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青いペンションとフレンチと夏と


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:きくち ともこ(ライティング・ゼミ日曜コース)

 
 
「63歳でした。入院してから亡くなるまであっという間で……」
ペンションのご主人からそう告げられ、私たち夫婦は息をのんだ。
 
夏休みになると、北東北の高原にあるリゾート地に遊びに行くのが我が家の定番だった。
大規模なゲレンデ、ゴルフ場、牧場、大きなホテルを有するその高原は、四季を通じて楽しむことができる滞在型のリゾートだ。
バブルの頃はなかなか宿が取れない程の人気だったのに
 
「今は冬より夏のお客さんの方が多いくらいですよ」
 
と、苦笑いしながらペンションのご主人が教えてくれるほど、冬のゲレンデの人気は衰退してしまった。小さな子供をそのゲレンデに連れて来るのは難しく、私たち家族ももっぱら夏休みにのんびりしに訪れるくらいになってしまっていた。
 
冬に比べれば多い、といっても夏の高原もさほど混むこともなく、牧場や温泉、毎晩上がる花火やイルミネーションをのんびり楽しめる。
だから家族で毎年訪れていた。
 
特別、ホテルやペンションを決めていなかったのだけど、下の娘が1歳になるときに泊まったペンションがとても気に入った。落ち着いた雰囲気のご夫婦が切り盛りする青いペンションはそれから何年か通うことになった。
 
部屋も、食事をするスペースも、暖炉のあるくつろぎスペースもどれも心地よかった。
特に奥さんの作るフレンチが本当に美味しい。
食通でもなんでもない私たちだったけれど、地元の新鮮な食材をふんだんに使いそして素材の味を最大限に生かしたその料理が、絶品だということくらいは分かった。
 
私たち家族にとって、毎年そのペンションに遊びに行くことは本当に楽しみだった。
 
何回目かの夏休み、いつものように予約を入れ青いペンションを訪れた。
からん、とドアを開けて「こんにちは~」と声をかけるが、なかなか出てこない。
変だな?
と思っていたら、きょとんとした顔をした奥さんが出てきた。
「あれ、予約今日でしたっけ?」
という。
予約サイトからの確認メールを見てみるが間違ってはいない。
どうやらご主人が日にちを間違えてしまったらしい。
みんなで笑う。
その日の食事は出せないけれどと、恐縮されたが予約通りに泊まった。
翌日の食事はいつもに増して美味しくボリュームのあるメニューになった。
美味しかった。本当に。
 
「また来年!」そう言って別れた。
 
その翌年、東北を大震災が襲った。
青いペンションのある高原も、私たちの住む場所も幸いほとんど震災による被害はなかったのだけれど、震災の影響で勤め先の夏季休暇の予定が大きくずれ込んでしまった。
無理すれば行けないこともなかったが、高原の諸々のイベントを見ることができない。
 
娘たちが楽しみにしているイベントが見られないのであれば、と結局行くのを見送った。
行かないことで昨年の予約忘れをご主人が気にしないよう、事情を暑中見舞いで知らせた。今から来年が待ち遠しかった。
 
翌年は早めに予約を入れた。
ところが夏休みに入ってすぐの頃、電話が入った。
「親の介護が必要になってしまい宿泊を受け入れられなくなった。申し訳ないがキャンセルしてほしい」
驚いたが仕方がない。別の宿を予約し高原に行くことにした。
 
「来ることがあれば顔を出してほしい」
 
電話の際、そう言われていたので高原に着いてすぐ青いペンションに向かった。
からん、とドアを開けるといつもの穏やかな顔でご主人が迎えてくれた。
 
お茶を出していただきながら知らされたのは、奥さんが亡くなった、という事だった。
電話でキャンセルを告げる際、心配をかけまいと「親の介護」と言ったようだ。
私たちは息をのんだまま、いったいどう言葉をかけてよいのかわからなかった。
 
穏やかに話していたご主人だったが「まだ受け入れられないでいる」と言う。
具合が悪いと病院に行ったら、すぐに入院と言われた。
もう手の施しようがないほどの状態になっていて、入院から間もなく旅立ってしまったそうだ。
キャンセルの連絡をもらった時にはかなり大変な状態だったろう。
 
山岳ガイドの仕事の間、ペンションの仕事を奥さんに全部任せてしまっていた。
具合が悪いのを我慢させてしまったと、ご主人が静かに後悔の言葉を絞り出すのを黙って聞くしかなかった。仲の良い親戚が亡くなってしまったような喪失感で、私たちも辛かった。
 
ペンションはどうするのか気になり聞いてみた。
「自分は料理ができなからこのまま続けることは難しい。どうしようかまだ決めかねている」
そう言われた。惜しい気持ちでいっぱいだ。
再開したらまた必ず泊まりに来ます、と告げた。
 
寄ってくれてありがとう。
また高原には来てほしい。
 
そう言って送り出され、ペンションを後にした。
 
もう奥さんのあのフレンチを食べることはできない。
会うことも。
2年前が最後になってしまった。
去年、高原行きを見送った事が悔やまれた。
 
しばらくたってもペンションが再開した、という話は聞くことができなかった。
そしてそれから何度目かの夏休みのことだ。
 
「青いペンションが見たい。見るだけでいいから高原に行きたい」
下娘がそういう。私も高原の夏が恋しかった。家族で行くのは日程的に難しかったので下娘と2人、高原へ出かけた。
 
建物はそのまま残っているが、看板が違っていた。
人の気配がないし、ドアにはカギがかかっている。
 
どうしよう、帰ろうか。
 
そう思った時、近所の人が通りかかったので事情を尋ねてみた。
ペンションは譲り、ご主人は山岳ガイドに専念している、近くに住んでいる。
と教えてくれた。
娘が小さい時に何度も泊まりに来ていて、懐かしくて寄ってみた。
そう説明すると、
「ご主人に近々会う予定がある。よかったらメモを渡してあげる」
と、申し出てくれた。住所と一言を添えてメモを渡した。
 
ほどなくしてはがきが届いた。
山で撮った写真から山岳ガイドとして充実した日々を送っている様子がうかがえた。テレビ番組にも出るので見てほしい、とある。元気そうだ。
「みなさんの好きだったペンションはもうありませんが高原にはまた是非来てほしい」
そう書かれてあった。
 
明るい再出発をしたらしい。つかえていたものが取れた気がした。
 
青いペンションも、あの美味しい料理も、私たち家族にとって忘れることのできない優しい思い出だ。きっとこれからも、夏が来ると懐かしく思い出すだろう。

 
 
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2018-06-08 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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