伝わらない気持ちは思っていないのと同じ。
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記事:原三由紀(ライティング・ゼミ平日コース)
ついに私がターゲットになったのか。
あきらめ、恐怖、困惑、絶望。
小学校6年生の私は、そのすべてがごちゃまぜになった感情に戸惑っていた。
東京のど真ん中で生まれ育った私は、地元の区立小学校に通っていた。
私の学年には女ボスと呼べるような圧倒的な権力を持つ女子がいて、学年全体に渡って幅をきかせていた。高学年になる頃には、女ボスの気まぐれで、ターゲットを定期的に変える仲間はずれ、シカトが横行していた。
ちょっと最近調子に乗ってる。
あの子、太ってない?
なんかムカつく。
そんな難癖ともいうべき、理由なきシカトが彼女のまわりではまかり通っていた。
人見知りでおとなしい性格ながら、スポーツや勉強が得意だった私は、その女ボスが率いる目立つグループに属しているようないないような微妙なポジションにいた。
おとなしいだけに、まわりをよく観察して分析していた私は、その場に応じてうまく立ち回る女子のずる賢さや手のひら返しの怖さを、距離をおいてみて恐れていた。
小学生にとっては、学校が社会のすべて。
子どもの残酷さを凝縮したようなこの女子社会を私は極度に警戒していた。
「友だちは信用してはいけない」と幼心に強く感じていて、もちろん友だちはいたけれど、その誰とも深く付き合うことができなかった。
おとなしくニコニコ笑っていて自己主張もしない。
人畜無害な私は、シカトのターゲットになることもなく無事に6年生を迎えた。
このまま残酷で過酷な社会をスルーできるかもしれない。
そんな予測が甘かったことを、その後私は思い知ることになる。
ある日、所属していた早朝バスケ部にいつも通り行ったら、だれも目を合わせなくなっていた。明らかに雰囲気が違う。
バスケをしていても、少し遠くから私を見てコソコソ話しているのが見えた。
あーついにきちゃったんだな。このときが。
そうすぐに気づいたけれど、そんなことに気がついたところで意味はない。
その1日のことは、ほとんど記憶にないけれど、おそらく誰とも口をきかずに過ごしたように思う。私は戸惑いながら不安にさいなまれながらも学校で1日を終えた。
ぼんやりしながら帰路、家に向かって歩いていた。
どうしていいのか分からない。
悲しいと思う余裕はなく、涙も流さなかった。
親に話す気もなかったけれど、でもとにかく早く家に帰りたかった。
「ただいまー」
家に帰ってそれまでも何百回と言ってきた一言を口にした。
するとその一言を聞いただけで、母親は思いもかけない一言を返してきた。
「なにかあったの?」
心配そうに玄関にいる私に近づいてくる母親をみたとたん、私の目からは涙があふれてきた。泣きながら「あぁ、もう全部話そう」そう決めて、でも言葉より先に、わんわん声をあげて泣いた。
そこからポツリポツリと今日あった出来事を話した。
どうやら私が今度は仲間外れのターゲットになったらしいこと。
誰も話してくれないこと。
悪口もたぶん言われていたこと。
とにかく悲しい。
こわい。
明日から私はどう生きて行けばいいんだ。
すべてを聞いた母親は、とにかくとても怒っていた。
うちのかわいい娘になんてことをしてくれるんだと怒り心頭。
「私今から、学校に行ってくる!」
息巻いていた。
「〇〇さん(女ボス)の家に乗り込んでもいい!」
さらに息巻いていた。
泣いていたはずの娘の私が、気づけば母親をなだめているくらいだった。
「えー! とりあえず、そこまではしなくても今はいいよー」
なんて気づいたら言葉にしていた。
そんな怒っている母親を見ていたら、私はどんどん冷静になってきて、むしろ息巻く母親がかわいく見えてきて、ちょっと笑えてきたくらい。
母親はこんなことも言ってくれた。
「たとえ世界中の全員がみゆきが悪い、みゆきの敵だって言っても、私はみゆきの味方だよ」
「みゆきのためだったら、私はなんだってできる」
母親の言葉を聞いていたら、自然と怖いものがなくなっていった。
そうか。私には、なにがあったって大丈夫なんだ。
学校でシカトされても仲間外れになっても、
いや、世界中が敵になったとしても私には味方がいる。
闘う気になったら母親が一緒に闘ってくれる。
逃げたくなったら母親が守って逃がしてくれる。
友だちが私を愛してくれなくても、母親が十分私を愛している。
小学6年生の私はこう思う。
じゃあ、私は母親っていう最終兵器を最後までとっておいて、できるところまで一人で闘ってみよう。武闘派じゃないから、頭をつかって、卒業まで生き抜く術を自分で考えて掴み取ろう、そう覚悟を決めることができた。
冷静になったら6年生というタイミングが幸いして、かつて女ボスに外された女の子たちがクラス内で小さな別のグループをつくっていることに気がついた。
シカトされてすがりついていくからこそみじめな思いをすると、それまでの観察と分析の結果で感じていた私は、この日を境にあっさり女ボス集団と決別することにした。
別グループの女の子に事情を話したらすぐに受け入れてくれたので、一人ぼっちになることもなく、むしろ平和な友だち関係のなかで残りの小学校生活を過ごした。
結局、私は母親の力を借りず自分の頭を使って生き抜いた。
でもそれは、母親がいざとなったら私を助けてくれるという安心感があったからこそのこと。私が誰になにをされても、絶対に味方でいてくれる人がいるという確信があったからこそ強くなれた。
この日私は、「自分は愛される価値がある」という根拠なき自信を手に入れた。
私はこのとき、たぶん初めて“母の愛”を理解した。
ああ、私って愛されてたんだ、と身体も心も私の全てで感じることができた。
それまでだって、大事に大事に愛されて育てられていたと思うけれど、本当の意味で理解したのはこの出来事がきっかけだったと思う。
私を奮い立たせてくれたのは、母親の“言葉の力”でした。
母親が真っ直ぐに、娘を愛する気持ちを言葉にしてくれたことが、私の人生を明るく照らしてくれた。
たぶん母が思ってるだけで言葉にしてくれなかったら、子どもの私がその愛を感じ取ることは難しかった。母親の愛を信じて、ひとりで闘う強さを手に入れることは到底無理だった。
この経験で私が子どもながら心に刻んだのは、伝えたい気持ちは恥ずかしがらずに照れずに全力で伝えるべき、ということだった。
そしてそれは私が今も、生きるうえでもっとも大切にしていることでもある。
人生は言葉ひとつでいい方にも悪い方にもたやすく変わると、私は信じている。
伝わらない気持ちは思っていないのと同じ。
思うことに価値があるのではない。
思いは“伝えること”に価値があるはず。
私は言葉の力を信じている。
私の放った言葉が、今日誰かを救うことがあるかもしれない。
あなたの一言が、明日私を絶望の淵から引き上げてくれるかもしれない。
だから私は、言葉を大切に大切に紡いでいきたい。
今日も言葉の力を信じて、私は思いを文章に載せていく。
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