普通を知らなくても、輝けるときが来る
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:小倉 秀子(ライティング・ゼミ日曜コース)
普通って、なんだ?
最近、私個人的にとてもホットな話題だ。
普通じゃないと、変わっているということなのか。
何を基準として、普通と判断されるのだろう。
普通がわからない。
ひとつわかっていること、それは、私は普通の部類には入らないだろうということ。
普通がわからないのにどうしてそう言えるのかというと、子供の頃から周囲に
「ヒデコちゃんって、おもしろいね」
「変わってるね」
と、よくそう言われて来たからだ。
実際のところ、どうして私がおもしろいのか、どんなところが変わっているのか、人生半分近くは生きたけれど実はよくわかっていない。
例えば私が何か発言したりすると、思いもよらずドッと爆笑を誘うことがある。
決してウケ狙いではないから、自然と面白いようだ。
人に迷惑をかけているなら自分でも気にして、
「何がいけないの?」「どうしたら直せる?」
などと真剣に考えているのだろうけど、迷惑かけているわけでもなさそうだ。
むしろ「ナイスツッコミ!」くらいの評価をいただけるときがあるので、長所と捉えてあえて直してこなかった。
どちらかというと、褒め言葉に気をよくしてナイスツッコミをのびのびと育てて来てしまったかもしれない。
私はおめでたくも、そんな自分を「おもしろ傾向のある普通でないヒト」と捉えて来たので、普通でない、変わっていると言われることにコンプレックスを抱いたこともなかった。
でも、最近はどうもそのようにいかなくなって来た。
なぜなら家族を持ち、子育てを経験したからだ。
私自身が変わっているかどうかは、あまり気にならないこと、私にとっては小さなことだった。けれど、これが自分の子供のこととなったら話は全然違う。
私には二人の子供がいるけれど、二人とも個性が引き立っていて、クラスでよーく目立っていたのだ。上の子だけがそうなのかと思っていたけれど、実は下もかなり個性的だった。
好きなものは好き、嫌いなものは嫌いとクラスの集団の中でもはっきりと主張する。
やりたいものはクラスを引っ張り、学年を引っ張ってでも遂行する。あるとき息子は、当時テレビで流行っていた「逃走中」が大好きなので自分でルールを作り、クラス全体に説明して遊んだところ、みんながとても楽しんで大好評だったそうだ。それが学年全体での「逃走中」ゲームとなり、一時期学年で流行ったらしい。私もそれを聞いたときは、
「息子にはそんな発想力、企画力、リーダーシップに長けた面があるのか」
と、目を細めたものだ。
しかし、かたや興味のないものになると見向きもしない。
国語の時間なのに、算数の教科書を開いて平然としている。
嫌いな宿題はやらない。
水泳の授業にはわざと水着を忘れて一切参加しない、といった具合だ。
私は、子供なんだから全てこなせるなんて期待しなくて良い、他の子も程度の違いはあっても時にはやりたくないと思ったりすることもあるだろうと思っていたが、我が家の住んでいる地域は教育熱心なご家庭の多い地域。子供も素直で良い子が多く、普段から先生の話もよく聞いている。そもそもそんなに個性を披露しているのはうちの子たちばかりのように見えた。
この頃から、「普通でない」「個性が強い」というのは、もしかしたら少し気にして周囲に馴染む努力をしたほうがいいものなのかもしれないと思うようになった。
それからというもの、普通を知ろうと思い私の周りの人を少し気にかけて見てきたけれど、未だに普通がどんなものなのか、わからない。
なぜなら、私の親しい交際範囲には、「この人が普通か」と思しき人があまり見当たらないからだ。
私の古くからの友達も、皆バラエティに富んだ個性的な愛すべき人たちばかりだ。
高校生なのに、背中に浮世絵の女性が描かれた布切れをピンバッジで留めた、それは派手なGジャンを羽織ってさっそうと現れ、
「あんた、ヒデコ? わたし、〇〇。ヨロシク!」
と挨拶したのが初対面だったA子は、今でも親友だ。
同じく高校からの親友で、彼女自身というよりも彼女の家族がバラエティに富んでいて、話を聞いているとうちと同じくらい個性的で大変そうだが、いつ会っても明るく笑顔の、見習うべき友もいる。健康オタクで健康器具や健康食品の話になると目を輝かせてプレゼンしだす友、友達の苦労話を聞くといつも涙してしまう友も(←私もだ)。
そういった友たちが集まってランチでもしようものなら、話題に上がる周囲の人間もバラエティに富んでいて、おそらくこれって特別な場合の話だよね、と普通を知らないわたしにも大方予想がつくものばかりである。
そういったわけで、未だに普通がどういうことかわかっていないが、今はみんなが揃って前へならえの時代でもない。
そんなことをしていたら、この先自分の足で立って生きていけないかもしれない。
わたしの愛すべき2人の息子たちは、どうひいき目に見ても前へならえするタイプではない。そんなことをするくらいだったら列から離脱すると言い出すだろう。
今この学生時代は苦しいかもしれないけれど、いつか自分の足で立って歩いていかなければならないときが来たら、きっとその苦労も笑い話にできるくらい、彼らの個性が遺憾無く発揮できるときが来ると信じている。
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