AIに代筆させた社長の誤算
~ 効率化の裏で消えていく『信頼の体温』~
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:奥野実羽心(ライティング・ゼミ 2026年4月開講・京都集中コース)
人と人とを結びつけるものってなんだろう。
仕事をする仲間どうしや、サービスを提供する側と提供される側の間柄だったとしても、心が通っている方が結びつきは強固だ。
「心が通い合う」というのは、“好き”かどうかではなく、“信頼できる”状態を育んだ結果ではないだろうか。
「離職者が多いから、なぜ辞めるのかの分析をしたいので、ストレスチェックをしたい」という企業様をご紹介頂いた。初めてご挨拶に伺うと、昭和に立てられた雰囲気の建物があり、受付に行くと、その奥には広いオフィスと、パソコンがずらりと並んでいた。社長室は広々としていて、商品や症状が飾られている。
「どうぞ!今日はよろしくお願いします」
と、気さくに迎え入れてくれた社長は、スラっとしたスーツの長身の男性だった。笑顔がとても印象的だったが、優しい笑顔というより、ハツラツとした元気な印象の笑い方に感じた。
「奥野といいます。今日はどうぞよろしくお願い致します」
素敵な社長室を眺めつつ、席についた。
挨拶や自己紹介をし、話の本題に入る。
「最近辞める人が立て続けで、対策をしようと思っている。ストレスチェックをしたら、原因が分かるかな?」そんな内容だった。
ストレスチェックは、辞めていった原因が分かるものではない。任意でアンケートを行い、従業員全体のストレス原因や、身体症状、人間関係での不安があるかどうかが分かるものになっている。ストレスを抱えている状況を個人レベルで確認できるのは本人だけであって、職場には全体感や部署ごとの特徴しかわからないのだ。
そのことを説明した上で話し合った結果、ストレスチェックを活用してみようという話になった。社長はとてもポジティブで、「まずはやってみよう!」という挑戦心があるように思えた。
結果、1年目は回答率がとても低かった。今までやったことがないストレスチェックは、従業員からすると「回答したらどうなるんだろう」という不安も大きく、任意であるため、回答率が少なくなりやすい。そして、誰がその結果を管理しているのかも不安要素になりやすい。
そこで、実施者の私が、全社員の健康面談を行い、身体と心の状況を言葉にしてもらうカウンセリングも行った。現状を軽くヒアリングしながら、私との信頼関係を築き、社内に安心領域を作ることが目的だ。信頼してもらうことで、ストレスチェックの回答率も、回答の精度も上がる。実際、2年目に実施したところ、回答率が58%から62%へ上昇した。回答内容も、1年目よりも2年目の内容の方が、面談で聴いた実態に近い内容になった。
2年目のストレスチェックの分析結果をお渡しした際に、社長の気になる言葉を聴いた。
「仕事用のチャットで、私のアカウントからAIが返答するときもあるから、私自身の言葉じゃない時があるということを、伝えておかないといけないな」
正直、それを聴いた瞬間、合理性の盲点に感じた。
チャットのレスポンスを早めるために、AIを活用して代理で返答させていたようだった。それは、少しでも早くレスポンスして、業務を進めてもらうための配慮だったと思う。しかし、AIの活用についてどこまで社員と話し合ったのか、運営のしかたに不安がよぎった。
実際、最近は「AI役員」や「AI社長」の導入例が増えている。キリンHDではAI役員が忖度のない意見を言い、予定調和を壊すことで、意思決定の質を上げる効果があったそうだ。あるスタートアップで使われている「AI社長」は、社員が社長に相談や壁打ちを依頼する心理的ハードルを下げ、社長の理念が伝わりやすくなるよう活用されているらしい。これらの事例は、AIをどのような目的で使うのかが明確になっている。そして、社長と社員がその目的を理解した上で、実験的に使い始め、活用度合いを調整していると予想できる。
今回、ストレスチェックを行った企業様も同様に、AIを社員とのコミュニケーションに挟むのであれば、目的や活用法をしっかり話し合わないといけない。そうしないと、「信頼関係」という大事な繋がりが薄れてしまうからだ。社長本人のアカウントをAIが「代筆」し、それを知らない(あるいは疑いながら読む)状態は、コミュニケーションにおいて最も危険な「不信感のタネ」を植え付けることになる。更に、AIの方が社長よりも抜群な声かけや指示を出せてしまっている場合、社長への信頼感が更に揺らぐことにもなりかねない。
「社長、もしそうであれば、普段の声かけに『寄り添う』要素や、『思いやる』要素を少しだけ増やしてみてはいかがでしょうか。今回の分析では、ストレス値が高めに出ている層も、会社に不満があるわけではなく『仕事を頑張りたいけれど、壁にぶつかって疲弊している』という傾向が見て取れます。社長が自分のことを見てくれている、という実感が持てるだけで、彼らの心の持ちようは変わるはずです」
「それもそうだなぁ、そういう声かけ苦手なんだよね!ただ、気になるのは、人によって言うことを変えると、他の社員から変に勘繰られたりするかもしれないんだよなぁ……」
「いつもすごく頑張ってくれててありがとう。最近はいつもより忙しそうだけど、何かあったの?といった、心配している様子や、労う言葉をプラスしてから、いつも通りの内容を話すことで、いつもと同じ内容なのに、本人には伝わり方が変わるのでお勧めですよ」
「そうかぁ……私はそういうキャラクターじゃないから、うまくできるかわからないな……」
社長は明るくて嘘のない、さっぱりした前向きな人。だからこそ、無理に心にもない優しい言葉を並べるのは抵抗があるんだろう。なので、人事担当者さんの力も借りて、声かけを強化する流れになった。人の力を借りるのもまた、必要なことだろう。対処しようとする気持ちがあることがまず、素晴らしい。
業務に関するコミュニケーションの効率化は必要かもしれないが、ハートフルな信頼関係を生むコミュニケーションは仕事においての「幸せのタネ」。仕事がうまくいかないときの助けになったり、仕事が上手く行ったときの分かち合いになる。業務を通して繋がり合っているチームなのだから、お互いにリスペクトし合える信頼関係を強固にしていってほしい。
<おわり>
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