メディアグランプリ

死にたくなるほど、生きたかった。


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:雪(ライティング・ゼミ日曜コース)

 
 
もう死んでしまいたい。
そう思ったことはないだろうか。
私は、ある。死んでしまいたいくらいに自分が惨めだった時が、ある。
 
10年前、初めて一人暮らしを始めた。
生まれ育った札幌を離れ、福岡に単身で引っ越した。
自分の夢を追うために。
「シンガーソングライターになりたい」という、夢。
当時は福岡にしかなかった、ある音楽塾をインターネットで見つけた時、「ここだ」と思った。不思議と迷いがなかった。
書類審査もテストもぶっ飛ばして、いきなり事務所に押しかけて面接して貰い、勢いとやる気だけで入塾できることになった。
 
なんだって出来る、と思った。
世界がキラキラして見えた。
でも、そのキラキラした時間は長くは続かなかった。
 
数か月を過ぎた頃から、毎日アルバイトに明け暮れるようになった。
平日の昼間は近くのレストランでホールの仕事、夕方から深夜までは街中のレンタルショップでレジと店内の品出し。週末は結婚式の案内係。
週1回1時間のレッスンが唯一の音楽活動だった。
毎週作った曲を先生に聴いてもらう課題が、こなせなくなっていた。
おかしいな。私、音楽を学びにきたのに。歌いにきたのに。
全然歌ってないし、曲も作れてない。
……でもバイトで疲れてるし、しょうがないか。
曲ができなくても、しょうがない。
練習できなくても、しょうがない。
だって生きていくためにはお金が必要だし。
言い訳ばかりが上手くなって、自分の中にある違和感に蓋をしていった。
 
そんな時、実家から宅急便が届いた。
私の誕生日が近かったからだろう。沢山のお菓子や日持ちのするレトルト食品や、誕生日プレゼントらしい本がぎっしり詰まっていた。
荷物を開けて、箱に入ったお菓子の詰め合わせを見た瞬間、何かがプツリと切れた。
頭の中が真っ白になって、ひたすら食べ続けた。
お中元やお歳暮でおくられてくるような、大きな箱詰めのお菓子を、全部。
食べて、食べて、食べ終わって、思った。
 
死にたい。もう、死んでしまいたい。
せっかく、お母さんとお父さんが私のために送ってくれたものを。
自分を傷つけるために使ってしまった。
最悪だ。最低だ。
 
罪悪感と後悔が押し寄せてきて、どうして良いか分からなかった。
呆然としながらも「バイトに行かなくちゃ」という意識だけは残っていて、胃の中のムカムカを抱えながらバイトに行った。
怖かった。自分の中にある、マグマみたいな感情と向き合うことが。
 
それから私は「食べること」に囚われるようになった。
あの「頭の中が真っ白になる」感覚が忘れられなかった。
昼のバイトの後に賄いを食べているのに、その帰りにパン屋に寄って安い袋詰めを買う。
家に着いたら一気に食べる。
そして死にたくなるくらい後悔する。
またバイトに行く。
その繰り返しだった。
食べても吐けなかったから、体重はどんどん増えた。
レッスンの度に、こっそり洗面所にある体重計にのっていた。
数か月で5㎏は増えていた。
「大丈夫、元々軽いのだし」と何が大丈夫かもわからないまま、誰にも言えないまま、大丈夫、大丈夫と頭の中で繰り返していた。
次第にレッスンも休むようになった。
もう、なんのためにここにいるのかも分からなくなっていた。
 
こんな生活が1年くらい続いた時、バンドをやることになった。
結婚式の仕事仲間が知り合いを紹介してくれたのだ。
自分で作った曲を、誰かと演奏できる。そのことが凄く嬉しかった。
自前の機材があるからCDを作ろう、と言ってくれた。
古い機材で一発録りだったけど、初めてのレコーディングは楽しかった。
音の調整にああでもない、こうでもない、と言い合ったり、ジャケットの写真を撮ってもらったり、印刷を頼んだり、出来たCDを一枚一枚袋詰めしたり。
嬉しくて、楽しくて。
いつの間にか食べなくても平気になっていた。
 
食べている時の自分と、食べなくても平気になった自分の違い。
それは「感情を外に出している」ということだった。
バンド活動で、歌に乗せることによって。
あるいは、バンド仲間と語り合うことで。
怒りも、不安も、喜びも、楽しさも、音楽を使って吐き出せていた。
外に吐き出すことが出来ずに蓋をして、中でむくむく膨れ上がって爆発した結果が、食べまくって自分を傷つけるという行為に繋がった。
 
自分を傷つける行為はしてはいけないこと、だと思う。
「いけないこと」と思っていたから、誰にも言えなかった。
それでもやめることができなかったのは、食べるという行為や増えた体重で「生きている」ことを実感していたからだ。
自分の存在を確認するための行為だった。
私は死にたかったわけじゃない。生きたかった。
生きたい、という気持ちを外に出すのが、もの凄く下手だった。
 
結局福岡での生活は2年で区切りをつけ、札幌に戻ってきた。
「帰ろう」と決めたら肩の荷が下りた。あ、私ずっと辛かったんだ、とその時初めて気が付いた。
福岡の街も、人も、大好きだった。
だからこそ、弱くて惨めな自分を見せたくなかった。
デビューなんて夢のまた夢で、レッスンもバンドも中途半端で帰ってきて。
自分勝手だったよなぁ、と思う。一人で生きている気になっていた。
沢山の人に助けられていたのに。
 
あっという間に月日が経って、食べることで自分を傷つけることはしなくなった。
あの時の苦しさを経たからこそ、できることがあるんじゃないか。
感情を外に出すことが下手な自分だからこそ、伝えられることがあるんじゃないか。
そう思って、まだ時々歌っている。
 
「世界は輝いている」と信じた10年前の自分に、胸を張れるように。
私は今日も、生きる。

 
 
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2018-06-20 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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