出しました。地元の産業や食材、料理、土地柄の話をすると、とても喜んでくれたのです。その一方で、わたしの周りには「こんな田舎、なんにもない」と口にする人もいました。たしかに大型テーマパークやアウトレットモールはありません。でも、四国・香川には、おいしいものや珍しいものがたくさんあります。自分の暮らす町や育った文化を「何もない」と言ってしまうのは、やはり残念です。だからこそ、平六やため池のことを学んだ子どもたちが、いつか日本のどこかで、あるいは世界のどこかで、自分の町の歴史や暮らしを語っている姿を想像し、そうなってほしいと思ったのです。
本当に「何もない」土地など、どこにもないと思います。どの土地にも、受け継がれてきた暮らしがあり、土地の恵みがあり、先人たちの苦労や工夫があります。自分の住む場所について語れるということは、ただ知識があるということではありません。自分がどんな土地に育ち、どんな歴史や文化の上に立っているのかを知ることです。それは、自分の足もとを確かめることでもあります。地域のことを語るのは、生まれ育った場所に誇りを持つこととつながると思います。
そして、その言葉は世界へ向かうときにこそ力を持つのだと思うのです。広い世界に出るとは、ふるさとを忘れることではなく、自分の土地の物語を携えて他者と出会うことです。有名な都市や観光地でなくても、その土地にしかない歴史や風景、祭りや食べものがあります。そうした話は、人と人とを結び、互いを知るきっかけになります。地域を大切に思う心は、世界に向かって自分を開いていく翼になるのです。
暑さの厳しい九月はじめ、小学校では子どもたちが学習発表の劇を練習する声が聞こえてきます。その声は、平六の名を呼びながら、自分たちの地域の歴史を呼び起こしているようでもあります。子どもたちが地域の物語を受け取り、自分の言葉で語れるようになることは、郷土を愛する心を育てるだけでなく、いつか遠くの誰かに自分の町の素晴らしさを届ける力にもなるはずです。ふるさとの物語を翼に乗せるとは、自分の立つ場所を知り、その価値を信じ、それを世界へ手渡していくことなのだと、わたしは思います。
《終わり》
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