1人の上司が教えてくれた合言葉
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:高林忠正(ライティング・ゼミ 日曜コース)
「商(あきな)いと始末(しまつ)」
百貨店に入社した私は、入社当日、この言葉を先輩から教わった。
江戸時代の呉服商時代から現代に引き継がれる合言葉だった。
その字の通り、百貨店は営業をするだけでなく、準備や整理、そして後片付けが大事という意味だ。
もともと、掃除が得意でなかった私だった。倉庫の整理をはじめとする段取りにも、大いに問題があった。
ひとことで言えば、要領が良くなかったのだ。
合言葉の「商いと始末」は私にとって、単に苦く、嫌な印象でしかなかった。
店頭に配属された私はことあるごとに、上司や先輩からの注意の標的となった。
ついつい、清掃が行き届かなかったり、整理を怠ったりしたからだ。
店頭でいえば、お客さまの通路とともに、レジスター周りは聖域だった。
そんな場所にゴミが落ちていたり、お客さまから見えなくても、包装紙をはじめとする備品が乱雑だと、「気が枯れる」と指導された。
確かに、整理整頓が行き届いている売場や、商品コーナーほど、実績や収益が上がるだけではなかった。お客さまから贔屓(ひいき)にされて、同時にクレームも極端に少なかった。
百貨店といえども人の集団である。清掃や整理への意識が高くないセクションほどなぜかトラブルが多く発生した。
30代前半だった。
ある店舗に異動することになった。
会社は日本橋の本店と、銀座をはじめとする14の支店から成っていたが、そのなかで一番の赤字を出していた店舗だった。
売上高が絶好調だった銀座店から異動したことで、私自身、そのあまりのギャップに唖然としてしまった。
理由の一つとして、ターミナルから遠かったこともあり、来店するお客さまの数が比べ物にならないほど少なかったからである。
集客の手段として、主要新聞に織り込みチラシを封入しても、なかなか効果が現れなかった。
都内の日本橋や銀座だったら、10のリターンがあるところ、あってもせいぜいあっても、1か2程度だった。
努力が報われない環境だった。おしなべて社員は希望を失っていた。
最初ゴルフ用品を販売していた私は、5ヶ月後、紳士服と紳士の靴下やワイシャツを販売することになった。
上司は、戸田(仮名)さんという課長だった。
その初日だった。「今日もお客さまは少ないのかな……」という感情が顔に出てしまっていたのかもしれなかった。
私を見て戸田さんは言った。
「努力が報われにくいからといって、何もしなければそこで成長はストップしてしまうぞ」
「少ないお客さまだからこそ、1人1人に丁寧に接客してみてはどうだ?」
そして、言ったひとことが、「商いと始末」だった。
確かに指摘された通りだった。
以前在籍した銀座は、その立地条件から、ヒト(来店されるお客さま)、モノ(品物)、カネ(売上高)の回転が日本全国一、いや世界有数の場所だった。自ずと早く商売することが優先された。
売上高は右肩上がりだったが、お客さまには果たしてご満足いただいていたかどうかはわからない。
戸田さんの持論は、「商いと始末」だった。
具体的には、お客さまをお迎えする前の準備と、お客さまの気持ちに寄り添った販売、そして販売が終わったあとのお見送りと後片付けだった。
体験しながら、大きな発見があった。
どれが欠けても成り立たないからだった。
「立地条件の良くない店舗だからこそ、正しい努力を積み重ねるしかないんだ」と繰り返し指導された。
いつの間にか、開店の1時間以上前に入って、フロアの隅から隅を清掃することが日課となっていた。
店頭で、3足1,000円の紳士靴下セットをお買い上げいただいたお客さまに対して、「有難い」という気持ちを感じるようになった。
もちろん、安価な品物ばかりではなかった。一着10万円以上の紳士服も販売した。
戸田さんは折に触れて言った。
「たった300円のハンカチであったとしても、お買い上げになったお客さまにとっては、ご自身のライフスタイルを彩る品物なんだ」と。
その言葉を聞いたとき、販売とは自分にとって、何かかけがえのない仕事のように思えてきた。
戸田さんの指導はとどまることを知らなかった。
極め付けは、ある日の閉店後の一言だった。
「今日の準備と販売そして、販売したあとの後始末と後片付けこそが、財務諸表の損益計算書と貸借対照表の数字となるんだ」
「たとえ、1着3,000円のワイシャツであっても、お買い上げの金額は、損益計算書の売上高となる」
「整理整頓の積み重ねが、適正な品物の在庫と備品の効果的な使用につながって、ひいては営業費や一般管理費の削減となる」と説かれたのだ。
恥ずかしいことに、今まで気づかなかった。
そんな発想すらなかった。
しかし、人事とは非情なものである。
ほどなく「海外店をゼロから立ち上げる」という辞令を受けた戸田さんは、東京の本社に異動することになった。
「もっと教えてもらいたいのに……」という希望はかなわないものとなった。
戸田さんとご一緒させていただいた期間は半年間だった。
ただし私の中には、「商いと始末」が定着し始めていた。
46歳になったとき、店頭での販売から未経験の法人営業(法人外商)に異動した。
新天地で心がけたことは、戸田さんから指導を受けた「商いと始末」だった。
品物は異なるものの、準備とお客さまに寄り添っての営業、決済も含めた後始末の流れは共通していた。
50歳となったとき、百貨店から独立系のケーブルテレビ局に転職した。
コールセンターの統括の仕事でさえも、「商いと始末」だった。
準備とお客さまとの会話、そしてアフターフォローは、形こそ違え一つの型だった。
百貨店を離れたからこそ分かった「商いと始末」だった。
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