シンガポールは龍宮城
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記事:岸本高由(ライティング・ゼミ平日コース)
暑い。
信号待ちで日なたに立っている一瞬で汗が出る。
だいたい湿度が高すぎる。
梅雨どきの合間の、晴れの日の東京は時々こんなふうに暑いから困る。
「きょうのおそとは、シンガポールみたいだったねえ」
娘も学校から帰るなり、そんなふうに言ってたらしい。
シンガポールには2016年の春まで、1年半くらい住んでいた。娘は当時まだ幼稚園に入りたてだったが、いろいろ覚えているらしく、ときどき突然思い出したように当時の話をする。
仕事の関係で、急に帰国することになったのだが、彼女はシンガポールの生活が楽しかったので、もっと長くいたかったそうだ。ちなみに、嫁さんも同じで気に入っていたらしく、帰国して2年以上過ぎた今も、なぜそんなに早く帰国したのかと文句を言われる。
シンガポールは、マレー半島の南の端にある、ものすごく小さな国だ。人口はわずか500万人、大きさは東京23区と同じぐらいと聞いた。世界地図で見るとわかるが、地理的にはほぼ赤道に位置している。だからとにかく、年中暑い。そして湿気ている。常に夏と書いて常夏の国。熱帯雨林気候。一応ギリギリ北半球だから、季節的には日本と同じで12月とかは冬にあたるのだが、冬でも27度ぐらいまでしか下がらないので、体感的には夏とほとんど変わらない。
シンガポールに住み始めたのが11月ぐらいで、季節的には秋の終わりだったのだが、到着した飛行機から降りたとたんに、もわーっとした熱い空気に包まれた。タクシーで空港から市内に向かう高速道路沿いに、これぞ南国、というヤシの木がワサワサと茂っている。市内に入っても街路樹がみんなヤシの木とか熱帯の樹で、超近代的な高層ビルと組み合わさると、とてもユニークな景観を作りだしていた。タクシーを降りると、やっぱり暑い。秋なのに夏だった。僕たちのシンガポール生活はそうやって始まった。
最初の数週間は色々とバタバタしていたので大変だったのだけど、すぐに生活には慣れた。スーパーマーケットに行けば普通に日本の食材も手に入るし、ホーカーセンターと呼ばれる安いフードコートがいたるところにあるので300円も出せば東南アジアの色んな国の料理が食べられる。よかった。以前住んでいたロンドンでは、とにかくご飯がまずかったので、美味しいコメの料理が食べられるだけでも家族3人、すっかり幸せだった。
だが、3ヶ月くらい経ったころから、僕たちは、あることに気づきはじめた。
シンガポールは、ある意味、龍宮城なのだ。
そう、浦島太郎が行った、あの龍宮城の舞台は、もしかしたらシンガポールだったのかもしれないと。
最初に嫁さんが文句を言い始めた。服がやたらとすぐ傷むのだと。最初は洗濯機がおかしいのかなと疑っていたのだが、ちょっと考えたらわかった。毎日同じ服ばかり着ているから、洗濯の頻度がやたら高くなっていたのだ。なにしろずっと夏だから、必然的に夏服しか着ない。夏服ばかり消費することになる。いつまで経っても次の季節が来ないから、衣替えをするタイミングがない。ロンドンから持ってきた革のコートは、ずっとクローゼットに掛けたままだったので、カビが生えてダメになった。
街を歩いている女の子たちの服装が、ことごとくファッショナブルでないことにも気づいた。最初は、働いている人が多いからかなと思っていたのだが、実は重ね着とか着回しとか、2枚以上の組み合わせができないくらい暑いので、ワンピースというかペラっとした素材のカットソーみたいなのばかり着ているからだった。組み合わせでおしゃれする、みたいなことができないので、ちょっとおしゃれするには不利な国なのだ。
困るのはファッションを楽しみたい客だけではない。夏服しか売れないアパレル系の店はもっと困る。秋を先取り、とか、この冬は◯◯、みたいな売り方が一切できない。だから、セールの時期もあるにはあるのだが、いったい何をセールしているのか、シーズン落ちみたいな感覚がよくわからなくなっているので、大義名分がないただの定期的な安売りなのである。でも、在庫は定期的に処分していかないと商売が動かないので、ショッピングモールはとにかくやたらと年中季節のイベントをやっている。クリスマスツリーはたぶん本場ヨーロッパよりも派手だし、人工雪を降らせたり、桜並木の造花が並んだりする。
そうやって無理やり人工の季節を作り出している。タイやヒラメの舞い踊りは無かったが、雪や桜は舞っていた。
しかし、季節がないことの最大のデメリットは、時間の感覚が徐々に失われていくことだ。今日って何曜日だっけ? と言うかわりに、今日って何月だっけ? と言い出し始めるのだ。記憶がだんだん曖昧になってくる。出来事を思い出そうとしても、季節の手がかりがないので、いったい何月に起こったことなのかが思い出せないのだ。
シンガポールには結局1年か、1年半くらい住んでいたはずだ。夢のようで、はっきりとは思い出せないけど。
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