メディアグランプリ

ロスト・イン・トランスレーションとフジコ・ヘミング


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記事:岸本高由(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
言葉が、うまく出てこない。
 
言葉を尽くして説明しても、どうも自分の気持ちが表現できていないような気がする。頭の中にもやもやと生まれた感情や衝動を、脳内で言語に変換しているあいだに、元々もっていたみずみずしい何かが失われているような気がするのだ。
 
「ロスト・イン・トランスレーション」という映画があった。ビル・マーレイ扮する、CMの撮影のために日本に滞在しているハリウッドの俳優が、日本人ばかりの撮影現場で、通訳を介したコミュニケーションの中で、自分が伝えたいことが伝えられず、相手が言っていることが翻訳の過程で省略され、細かいニュアンスが取り去られて、意味がわからなくなる、という設定の映画だった。共演のスカーレット・ヨハンソンと過ごす時間の中で「気持ちを言葉にする過程で、失われるものがある。伝えたい本当の気持は言葉にならない」という意味も同時に含んでいるこの秀逸な映画で描かれていたのが、まさにこのことだ。
 
恋愛でもそうだ。
「ぼくはあなたが大好きだ」というその言葉に、自分が好きな気持ちが本当に表現されているのか? ぼくが言う「大好き」と、誰か別の人が言う「大好き」は全く同じ気持ちなのか? そんなはずはない。だから、いつも「大好き」という言葉を言ってしまったあとに、深く悲しい気持ちになってしまうのだ。自分の言葉の足りなさに、とてつもないもどかしさを感じるのだ。
 
ぼくは結局、言葉を尽くすことより、発しない方を選ぶようになった。
 
大学のときに付き合っていた彼女は、ぼくとは正反対に、とにかく気持ちを言葉にする人だった。だからぼくにも、会うたびに好きと口に出すことを要求する人だった。好きと言わないでも察しろよ、みたいなことは通じない人だった。長くつきあううちに、ぼくもだんだん言えるようになってきた。昔に比べればずいぶんと気持ちが分かるようになった、というようなことを言われた。
 
でも、それは逆で、そう言われるたびにぼくはずいぶんと悲しく、混乱して、身勝手にも彼女から離れてしまった。今から考えると独りよがりで、彼女の方にも悲しみがあったはずで、それを思いやることができていなかった未熟さが痛すぎるが、とにかくその経験を経て、ぼくはますます言葉というものが信じられなくなってしまった。
 
大学時代から、自主映画を作り始め、そのまま映画の現場でバイトするようになった。言葉を尽くしてなにか説明しなくても、映像を撮って編集して音をつければ、観客の人は何かを受けとめ、良かったとか悪かったとか感動したとかつまらなかったとかいうリアクションを返してくれた。これが気持ちよくなって、結局フィルムの仕事を続けようと思って、CM制作会社に入社することになった。何本かのCMを演出し、それなりの評価も受けた。でも、言葉から逃げて映像を使ってコミュニケーションできて、自分の気持ちが満足したかというと、結局そうではなかった。
 
先週、映画館で『フジコ・ヘミングの時間』という映画を観た。60代にしてデビューし、いまはもう80歳を越えてなお、世界中をツアーしてピアノを演奏している、動物好きの、独り暮らしのピアニスト、フジコ・ヘミングの今を追ったドキュメンタリーだ。彼女の暮らし、仕事、旅、そしてそこで揺れ動く彼女の喜びや悲しみや、感動や落胆や、想い出や希望が、彼女の演奏するピアノの音色とともに届けられる。
 
「人生は長い時間をかけて、自分を愛する旅」
 
という言葉で映画は始まる。
時間はどんどん流れていく。自分が逡巡していようが、充実して前進していようが、成長したと思おうが思うまいが、時間は勝手に進んでいく。その中で自分が置いてきたもの、やり残したこと、嫌な自分、嫌な他人、そういうものを、流れていく時間の中で少しづつでも取り戻したり修復したり、ゆるしたり、ゆるされた気持ちになったりしながら、いずれ死を迎える。死を迎えるそのときに、長い時間の人生を振り返ったときに、生きてきた自分を愛せるようになっているか? たぶんそこに向かって生きろ、とこの映画は伝えている。
 
「歌うように弾くの」
と、フジコは言った。譜面どおりではなく、作曲者と、彼女自身の気持ちを乗せて、歌うように演奏するピアノの音色は、聴いているものの心を打つ。
そこには歌詞が無い。つまり言葉は無い。言葉を使わず気持ちを伝える。伝わった保証はどこまでも無い。伝わったのか、伝わらなかったのか、それは永遠にわからない。
それでも彼女は演奏する。演奏し続けることが、いつか自分が死を迎えるときに振り返る人生を作るのだと言わんばかりに。
 
ぼくは、強烈なメッセージを受け取ったんだと思う。映画館の暗闇で、涙が止まらなかった。
 
言葉は足りないかもしれない。でも、伝え続けるのだ。悲しみを抱えて、それでも言葉にする。映像にする。音楽にする。ダンスにするのだ。なんでもいい、発し続けるのだ、と。
 
ロスト・イン・トランスレーションは、悪いことではない。
 
「もし天国が、悲しいことのないところだったら、つまらないわよね」
 
悲しみがある、伝わらないもどかしさがあろうとも、言葉を発し続けるのだ。

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2018-07-25 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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