鉄板ネタは、「ふんどし」
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:田中 伸一 (ライティング・ゼミ日曜コース)
「オッ、田中君、ふんどしなんだ!?」
温泉の脱衣場で浴衣を脱いだところで、取引先の社長から声がかかる。
来た来たキタ……
もう、パンツは履かない。出張だって今回からは、ふんどしで通す。そう決めた時から、こうなるのは予想していた。努めて冷静に、
「ええ、半年前からです。試してみたら、思いのほか快適で、ハマっちゃいました」
と言いながら、ふんどしの紐を解く。紺地に「勝ち虫」と呼ばれるトンボの小紋が白抜きされた、お気に入りの柄のふんどしを、無造作にカゴに突っ込む。
「なんで、試してみようと思ったの?」
風呂場に向かいながら、社長の質問は続く。
夕方5時すぎの大浴場は、がらんとしている。昼間の会合の緊張から解放されて、私もついつい雄弁になる。
……発端は、「人生はふんどし1枚で変えられる」という本の書評ブログだ。ふんどしをするようになって、うつが治り、今ではふんどしを商売にしているという話に興味を持った。
「いい」と言われるものには何でも飛びついてみる性分の私は、デパートの下着売り場にふんどしを買いに行った。
おしゃれなデザインのを2枚買って帰り、風呂上りに締めてみた。
「越中ふんどし」といって、腰で紐を結び、尻からぐるっと前へ包むような簡単なつくりだ。想像していたのと違って、ちっともエロくない。ちょっとほっとした。
その夜から一日ふんどしで過ごしてみた感想は、
「とにかく楽」
に尽きる。
締め付けられないので、夜もぐっすり眠れるし、昼間もノーパンのようでいて適度に支えられる感覚である。通気性もよい。全然疲れない。
最初はパンツと併用だった。だが、仕事帰りの疲労感が全く違うことに気づいてから、毎日ふんどしを締めるようになった……。
風呂の中で、社長にそんな話をした。
そうしたら、宴会の場で皆にバラされた。
「田中君、こう見えて、ふんどしなんだよ!」
その後は、質問攻めだ。なぜ締め始めたのか、何がいいのか、どこで買っているのか、小便はどうするのか、ポロリとはみ出したりしないのか、……。真面目な人たちなので、あからさまな猥談にはならないが、酒が進んでくると、
「どれどれ、ちょっと見せて」
などと浴衣の裾をめくってくる人まで現れた。
それから4年がたち、今では、「田中=ふんどし」という図式が定着し、親しい人が私を紹介するときは、必ず最後に
「……だけど、田中さんって、ふんどしなんだよ」
という話になる。そうすると、また同じ質問が続く。
ネタとしては、最強の部類かもしれない。みんなが興味を持ってくれる。ふんどし姿が似合うのは、天狼院店主の三浦さんみたいなマッチョな感じの人だろう。瘦せぎすで下ネタが苦手な私と、ふんどしとのギャップが面白いらしく、このネタになるとみんなが笑顔になる。
このネタは絶対ウケる。そう分かっていても、面と向かって自分から
「実は、ふんどし締めてます」
なんて、言い出せないのも事実だ。その理由を考えているうちに、昔の体験を思い出した。
31歳で転職したときのことだ。
有名な学校を卒業して、誰もが知っている会社に就職した。それを8年目で辞めて、誰も知らない零細企業に転職した。それまでどれだけ無理して背伸びしていたのか、転職してはじめて気づいた。自分の思ったことを思った通りに言っていい職場に移って、精神的には圧倒的に楽になった。転職してよかった。心底そう思ったが、
「何で辞めたの?」「もったいない」「なんで、そんな会社に行ったの?」
と、あらゆる人から言われた。
どんなに今の仕事の方が自分に合っていると言っても、なんだか言い訳みたいになる。
「いい学校を卒業して、いい会社に行く。それが幸せ」というのが学生時代から刷り込まれているから、だんだん自分でも自信がなくなってくる。
「キャリアから降りる」という決断は、間違っていたんじゃないか……。
何度も心が揺れた。でも、いまさら元には戻れない。いろいろ言われるのがイヤで、しばらくは学校時代の友人との付き合いも欠席がちになった。
ふんどしだって、同じことだ。
ほとんどの人とは違う選択をしているから、言い出しにくい。
実際は男性の下着だって、結構変遷している。いま多くの人が履いているボクサーブリーフだって、10年後にはオヤジ臭くて恥ずかしくなっているかもしれない。
ほとんどの人は、別に下着なんてどうでもいいから、何となく隣を見て、目立たないように合わせていくのが、普通なんだろう。
世の中で「普通」と言われていることと違うことをするのには、エネルギーがいる。
ふんどしを締めるのにだって、大企業を辞めるのにだって、周りの目を考えると、ブレーキがかかるのが普通だろう。
でも、みんなが隣を見て、何となく空気に合わせているだけだと、つまらない。忖度は仕事の中だけで十分だ。世間の価値観という、移ろいやすく実体のないものに合わせることで窮屈になるんだったら、たまには自分の感性を信じてもいいんじゃないか?
どうせ、自分の人生、他人様が責任を持ってくれるわけじゃない。迷惑にならないことなら、1つや2つ、他人からは理解されないことをしても、バチは当たらないだろう。
もし、一人一人が、自分の感性に正直になることを1つずつしたら、きっと世界はもっと面白くなる。
少なくとも、私のふんどしみたいな、鉄板ネタを持つ人が増えることは、請け合いだ。
一歩踏み出そうとするとき、孤立無援は心細いものだ。ちょっと変わったことをしている人は、応援してあげたい。まずは、変わったことを面白がるオジサンでありたい。そして、どうしようか迷っている人がいたら、背中を押せる人になりたいと思っている。
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