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父がいなくなっても日常生活はさほど変わりはなかった


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:石原 由佳子(ライティング・ゼミ平日コース)

 
 
バリバリバリバリ……
 
ヘリコプターの飛び立つ音が、夜の闇を無愛想に切り裂いていた。
おかげで携帯電話で話している相手の声が聞こえない。しかも相手が何を言っているのかわからない。
 
私が話している相手は母親だった。父が救急で病院に運ばれ、病院の最寄駅に着いたときに電話をしたのだ。そのときに丁度よく? ドクターヘリが飛び立っていった。
 
病院に着いたときにどこに行けばいいのか聞きたかったのだが母の言葉は要領を得ず、きっと見かねたであろう看護士さんが電話を代わってくれて私に行先を示してくれた。
 
 
病院に担ぎこまれた父はすっかり弱り切った状態だった。
昼間に激しい腰の痛みに襲われ、自分で歩くことが出来なくなっていた。検査結果を聞くと胸椎の間にできた肥大化したガン細胞が神経を圧迫していた。
先日受けたPET検査の結果を待たずしての入院、手術となった。
 
CTの結果を見ているだけでも痛そうだったが、すぐに手術をしなくては命が危ない状況ではなかったので順番がどんどん後になっていった。
そして手術が始まったのが21時過ぎ。終わったのは夜中の1時を回っていた。
その日の手術は成功した。
 
すっかりぐったりした母と私だったが、父を病院に残してタクシーで帰路についた。
 
その年の1月、父の体調に異変が起きた。食べたものをすべて戻してしまっていた。自分でもビックリしたんだろうと想像がつく。
以前に下肢静脈瘤で手術をした中規模の総合病院を受診したが、「うちでは診れません」と言われ、大学病院か市民病院を紹介してもらうことになったのが2月だった。
 
その翌月の3月中旬に検査を受け、月末近くに救急で運ばれた。
そこから入院ライフを送ることになった。
 
大学から一人暮らしをしていた私は、小さいころは大のお父さん子だった。また、父も一人っ子の私を溺愛していた。しかし彼の金遣いのの荒さや自由すぎる性格で母はかなり苦労をさせられていたのを理解するようになると思春期の特有の潔癖さからだろうか、父を嫌うようになった。
 
思春期から大人になってもなかなか父を許せずにいた。ことごとく無視をする私に対して気を遣いながらも父は相変わらず私を溺愛していた。
 
入院前に離婚する! と息巻いていた両親だったが、いざ手術室に入ろうとするときに父が母に「由佳子を生んでくれてありがとう」と言った。
母に対して「ありがとう」と言った場面を私は思い出せなかった。
手術が始まってから待っている間に母は泣いた。
 
 
救急で運ばれてから2週間ほどで父は息を引き取った。
 
亡くなる前日、主治医となかなか会えなかった私は有給休暇を取り病院にいた。外来が終わるまで先生の時間が空かなかったので、本当に久しぶりに父とゆっくり時間を過ごした。
体を自由に動かすことが出来なくなった父の爪を整えてあげた。声は弱々しく聞き取りにくい。もう長くないと思った。
 
その後、主治医、副担当、インターンの先生に囲まれて今後の治療について話をした。ガンは転移をしていて手術で取り除くことは難しい。抗ガン剤を投与するか、特に治療をせず緩和ケアをしていくかの選択肢であった。
 
実家に帰り母親と話をして、私の意見で抗ガン剤を投与することにした翌日に呼び出しがあった。
 
私が病院に着いた時には父はすでに眠っていた。
 
かなり苦しんでいたらしく、見かねた母が主治医に眠らしてもらうよう頼んでいた。
主治医は「娘さんともう話すことができなくなりますよ」と言ったが、人一倍情の厚い母は父の苦しんでいる姿を見ていることが耐えられなかったのだろう。
父と話すことはもう叶わなかったが、親子3人水入らずで過ごす久しぶりの時間だった。
そして夜中の2時前に父は静かに逝った。
 
亡くなってからは葬式や手続きなどでバタバタして正直泣く余裕もなかった。
気丈だった母もすっかり弱ってしまっていた。
一通りのことが終わっても父は私にいろいろ「お土産」を残してくれていた。
独り身だった父の姉の土地問題。兄弟間で何年も揉めていた。
体が弱って運転が出来なくなっていたので友人に名義変更もせず車を譲っていた。
もちろん借金もあった。
 
1年ほどですべての問題がほぼ解決した。土地の相続問題を1年で解決できたのはとても早いことであり、ようやく落ち着くことができた。
 
そうした諸々の手続きが終わると、いつの間にか日常に戻っていった。
相変わらず私はお気楽な一人暮らしを続けている。
 
父が亡くなってから今年で3年。
ふとネットで緩和ケアをされている医師の記事を見かけた。
亡くなる前に患者の痛みを取り除くために「鎮静」をすることについての記事だった。
その医師の記事を読み進めていくにつれ、ふと涙がこぼれた。
父がいなくなっても生活はさほど変わりはなかったが、私は悲しみを抱え、消化できていなかったことに3年経って気づいたのだった。

 
 
***

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2018-06-07 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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