メディアグランプリ

遺品が教えてくれたこと


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記事:桑島あつこ(ライティング・ゼミ日曜コース)

 
 
「お父さん、癌やねんて」
父の家で食事をした日、父は玄関で「明日、雨らしいで」ぐらいの軽いテンションで言った。あまりにも、さらっと言ったので、「え? 癌って、癌? 病気の癌?」と聞き返した。
 
父は私の質問には答えず、「ワシはまだまだ死なんぞ!」と笑った。心配になり一緒に病院へ行って話を聞くと、先生は「5年生存率、80%です」と言ったので、父と一緒に「良かったな。大丈夫やん」とホッとしたことを今でも覚えている。それなのに、治療を始めて3週間後、父は帰らぬ人となった。
 
父はいわゆる頑固おやじで、威厳があり、とても怖かった。まともに話せることなどなく、大人になっても門限は9時。9時前には玄関に仁王立ちしていた。一緒に出掛け食事をするようになったのは、私が30歳を超えてからだ。怖いと思っていたのは、勝手な私の思い込みだったのか、父が年を取ったからか、この頃は穏やかな父になっていた。
 
先生に太鼓判を押されたこともあり、すっかり安心していた私は、もう父が戻ってくることのない部屋を見ても実感がわかなかった。部屋には、お父さんはちょっと外出してるけど、そのうち帰ってくるよというような温かみがあった。
 
父が亡くなりこれでもか! というぐらい泣くと同時に、涙は枯れないということを知った。だが、泣いている暇はない。数日の間に、遺品整理を終わらさなければならなかった。実家ならいつまでも荷物を置いておけるが、賃貸マンションなのですべて処分しなければならない。
 
父は昔から「物を大事にしろ」というのが口癖で、父が一人で住む2LDKの部屋は物であふれかえっていた。大切なものがあったらいけないので、一つ一つチェックしながら片付け始めた。
 
5円玉でできた五重の塔、寅年生まれだからと大切にしていた虎の置物、「幸せがやってきそうやろ」と言って、よくさすっていた黄金のえべっさんの置物。骸骨がたくさん並んだ数珠。
 
私が父に「何これ?」といって笑っていた父の宝物たち。色んな物が、主人をなくしてもなお鎮座している。捨てるのは父に申し訳ないけれど、私の家にもスペースがなく持って帰れない。そうだ、写真を撮って遺品アルバムを作ろう。一つ一つ、写真を撮った。
 
本を整理していて胸が傷んだ。「戒名のつけ方」というタイトルの本があったからだ。父は「大丈夫。まだ死なん」と笑っていたけど、自分なりに死と向き合い、戦っていたのかもしれないと思うと泣けてきた。大丈夫と笑っていたのは私を心配させないためやったんか。そんなことにも気づかなかった。
 
風水や占いの本、重曹の掃除本が出てきたのは意外だった。本の中の気になる箇所に太く赤線を引いていた。お父さんは、気になる箇所には線を引くタイプやったんや。
 
メモの束が出てきた。テレビで気になったことをメモしていたようで、ほとんどが料理のレシピだった。料理人だった父。真面目やな。メモの間に、「そんなの関係ねえ」となぐり書き。笑ってしまった。お笑い番組が好きだった父が、気になったギャグなのだろう。いつまでも泣く私に、父が「もう泣くな」と笑わせてくれたと思うと嬉しくなった。
 
私が父に送った手紙も出てきた。初めてのお給料、お誕生日、還暦、古希などに渡したお祝金。すべて手を付けずにそのまま封筒に入っていた。「お酒飲みすぎんといてや」と言って渡したが、てっきりそのお金でお酒を飲んでいると思っていた。全く使わんかったなんて。
 
父を近くに感じたり、やっぱりいないという事実をかみしめたり。遺品は私に色々と話しかけてきた。私の知らない父の姿、思いがたくさん詰まっていた。形見に一つだけ持って帰ろう。しばらく悩んで、いつも身に着けていた懐中時計をもらった。「これは、電車の運転手しか持ってないものやねん」と自慢していた。
 
整理が終わり、遺品アルバムに父の宝物、お気に入りの服や靴、読んでいた本などたくさんの写真を貼り、コメントを入れた。宝物が派手だったからか、絵本みたいにカラフルになった。
 
生前に、父ともっと話しておくべきだった。急な別れがくるとは思っていなかった。まだまだ、色々と話せると思っていた。初恋はいつだったのか。好きな俳優はいたのか。死ぬ前に食べたかったものは何だったのか。子どもの頃の夢は? 亡くなってから、聞きたいことが山ほど出てきた。父に感謝の気持ちを伝えることもできなかった。後悔の波に押しつぶされそうだった。
 
そういえば私が子どもの頃、父はお土産に絵本をよく買ってきてくれた。読んで分からないところを父に質問をすると「まずは自分で考えてみい」と言った。何を感じ取るか、とらえ方はその人次第だから面白いのだと。その時は、「教えてくれてもいいのに。けちんぼ」と思っていた。多くを語らない父だったが、遺品は父に代わって色んな事実を伝えてくれた。とても優しく、子ども思いだった。お花が好きだった。不器用で生真面目で、誤解されることもあったけど、私は父が大好きだった。
 
亡くなって6年がたつ。たまに、遺品アルバムを見ては父と対話する。1歳半の子どもに見せながら説明する。「これはおじいちゃんの宝物ばかり貼ってるねんで」。子どもは虎の置物の写真を指差しながらページをめくる。私は絵本を読むように、その時に感じたことを子どもに話す。父は遺品で私に色々と教えてくれた。
感謝でもなんでも伝えたいことは後回しにしないと決めた。私の子どもが大きくなったら父の遺言として伝えたい。

 
 
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2018-06-14 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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