メディアグランプリ

向田邦子も平凡


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記事:八島 保(ライティング・ゼミ平日コース)

 
 
「只今、機内前方にて煙が上がっております。煙の原因と機内の安全を現在確認しておりますので、お客様はそのまま、ご自身の席にてお待ちください」
キャビンアテンダントさんのアナウンスが出るまで、私は自分が乗っている飛行機の前の方で煙が上がっていることに気づかなかった。
周囲の乗客から「え、なになに?」「どういうこと?」という声が聞こえる。悲鳴や声を荒げる人は今のところいない。しかし、煙の臭いを感じ始めてから、周囲にいいようのない緊張感が走っている。
 
そもそも、なにか嫌な予感はしていたのだ。
当時私は大学院生。北海道から東京への便は費用と日程の関係からLCCの深夜便を選んだ。
LCCで、さらに深夜便ということで、運賃が安い分事故が起こりやすいんじゃないのかと少し不安に思っていた。おまけに翌日の朝は東京に台風が直撃するというニュースも入ってくる。しかし、別の便に変えたらもう一日北海道にいないといけない。私は「まあ、大丈夫だろう」と不安を隅に押し込めて飛行機に乗ったのだ。
 
「只今、機内前方にて煙が上がっております。煙の原因と機内の安全を現在確認しておりますので、お客様はそのまま、ご自身の席にてお待ちください」
キャビンアテンダントさんのアナウンスは定期的に繰り返される。口調は平常時の事務的なものと変わらなかったが、声がわずかに震えている。
 
自分はそのとき、脚本家の向田邦子を思い出していた。
大学の図書館でたまたま見つけた「夜中の薔薇」という彼女のエッセイ。短い文章で微妙な感情を正確に伝える彼女の描写力と構成力は私を魅了し、小説を書きたいと思っていた私の夢を打ち砕いた。
「私は特別な人間ではない」
こんな文章を私は書けない。井の中の蛙の自信は、そのまま井戸の底に落とされてしまった。彼女は飛行機事故で死んでいた。私はもし彼女が墜ちる飛行機の中で最後のエッセイを書いていたなら、一体どんな文章を残していたのだろうと、たまに考えていた。
自分も死ぬんじゃないのか。そんな考えが頭をよぎるのに、自分はそのことに対して妙に気持ちが落ち着いていた。
「ああ、ここで人生が終わるのか。やりたいことはいろいろあったけど、飛行機が墜ちてしまうのならば仕方がない」と考えながら、いざ墜落したときのための水分として、飲みかけのペットボトルを握りしめながら席に座っていた。
 
死んでしまうと腹を括ったら変に余裕が出てきて、他の人がどんな風に思っているのか、気になってきた。周りの状況を再度確認する。少し立ち上がって前を観ようとする人、キャビンアテンダントさんを呼ぼうとする人。「うあー」や「ううー」といった声になっていない不安の声がところどころから聞こえてきた。緊張が平常心を溶かしていく。パニックにはなってなかったが、このままだとみんな、確実に席にとどまれなくなる。
みんな、死ぬのが怖いのだ。そして、悔しいのだ。なんで、普通に飛行機に乗っただけなのに、いきなり死ぬような目に遭わないといけないのか。確かに、少しリスクはあった。だからこその値引きだ。でも、こんな目に遭うようなことを、自分はしていない。なんでいきなり、死なないといけないのか。
多分、他の人はそんな感じだったのだろう。
私も、この状況は怖い。でも、私はなぜか不思議と悔しくなくて、むしろこの状況を受け入れていた。どうしてだろうか。
 
「えー、現在機内にて発生しております煙の原因ですが、こちらご搭乗いただいたお客様の手荷物からの発火であることを確認しました。現在火は消し止められ、搭乗機への延焼もございませんので、ご安心ください」
キャビンアテンダントさんからのアナウンスだった。緊張がどっとほどけ、乗客が一斉に一安心したのを感じた。
結局飛行機は新千歳空港に戻って緊急着陸。3時間待って空港会社が他社の便を融通してくれないことがわかると、欠航だらけの中、なんとか飛ぶ飛行機を探して東京に帰った。正直、こっちのほうが大変だった。
 
私が台風の中帰宅した後、今回のことがニュースとして取り上げられていたことを知った。原因は乗客が持っていたモバイルバッテリーからの発火だった。
事実がわかってしまえば、別になんてこともない。自分が死ぬかもしれないと思っていたのが馬鹿みたいに思えた。
実家の両親や北海道で泊めてもらっていた叔母にも電話を入れ、疲れて布団にくるまる。つい半日前のことが嘘みたいだった。
「生きて戻ってこられたことが当然」
そんな気がしてくる自分の心にふとストップを入れた。たぶん、そうではないのだ。
もう少し条件がそろえば、自分は死んでいた。もしモバイルバッテリーが間違って預かり荷物に入っていたら、手荷物にあったとしても発火に誰も気づかなかったら……。
死ぬかもしれないことは身近にある。自分たちのいたるところに死ぬ要因が転がっていて、別に自分が死ぬことは特別なことではないのだ。私は特別な人間ではない。平凡だからすぐに死ぬ。そう考えた時、どうして飛行機の中で私が落ち着いていたのか、少し合点がいった。

 
 
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2018-08-08 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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