誇り高き戦士たちの物語を編む《週刊READING LIFE Vol.358「誇り高き戦士」》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:川瀬健二(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
僕と妻は、子どもを授かることができなかった。
だから、自分の手で命を育てるという、とてつもなく大変な日々を実感として語ることはできない。けれど、自分という存在が、誰かの手によって守られ、慈しまれ、育てられてきたという記憶だけは、この身体の奥深くに今も確かに残っている。
僕は四人兄弟の次男として育った。幼い子どもというのは残酷で、自分がどれだけ愛されているかを、兄弟と比較しながら測ろうとする。けれど母は、そんな子どもじみた競争を、静かに包み込むような人だった。誰かだけを特別扱いすることなく、疲れた顔を見せることもなく、四人の子どもたちに同じ温度で愛情を注ぎ続けてくれた。
幼少期の僕は、決して丈夫な子どもではなかった。小児喘息を患い、夜になると呼吸が苦しくなる。暗闇の中で息が吸えない恐怖は、子どもにとって世界そのものが崩れていくような感覚だ。そんな僕を、母は何度、夜中の病院へ連れて行ってくれたのだろう。
「あの街に良い先生がいる」
そんな話を聞けば、母は藁にもすがる思いで車を走らせた。意識が少しずつ薄れゆく中で、僕は必死にハンドルを握る母の横顔を見ていた。どうか、この子を助けてほしい。言葉にはならなくても、その祈りだけは伝わってきた。
幸い、当時は両親の実家が近かった。兄弟の誰かが熱を出すと、小児喘息を患う僕は祖母の家へ預けられた。緊急避難させられた僕にとっては、何よりも楽しみな時間だった。母より少しだけ躾が緩く、少しだけ甘い祖母の家。夕飯のあと、「今日は特別ね」と言いながら、遅くまでテレビを見せてくれる。あの時間が、僕は大好きだった。当時は、それを当たり前だと思っていた。
だが、今ならわかる。夜中に子どもを抱えて、病院へ走ることも。自分の時間を削って、孫を預かることも。それは決して平穏な日常などではなかった。自分の体力も、時間も、人生も削りながら、誰かを守り続ける行為だ。今振り返れば、あれはまさに戦いだったのだと思う。母も、祖母も、人生という長い戦場を戦い抜く「誇り高き戦士」だった。僕が喘息で苦しんでいたあの頃、母の周りにはまだ助けがあった。祖母がいた。近所の人がいた。騒がしい兄弟たちがいた。
「何かあったら預かるよ」
そんな言葉が、まだ地域の中に自然に存在していた。もちろん子育ては大変だっただろう。
だが、その戦場は決して閉ざされた密室ではなかった。誰かが気にかけ、誰かが手を差し伸べる。そんな「縁」の中で、人は子どもを育て、老いていった。
しかし、現代はどうだろう。
分厚いマンションの壁。隣人の名前も知らない暮らし。SNSには、理想化された家族の写真だけが流れてくる。プライベートな時間は増えた。親の干渉を受けず、自分たちの理想の生き方を選べるようになった。だがその代わりに、僕たちは育てる苦悩も、老いる不安も、すべて個人の責任として抱え込むようになった。熱を出した子どもを抱え、深夜に一人で泣いている母親。誰にも弱音を吐けず、働き続ける父親。かつて地域が引き受けていた痛みは、今や家庭という小さな箱の中に押し込められている。
そして、その戦いが終わった後に待っているものは、さらに残酷だ。子どもを育て上げ、家族を守り抜いた戦士たちは、ある日突然、自分の役割を失う。昨日まで、あれほど騒がしかった家。朝早くからお弁当を作り、洗濯機が回り、騒がしい声が飛び交う。その横では、犬が遊んでくれと走り回っている。食卓には、誰が最後の唐揚げを食べるかで小さな争いが起きていた。
あれほど「一人になりたい」と思っていたはずなのに。子どもたちが巣立ったあと、家は驚くほど静かになる。食卓に並ぶ皿は二枚だけになる。買いすぎた野菜が冷蔵庫に余る。可愛がっていた愛犬も旅立ち、毎日朝晩の散歩もなくなった。閉じたままの子ども部屋には、昔好きだったアイドルのポスターだけが、時間を止めたように貼られている。夜になっても、電話は鳴らない。
「今から帰る」
「ご飯いらない」
かつては、子どもの雑な電話にイライラした自分がいた。少し煩わしく感じていた、あの何気ない連絡さえ来なくなる。リビングにはテレビの音だけが流れている。けれど、誰もその内容を見ていない。湯気の立たない食卓。使われなくなったマグカップ。帰省した時に使うかもしれないと思って、未だに捨てられない子どもの布団。静かすぎる部屋の中で、人は初めて気づく。自分はずっと、「誰かのため」に生きていたのだと。だが現代社会は、その喪失を語る場所を持っていない。
「子育てが終わって、ひと安心ですね」
「これからは、夫婦でゆっくりできますね」
周囲はそう言う。けれど本当は、子どもの話題がなくなって、夫と二人きりで何を話したらよいのかわからなくなっている自分がいる。多くの人が、役割を終えたあとに訪れる「空白」に戸惑っている。誰かを守るために張り詰めていた心が、急に行き場を失ってしまうのだ。
実はこれは、女性だけの話ではない。会社という戦場で、家族を守るために働き続けた男性たちもまた、同じ孤独を抱えている。いつか、誰もが迎える定年退職の日。会社では花束が渡され、「長年お疲れ様でした」と拍手が起きる。だが翌朝から、電話は鳴らなくなる。昨日まで必要とされていた人間が、一夜にして役割を失う。仕事しかしてこなかった人ほど、その空白は深い。
朝、いつもの時間に目が覚める。だが、急いで着替える理由がない。スーツを着ないまま午前中が終わる。駅へ向かう人波を、窓からぼんやり眺める。会社では毎日のように鳴っていた電話が、家では一度も鳴らない。気づけば、一日誰とも話していない。弱音を吐く場所もない。地域との接点がなく、今では知っている人も少なくなった。地域でも、家庭でも、自分の居場所がわからない。男性の孤立死が女性より圧倒的に多いという現実には、こうした背景があるのだと思う。
そして僕たちは、ここで目を逸らしてはいけない。孤立死という現実だ。誰にも看取られず、一人で亡くなっていく人々。統計上では「社会問題」の一行として処理される。だが、その数字の一つひとつの裏には、誰かを必死に守り抜いてきた、一人の戦士の人生がある。
深夜の病院。苦しかった家計。飲み込んだ涙。あの時言えなかった本音。そうした人生の記憶が、誰にも受け取られないまま、部屋ごと片づけられていく。思い出のアルバム。使い込まれたエプロン。子どもの身長を記した柱の傷。退職の日にもらった花束の写真。その人が生きてきた証が、処分品という言葉で運び出されていく。
僕は思う。これは単なる孤独な死ではない。社会との繋がりを一本ずつ断たれ、人生の物語を誰にも継承されないまま終わる、現代における戦死なのではないか。仏教には「縁」という考え方がある。人は一人では存在できない。無数の繋がりの中で、生かされている。これを「重々無尽」という。互いに関わり合って存在しているという宇宙の真理を説いていて、日常のささいな出来事や出会いも、過去からの無数の連鎖によって成り立っているという意味だ。
四人兄弟の次男として、母に、祖母に、地域に守られていた僕の幼少期は、まさに「縁」の中にあった。しかし現代社会は、その糸を一本ずつ切ってきた。効率、自由、あるいは合理性。その名のもとに、誰にも頼らず生きることを理想化しすぎたのかもしれない。だが本来、人はそんなに強くない。
そんな今だからこそ、物語が必要なのだと思う。それは単なる思い出話ではない。ましてや、綺麗に編集された成功談や自伝でもない。本当に大切なのは、その人が人生のどこで傷つき、何を守ろうとして、どんな夜を越えてきたのかという「生き抜いた痕跡」そのものだ。子どもが高熱を出し、明け方まで眠れなかった夜。夫婦で何度も衝突し、それでも翌朝には弁当を作った日。仕事を辞めた夫が、リビングで黙り込んでいた時間。親の介護に追われ、「もう無理だ」とトイレで独り泣いた瞬間。人生とは、本来そういう名もなき断片の積み重ねでできている。
だが、現代社会はそれを記録しない。履歴書にも残らない。KPIにもならない。もちろん、表彰もされない。だから、多くの人は、自分の人生を「何者にもなれなかった時間」だと思い込んでしまう。でも、本当にそうだろうか。僕はむしろ、誰にも評価されなかった時間にこそ、その人の尊厳が宿っている気がしている。だから「物語を編む」とは、過去を美化することではない。バラバラになっていた人生の断片をもう一度拾い集め、「あなたは確かに、誰かを守り、愛し、生き抜いてきた」と、社会が受け取り直す行為なのだ。
それは記録ではない。救済でもない。失われかけた人生の意味を、もう一度この世界へ結び直す仕事だ。僕は最近、物語とは手紙ではなく、編み物に近い気がしている。手紙は、一人から一人へ届く。だが編み物は、無数の糸が絡まりながら形になっていく。親の言葉。失敗した経験。誰かに救われた夜。言えなかった後悔。人生とは、そういう断片を編み続ける営みなのだと思う。しかも編み物には、「ほつれ」がある。間違える。結び直す。また、やり直す。でも、その不完全さこそが人間らしさになる。だから僕たちに必要なのは、完璧な人生や美しい物語ではない。
「あなたは、どう生き抜いてきたのですか?」
そうやって互いの物語を聴き合える社会が必要なのだと思う。孤立を防ぐ最後の力は、医療や介護の制度だけではない。もっと言うと、人生の物語を語る行為が、緩和ケアや終末期医療の現場で注目されている。ナラティブアプローチは物語療法とも呼ばれ、病気や悩みを単なる医療データや障害として捉えるのではなく、患者自身の「人生の物語」として傾聴し、その人独自の意味付けや価値観を尊重するアプローチだ。このナラティブの手法を終末期ケアに特化させたものが、ディグニティー・セラピーだ。カナダの精神腫瘍学者ハーヴェイ・チョチノフ博士によって開発された心理的ケアの手法で、尊厳療法とも呼ばれている。患者自身の尊厳を高め、人生の意味を再確認させ、愛する人へ想いを伝えることで心の安らぎをもたらす。この2つのアプローチに共通しているのは、自己肯定感を回復させ、問題や苦難に直面する中で新たな希望を見出す「物語の力」を利用する点だ。
「あなたの人生を、聴かせてください」
すごく簡単に言うと、その一言なのだ。自分の物語を語ることが、実は未来の自分自身を救うことにも繋がっている。子育てに疲れている人。介護に悩んでいる人。仕事を失い、自分の価値がわからなくなっている人。そういう人たちに今、本当に必要なのは「正しい答え」ではないのかもしれない。
「私も同じだったよ」
そんな、誰かの人生からこぼれ落ちた、生身の言葉なのだと思う。物語を遺すことは、命を繋ぐことだ。孤独に漂っていた人生を、もう一度「縁」の中へ結び直すことだ。想像してみてほしい。いつかあなたの孫が、目にすることができなかった曾孫が、この物語を目にする日を。
「おばあちゃんって、こんな人だったのね」
「こうやってパパを育てたなんて、知らなかった」
「おじいちゃんは、こんな時代を生きたのね」
親の背中を見て育つと言うが、彼らが子どもたちに見せていたのは断片的な一部で、その裏にもう一つの物語があったことに気づかされる。家系図からは決して読み取れない物語を知った時、誰に言われなくてもその時代を生き抜いたことへの尊敬と、自分にバトンをつないでくれた感謝が芽生えてくる。
今日は母の日。僕はカーネーションを見つめながら、祖母を思い、年老いた母を思う。
「お母さん、おばあちゃん、あなたの戦いは、僕の中に生きています」
その言葉を、感謝だけで終わらせてはいけない。彼女たちが遺してくれた智慧や優しさを、次の世代へ手渡していくこと。それが、今を生きる僕たちの役割なのかもしれない。
もし今日、あなたの身近にいる「戦士」の声を、少しだけ丁寧に聴くことができたなら。母でもいい。父でもいい。祖父母でもいい。あるいは、会社で黙って働き続けてきた誰かでもいい。相手の人生に、少しだけ耳を澄ませてみてほしい。
「最近どう?」
その一言だけでもいい。不器用なあの人は、こう言うかもしれない。
「なんだよ、急に」
「別に変わらないよ」
最初はそんな答えしか返ってこないかもしれない。けれど、その奥には、長い時間をかけて積み重ねてきた、その人だけの戦いが眠っている。あなたが本気で耳を傾けた時、人は少しずつ、自分の物語を語り始める。そして不思議なことに、人は自分の人生を語り直すことで、もう一度尊厳を取り戻し、生き直すことができるのだと思う。その時間は、相手を救うだけではない。未来のあなた自身を支える、生きる力にもなっていく。
そしていつか、あなた自身が孤独に飲み込まれそうになったとき。今日誰かから受け取った物語が、今度はあなたを静かに支えてくれるはずだ。人は、独りで生き延びることはできない。だからこそ僕たちは、物語を編み続けなければならない。誇り高き戦士たちが、生き抜いてきた証を絶やさないために。
≪終わり≫
❒ライタープロフィール
川瀬健二(かわせけんじ)『READING LIFE編集部ライターズ倶楽部』
1898年創業の印刷会社にて4代目社長を12年間務め、現在は取締役会長。2027年新会社設立に向け、鎌倉の寺院に住みながら仏教哲学を勉強する日々。古くから伝わる生活の智恵、エシカルな暮らし、モノや想いの記憶を次世代へ繋ぐ事業を通じて、誰もがやさしく豊かに生きていける地域社会の実現を目指して奮闘している。また「サステナビリティ × 仏教哲学 × CSV(共通価値の創造)」をテーマに、企業の存在意義を再編集する独自のアプローチに取り組んでいる。
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