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『辞表』 出世レースから溶解するミドル金融マンたち《取材ライティング・ゼミ》


*この記事は、「取材ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:金子 正道(取材ライティング・ゼミ)

『辞表』
出世レースから溶解するミドル金融マンたち

はじめに

202X年春。
「今年度中に、全行員の1/5を削減する。これにより業務全般を縦断するAI化の推進、ならびに大幅な生産性向上に努めることとする」
昨日に続き、別の大手金融機関の人員削減に関するプレスリリースである。

2018年春。
人手不足を背景とした超「売り手市場」の今日。就活生人気企業ランキング上位常連でもある大手都銀・証券・保険会社。難関、高倍率を潜り抜け、晴れて大手金融マンとなった新社会人は、その202X年には図らずも「辞表」を提出せざるを得ない試練が待ち受けているかも知れない。そして、彼らの親世代であるミドル金融マンの中にも今、「辞表」と向き合い、出すべきか出さざるべきか、と悩む者が少なからずいる。

一方、出世レースを勝ち上がってきた取締役・執行役員・幹部役職の一歩手前で、自ら「辞表」を出すミドル金融マンたちがいる。彼らは、「辞表」を前に悩んでいない。自ら動き出した(=moved)者たちだ。movedには、「心動かされる」という意味もある。

本書では、「心動かされる」ミドル金融マンたちを追ってみた。

大手証券50歳、旗艦店支店長から中小証券執行役員への転出
同業者ですらあまり聞いたことのない証券会社名。小池の肩書は「取締役東日本営業本部長」。昨年までは、誰もが良く知る大手証券会社の政令指定都市に構える旗艦店支店長であった。ここの支店長を2年も勤めれば、これまでだと次の辞令は新任取締役というのが相場である。それが自他ともに認める暗黙の会社ルールだ。そして、小池も2年しっかり勤めあげた。小池の前任支店長にも負けないくらいに。その前の2年は東京都内の支店長。さらにその前は首都圏の支店長。40代半ばから2年ずつ支店長を3店舗こなした実力の持ち主だ。
大手証券会社の支店長は、かなりの激務である。地方の政令指定都市ともなれば支店のご贔屓である多くのお客様はもとより、商工会・ロータリー・地元の老舗金融機関・そして地元メディアとの関係にも力を注ぐ。平日はもちろん、小池の2年間には正月以外の連休はなかった。最近は、土曜日でも投資セミナーと称し支店のシャッターを開けている。銀行もやるので負けてはいられない。日曜日は接待ゴルフと会合である。
小池自身、知力・体力・精神力には自信があった。おまけにこの2年は単身赴任。家族と自宅は、東京近郊である。家族とも2か月に1回会えるかどうかだ。小池がなかなか家に帰らないので、健康を心配する家族の方から出向く有様だ。小池は想う。
「次は、取締役として首都圏営業本部長あたりで家族と自宅で向き合えるかな」
2年目の半ばあたりから、うっすらではあるが願った。そして、働いた。大手証券会社の定期異動は年2回。うち、1回は取締役に昇格する辞令も兼ねている。その1回にきれいに合うように小池の異動は2年ごと繰り返されてきたのだ。

未だ10年あると読んでいた「賞味期限」
昨年の定例異動前、小池は自らの支店がある地域を統括する取締役の更に上の立場である常務から呼ばれた。支店の営業成績は順調、比較する規模の大きい支店成績にも見劣りはない。毎月のように営業成績は可視化されるので、次の新任取締役は小池に違いない、と他の幹部もうすうす認め合っていた。そして、小池自身もだ。常務からは次の内示が本題のはずだ。小池は期待に胸膨らませて常務のもとに行く。が、常務から切り出された言葉は、それを見事に裏切った。
「●●証券の取締役として東日本の営業統括をやってくれ」
その証券会社名は、小池自身聞いたことはあっても、6年にも及ぶ支店長時代、いや営業課長それ以前すら認識のない会社であった。もちろん、株式上場もしていない。
「えっ、出向ですか?」
聞こうとしたが、止めた。出向、そんなことはない。転籍である。片道切符、もう戻っては来れないはずだ。小池は瞬時に悟った。常務との一献が急に不味くなった。
正式な辞令まではあと1か月。支店長として精力的に業務をこなしながらも、小池は先ず悩んだ。辞令を断ろうか、断ったら、この会社に自分のポジションは無い。ならばどうする。『辞表』か。家のローンも残るし子ども2人はこれから大学生だ。でも、知らない会社に何故自分が?悔しい。自分が何をしたんだ?あの会社の規模からすると、収入も減る覚悟が必要だ。辞めてどうする、何ができるんだ。数日悩んでも新しい発想は浮かばなかった。それはそうだ。新入社員から30年、この証券会社だけと毎日過ごしてきたのだから。
辞令まであと2週間を切る頃に小池は自宅に戻った。奥さんに切り出した。
「来月の異動で、●●証券取締役として行けと言われた。ここが自分の最後の会社となる。取締役といっても、収入も減る」
子どもたちは二人ともクラブ活動で夜が遅い。奥さんと差し向いだ。奥さんは
「あなたはどうするの、あなたが決めることよ」
当たり前だ。奥さんのアドバイスを求めている場合じゃない。自分が決断するだけだ。
「よし、俺は●●証券に行くよ。そこで頑張る」

覚悟は出来ていた。最後の詰めは自ら腹をくくる
恒例の定期異動、小池の名前は新任取締役にはなかった。そして、横滑りの他支店の長にも本社部長にもなかった。人事からは、言われるまでもなく、辞令までは別の会社に転籍されるのでかん口令が敷かれていた。同日、●●証券の辞令が発表。ここで、小池の行き先が皆の周知となった。社内電話、会社貸与の携帯、小池自身の携帯いっせいに着信が入る。同僚からだ。小池は一切電話には出なかった。ただ、これからお世話になる●●証券の役員に電話を入れた。
「小池です。先ずはそちらに行き、引き継ぎをいたします。よろしいですね」
あとで、小池が●●証券の社長から驚かれ、しかし喜ばれたことがあった。これまで30年、大手証券の大支店長まで上り詰めた小池が、これまでの会社を優先して引継ぎを済ませてから着任するとばかり思っていたが、一時でも早く●●証券に先ず来るとは。
小池はあの2週間前、奥さんに打ち明けた時に決めていた。辞令が出たら、真っ先に●●証券に行こう。そうだ、直ぐにだ。●●証券の社長をはじめ、全役員が小池を迎えた。全国にいるはずの一人残らずの役員がだ。小池自身も驚いた。が、嬉しかった。

目指せ、大手がマネできない異色会社のキーマンに
「よし、大手証券が出来ないスピードで、ここをお客様が望んでいる新しい金融会社に変えてやろう。自分がその先頭に立とう」
あの辞令が出てから間もなく1年が過ぎる。小池は言葉を濁したが、●●証券取締役の年収は、大手証券支店長時代よりも下がったようだ。そして、単身赴任の身からは解放されたが、代わりに東日本全域への出張という毎日が待っていた。小池の●●証券での躍進は未だ表立っては見えて来ない。が、いずれ分かるだろう。小池自身が●●証券で今も走っているのだから。
小池は言う。
「自分は、あの時『辞表』を出せなかった。いや、出さなかった。もし、辞令直前まで迷い、悩んでいたら逆に『辞表』を出したかも。でも、その『辞表』は後悔したに違いない」
「同世代で『辞表』を出した同僚もいた。彼らは支店長にならなかった代わりに、周到に準備をしていたんだ。自分は毎日走っていて、準備する余裕すらなかった」
「今の30代とか40代とかの後輩と接していると、走りながらも会社以外のネットワークを活かして『辞表』を出す準備をする余裕さを兼ね備えている。話題や思考が豊富で柔軟だ。それは羨ましいし、いい事だ。自分のネットワーク、会社の同僚だけだったな」
『辞表』を出さなかったが、小池の後輩への言葉には重みが感じられた。

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