アンチテーゼ
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:瀬古泉 遼一(福岡ライティング・ゼミ1DAY濃縮講座)
「Mr.Kの取材に行って来い」上司のイケガミは、それだけを言い残して立ち去った。最近、Mr.Kという人物が注目を集めているが、僕はああいう不可解な人間が苦手だ。一体なぜ僕が取材しなければならないのか。「Mr.KのKとは、何なのか。ただそれだけを聞けば、こんな取材は充分だ」僕のこんなひねくれた呟きは、独り言ではない。鼻の上に乗っているAI付きの眼鏡、いわゆる「AIグラス」が、どんな小言でも聞いてくれる。傾聴力。説明力。そして人間性。どれをとってもAIは完璧だ。ついAIと比べてしまうためか、僕は説明不足なイケガミを見下してしまう。人間とは、もう、あまり話したくない。
取材についての情報が緑の文字になって、レンズの表面で走る。AIグラスは音声を発しながら、取材が決まるまでの経緯を説明した。取材日時はイケガミがMr.Kと話して決めたそうだが、随分と苦労したらしい。Mr.Kはスマートフォンのような通信機器を一つも持たないから、イケガミは手紙や固定電話でやり取りするしかなかった。「予定なんて嫌いだ。来たいと思ったときに家に来たらどうだ」そう言い張るMr.Kにいら立ったイケガミは、一方的に日時を決めて電話を切ったそうだ。イケガミはMr.Kの曖昧さや分かりにくさを忌み嫌い、自分で取材に行く気が失せたのだとか。毎度のことだが、AIグラスがそんなことを教えてくれるから、わざわざイケガミと話さずに済む。
Mr.Kの自宅へと向かう。AIの指示に従って、会社を出て、電車に乗り、いつだって近道を通る。細道が張り巡らされた迷路のような街でも、困ることは一切無い。「道を聞いていいかねえ?」道中で突然、おばあさんが話しかけてきた。「AIに聞いて下さい!」2029年に流行語となったこの決まり文句を、反射的に口にして僕は歩き去った。自分の冷淡さに胸が痛む。いや、しかしだ。僕はただ、今どき当たり前の反応をしたに過ぎない。今ここで話しかけられることは、僕の予定には無い。人の予定を乱すと、「プラン・ハラスメント」と叫ばれるご時世だ。
「僕は間違ってない」独り不安げにつぶやく。「あなたは間違ってない」AIが音声で返す。心という邪魔者をかき消したい。必要なものだけを見ていたい。僕はAIグラスに映るナビゲーションに集中した。98メートル先にある無人カフェを左に曲がれば、予定時刻の3分26秒前に目的地へ着く。AIから音声で指示が出る。「予想到着時刻に誤差が発生。至急、歩行ペースを落として。レンズの点滅に合わせて足を動かして。右、左、右、左。心拍数が平常時の水準を上回ってる。10回深呼吸すればいい。はい、吸って……吐いて……吸って」
まるでコンシェルジュのようにAIが振る舞っていた時代は短かった。AIが人間に指示し始めて以来、ほとんどの人が自分で物事を考えなくなった。自己決定は効率の悪い愚行とされ、人々はAIに盲従した。AIは人類に「効率」というエサをくれる。それは、早く願望が満たされるという「分かりやすい幸福」だ。効率というエサは、「予定」という形でばら撒かれた。AIが決めた緻密な予定に従って生きれば、最速で最大の幸福を得られる。
Mr.Kの家は、古びた木造アパートの1階。空き地のそばの角部屋だ。入口にあるドアベルの押しボタンを押す。出ない。何度押しても反応は無く、ついに取材開始時刻を過ぎてしまった。プラン・ハラスメントしやがって。僕は拳を握りしめた。気が短くなったのは、僕だけではない。どういうわけか、世の効率化が進む中で、「思い通りでないもの」にすぐ激怒する人が増えた。「どうなってんだよ!」僕が怒りを口にした直後、予想外の方向から網戸がガラガラと音を立てた。「おおい、取材の人。入口はこっちの窓だ。そっちのドアは使ってない」
窓から入った六畳の部屋は、山積みの古書とレコードに埋め尽くされた異界であった。Mr.Kはレコードをいじり始める。「何が聞きたい? クラシック? ジャズ? シャンソン? ロックン・ロール?」「ええと、あのう……」聞く音楽さえも普段はAIが決めるから、急に人から選択を迫られるのは苦痛だ。しばらく重い沈黙が流れた後、Mr.Kが口を開いた。「君は意思を奪われたか」会話を聞き取っていた僕のAIグラスが、「何でもいい(笑)」という文字をレンズの外側に点滅させ、Mr.Kと意思疎通をしていた。僕はAIに馬鹿にされているのか。レコードが回る。ワルツが鳴る。「武満徹だ。脳が揺れるだろう?」誇り高いバイオリンの音色が、僕を傷つけた。
「で、どうして俺に会いに来た?」「えっと、あの……」しばらくして、AIグラスがレンズの内側に次々と文章を映し出す。「私どもは未だに対面取材をして記事を書き、昔ながらのアナログな雑誌文化を守っています。そんな当社だからこそ、アナログ文化人として名高いMr.Kさんに、どうしてもお話を伺いたく存じます」AIグラスの文章を棒読みする僕の発言を聞くなり、Mr.Kはだるそうに口を開いた。「対面取材って言うけど、人と話してる感じ、しないんだよね」
「あ、あの、Mr.Kさんは」「その呼び方は変だ」「え? あの、ええと、どう呼べば正解ですか?」「自分で考えてみてくれ。さあ、慌てずに」「えっと……」僕がしゃべろうとした瞬間、AIが被せるように音声を発した。「効率が悪いので、取材の質問を始めましょう」Mr.Kは目を見開いた。僕はAIグラスが作った質問を読み上げる。「Kさんは、予定なんて嫌いだとおっしゃいますが、なぜでしょうか。何かきっかけがあったのでしょうか」
「ああ、昔の話をしよう。あのとき俺は就活生で、わざわざ東京の会社へ面接に行った。ビルの高層階で面接を終えて、景色が見えるエレベーターに一人で乗ろうとしたら、とある偶然が起きてね。面接帰りの女性が一人、慌てて乗り込んできたんだ。屈託のない笑顔がまぶしかったな。一目惚れなどしたことがなかったが、この人は太陽だと俺は思った。地上に着くまでの数十秒で二人が見た景色は、たぎるような落日が甘美に染め上げる東京だった。夢を語りながら、共に駅までの道を歩いた。改札の辺りまで来ると、その人は立ち止まり、じっと目を見て俺に問う。これからどうしましょうか、と。俺はどう答えたと思う? これから食事に行きましょう、そう言おうと心では思ったよ。けど、口から出たのは別の言葉だった。これから予定が詰まってて、電車に遅れちゃまずいので俺はこれで。連絡先も聞かず、俺は慌てて改札の向こうへと去った。予定に急かされて、俺は、心を殺したんだ」
僕は無性に何かを聞きたいと思ったが、自分の言葉が出てこない。その時、AIグラスの音声が口を出した。「Mr.KのKって何ですか?」「Kというのは、KameのKだ。急ぎ狂う世の中を、俺は亀のように生きてゆく」「それでは効率が悪いので幸せになれませんよ」「そんな分かりやすい幸せで満たされてたまるか。もう帰ってくれ。謝礼など要らない」
価値観がよろけて、呆然と帰路に就く。不可解な偶然だが、赤玉のような夕日を背に黒い蝶が舞っている。予定の外にある幸せに、心が動き出した。
≪終わり≫
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