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お父さんは謎の人

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

記事:美枝花 (26 年 9 月ライティングゼミ with AI)

 

私は父と会話をした思い出があまりない。

 

父は35年前に、長年の病気の末、亡くなった。

享年62歳だった。

 

家では無口な人だった。だけど怖かった。

 

長女の私は、子供の頃からよく𠮟られていた。

妹と喧嘩していると、「お姉ちゃんなんだから譲りなさい!」と言われた。

 

畳の居間で食卓を囲みながら足を崩した途端、「行儀が悪い!」と、足をピシッと叩かれた。

 

家族で外出中、駅のホームで立ち食いそば屋から漂う匂いに思わず「美味しそう」と呟いたとき、「女の子がそんなところで食べるもんじゃない!」と怒られた。

 

(ただ美味しそうって言っただけなのに……)

理不尽さを感じつつ、怖くて何も言えなかった。

 

出張が多かった父が家にいない時は、私にとって天国だった。

何の気兼ねなくのびのび過ごせた。

寝転がって漫画を読んだり、好きな歌を大声で歌ったり。

だけど父が帰ってきた途端、体中に緊張が走り、息をひそめ大人しくなる私。

 

一方、妹たちには優しい笑顔を見せていた父。

父の膝に乗って無邪気に遊んでいる妹たちを少し離れたところから複雑な気持ちで眺めていた。

 

お父さん、私のこと嫌いなのかな……?

何度も思った。

 

さらに不可解だったのは、父が周囲からとても人気があったことだ。

サラリーマンでありながら、文学や芸術に造詣が深かった父の話が面白いらしく、多くの人が父の元を訪れた。

仕事場の若い後輩たちを家に招いて、よく宴会もしていた。

 

私が中学1年の夏休み、家族で父の故郷である大分の本家を訪れたとき、父は親戚中から「よっちゃん!」と愛称で呼ばれ、大歓迎された。

 

「よっちゃんはね。昔から勉強もスポーツも絵もなんでも1等賞だったんよ」と父の姉が愛おしそうに話してくれた。

 

「へ~!」と頷きながら、私はちょっと誇らしい気持ちになった。

父が褒められるのは、娘としてはやっぱり嬉しい。

 

母は父のことをこんな風に話したことがある。

「お父さんは出張にほとんど手ぶらで出かけちゃうのよ。全国どこに行っても泊めてくれる知り合いがいて、良くしてくれるから大丈夫だって。ほんと自由奔放な人なの」と。

几帳面で何をするにもしっかり準備する母からしたら、あり得ないことだったろうに、

母は笑っていた。

 

私が知らない父の顔。

謎は深まるばかりだった。

 

そんな父は、私が中学3年の夏、脳梗塞で倒れた。

母に付いて入院先を訪れたとき、父は私を見るなり「お前は帰りなさい!」と怒鳴った。どうしていいかわからず、病室の隅で母が看病する姿を押し黙って見ていた。

 

退院後、手足と言語に後遺症が残った父は、以前のように働けなくなった。

職場の厚意で在籍させてもらったが、仕事内容は簡単なものになった。

収入は激減し、住まいも一戸建てから狭いアパート暮らしとなり、母がパートに出て家計をやりくりした。

 

家にいることが多くなった父は、自由が効かない体にイライラして、ちょっとしたことで癇癪を起こし、怒鳴ることも多かった。

 

母はそんな父に動じることなく、父のリハビリに付き添い、父のために塩分控えめの料理を作り、とにかく献身的に尽くしていた。

 

私は父と微妙な距離をとりながら、母に言われるままに手伝い、長女としての役割を内心いやいや果たしていた。

 

父を中心に回る家族。高校生になった私は、家計の事情を考えて大学進学を諦めた。

仕方ないことだったが、胸の内を誰にも言えないのは苦しかった。

 

社会人になって数年経ち、多少なりとも家計を助けられるようになった。

そんな矢先、父の病状が悪化し、再入院となった。

入院先に駆け付けた私に父の怒鳴り声が飛んできた。

 

「お前は帰りなさい!」

 

またか……。

ショックだった。

何よりもショックだったのは、父に拒否されたこと以上に、私が心の中で父を拒否していることを父に見透かされているように感じたことだった。

 

帰宅し、お風呂につかりながら様々な感情が溢れて涙が止まらなくなった。

 

どうして? どうしてお父さんは……。

もう嫌だーーーーー! 

 

くしゃくしゃ顔のまま湯船に頭から沈み込み、「ぷはーっ!」と顔を上げた瞬間、言葉が降りてきた。

 

……私はどうしたいの?

 

ずっとお父さんの顔色を伺ってきた。

お父さんの言動に反応して逃げてばかりいた。

 

で? 私はどうしたいの? 

自分に問いかけた。

 

私は、私は……。

 

心の真ん中から思いが湧き上がった。

 

私は、お父さんとまっすぐ向き合いたい!

私にとって大切なお父さんなんだから!

 

決めた!

明日から私、直接、お父さんの看病をする! まっすぐ向き合う!

 

いいじゃないか。たとえお父さんが怒鳴ってきたって。

大事なのは、私がどうしたいかだ。

そして、どう在りたいかだ。

 

ザバーッ! 湯船から勢いよく立ち上がった。

 

翌日、父のいる病院に行った。

「お父さん、来たよ」

父は私をちらっと見て「お母さんを呼んできなさい!」と言った。

 

「お母さんは今、家に戻ってるよ。今日は私がここにいるから何でも言ってね!」

そう言って父のベッド脇の椅子に座った。

……。黙る父。

私はバッグから読みかけの本を取り出し、父の横で何気なく読書を始めた。

 

父の病状は思わしくなく、他の病も併発し、入院は長引いた。

家族と交替で父を見舞い、食事や歯磨き、着替えの介助、体を拭くといった世話をする日々が続いた。

 

父は頭がぼーっとするようで、ほとんど喋らなかったが、足を揉んであげながら「痛くない?」と聞くと、しゃがれたかすかな声で「気持ちいい」と言ってくれた。

 

ある晴れた午後、父を車椅子に乗せて、病院の中庭へ出た。

秋の陽が、色づき始めた樹々の葉に反射してきらきらしていた。

少しひんやりした風が柔らかく頬を撫でた。

花壇の前に車椅子を止め、父のひざ掛けを直し、その隣のベンチに腰掛けた。

ふと父が、少し上を見上げて、おもむろに何かを指さした。

口をモゴモゴさせながら何か言いたげだった。

「ん? 何か見つけたの?」と言って父の指さす方向を一緒に見上げた。

何も見えなかった。もう一度、父の顔を見た。父の眼はきらきらしていた。

それだけで胸がいっぱいになった私は、「そっか……」と言ってしばらく一緒に眺めていた。

 

その翌年の夏の終わり、父は天に旅立った。

 

あれから35年。

父とのやり取りを通して気づいたこと。

誰かの反応を気にして自分を抑えるのではなく、自分の心の真ん中に正直であること。

自分がどうしたいか。どう在りたいか。それを大切に生きたいということだ。

 

もしかしてお父さん、それを私に伝えたくてきつく当たった?

いや、さすがにそこまでして体張る? あははは。

 

やっぱりお父さんは謎の人。

 

謎だけど、大切な私のお父さんだ。

 

≪終わり≫

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