ゼミ

カカオ72%のアリバイ


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

記事:秋田梨沙(26年9月ライティングゼミ withAI)

 

みんなの引き出しの中には、小さな薬局がある。

 

午後3時過ぎ。
フロアに静かな疲労感が漂い始めると、あちらこちらからカチャリと小さな音が聞こえてくる。パソコンの画面を見つめる目がかすみ、思考が少しずつ鈍くなる時間だ。
私もスーッと引き出しを開き、小さな薬局へと駆け込む。

 

やがて、カサカサ、ペリペリ、パリパリと音がする。

 

実は課内のみんなが知っている。
いつも難しい顔をしてモニターを睨んでいる上司の引き出しには、「ポイフル」が潜んでいるということを。そのごつごつした指先が、ピンクや黄色のカラフルな小粒をつまみ出す。むすっとした横顔と、ポップなグミの色の取り合わせが可笑しくて、ため息1回くらいなら、まぁ許してもいいかなと思えてくる。

 

右隣の頼れる先輩の引き出しには、ここぞという時の逸品が入っている。ざわついた会議の後、誰かが落ち込み始めた絶妙なタイミングで、
「これ、食べる?」
と、ご当地限定お菓子をデスクの端にそっと滑らせてくれる。いつでも用意周到。一体、何種類のお菓子をストックしているのだろう。

 

弾力を使ってストレス解消する上司と、甘いお裾分けで周りをほぐす先輩。引き出しの中身は、その人が職場でどんな息継ぎをして、どんな効能を必要としているかをありありと映し出す。

 

では、私の引き出し薬局には何が入っているかというと……緑色の箱に入った「チョコレート効果 カカオ72%」である。これは絶対に譲れない。真面目な仕事に疲れてくると、引き出しをそっと引き、箱にぎっしり並んだ緑色の包みをひとつ、そっと取り出す。

 

「これは決して間食などではない。集中力を維持するための、大人の嗜みだ」
と、誰に聞かれたわけでもないのに、心の中でもっともらしいアリバイを並べ立てながら、膝の上でこっそりと包みをひらき、チョコレートを口の中に放り込む。舌の上でゆっくりと溶けていくカカオの香りに、強張っていた肩の力がじんわりと抜けていく。95%ほどストイックには振り切れず、かといってミルクチョコレートほどの甘えもない、72%の絶妙なほろ苦さ。それが今の私にはちょうどいい。

 

子どもの頃から、私の元気の源はいつだってチョコレートだった。
お買い物に付き合った日は、スーパーのお菓子売り場で「マーブルチョコ」と「ベビーチョコ」と「ツインクル」を前に、究極の三択に頭を悩ませていた。銀紙に包まれた卵型のツインクルを振って中の音を確かめるのも、透明なケースから小さなベビーチョコをちびちびと大事に取り出すのも大好きだった。けれど、一番心が躍ったのはやっぱりマーブルチョコだ。筒のフタをぎゅっと握り、いかに良い「ポンっ!」という音で開けられるかで、その日の運勢が変わるような気がしていた。

 

筒を傾けると、手のひらにザラザラと転がり出てくる、赤、青、黄色、緑のカラフルな粒。「もうすぐご飯の前だからね!」と目ざとく注意するお母さんの声を聞き流しながら、もうひと粒、もうひと粒だけ、とこっそり口に運ぶ甘美な時間。

 

あの頃から、チョコレートは、ただ甘いだけでなく、日常のルールからほんの少しだけ脱線させてくれる特別なお薬だったのだと思う。大人になった今、高らかにフタを開けて「ポンっ!」という無邪気な音を響かせる訳にはいかないけれど、仕事中にこっそり食べるチョコレートは、やっぱり、こんなにもおいしい。

 

ちょっとした「背徳感」がいいのかもしれない。
真面目に机に向かっている時間をほんの少しだけ抜け出して、こっそりチョコレートを食べるのだ。親の目を盗んで食べていた頃のように、
「本当は仕事中なんだけどね」
と、ほんの少しの後ろめたさを感じて食べるからこそ、こんなにも特別に感じるのだろう。このワクワクを口に放り込んだ時にだけ広がる、贅沢な幸せ。

 

今、少し離れた席でピンク色のポイフルを噛みしめている上司も、誰かに渡すお菓子を忍ばせている先輩も、きっと真面目な顔の下で、この「ちょっとした悪いこと」を楽しむ共犯者にちがいない。私たちの引き出し薬局に並んでいるのは、ただのお菓子ではなく、真面目すぎる日常に、小さな風穴を開けるための特効薬なのだ。

 

小さなひと粒を口に放り込んで、「よし、もうひと踏ん張りしよう」と顔を上げる。その一口がくれる魔法は永遠に変わらない。

 

ふーっと息を吐き、口の中にわずかに残ったカカオ72%をブラックコーヒーで流し込む。

ぐっと背筋を伸ばし、真っ直ぐにモニターを見つめると、後ろから「ポンっ」と誰かが背中を押してくれたような気がした。

 

≪終わり≫

 

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