戌年の奇跡
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記事:磯部恵子(ライティング・ゼミ平日コ-ス)
「どうしてお前は、こうも気が利かないんだろうね。こんなものもらったって、誰も喜ばないわよ。京都土産なら、もっと良いものがたくさんあるだろうに。よりによって、こんなちっぽけなもの。恥ずかしくて、とても人にあげられない!」
当時、私は高校2年生。
母は40代半ば。家の近くの会社で、フルタイムで働いていた。
修学旅行に行く前に、母からお土産を頼まれていた。
いま考えると、なぜ娘の私が、母の同僚にお土産を買わなければならないのか、理由が思い出せない。
しかし土産物代として、母からいくらかのお金を預かったのは覚えている。
土産というのは厄介である。旅の初めに買うと、旅行中、荷物になる。買わないでいると、ずっとそのことが気にかかり、旅に集中できない。挙げ句に、最後に、どこにでも売ってそうな、ありきたりのもので、間に合わせることになる。
「旅行土産というのは、その土地、その場所でなければ手に入らない珍しいものであればあるほど、価値がある」と思っていた私は、「その土地ならではの逸品」を探すことにした。
幸いに、これ以上最適なものはないという激レアな一品を、奈良で見つけることができた。しかも、それは手のひらに載るほど小さくて、旅の初めに入手しても邪魔にならなかった。ただし、とても繊細な作りものなので、壊れないように常に細心の注意を払いながら、大切に持ち帰ったのだ。
これが、どれだけレアな逸品か、母に話したら「よくぞ見つけてくれた」と喜ぶに違いないと思い、荷解きをするが早いか、得意げに見せた。その瞬間、いきなりあの罵声が浴びせられたのである。
最高のお土産と自負し、大切に持ち運んだものを、頭ごなしに否定された。何も話す気になれず、目の前のそれをつかんで、自分の部屋に入り、悔しくて、1人で泣いた。
その後の展開は、よく覚えていないが、おそらく母の同僚には、別のものを持っていったと思う。
私が選んだ奈良の逸品とは、法華寺の「御守犬」(おまもりいぬ)である。
今から1200年前、法華寺の開基である光明皇后が、災害や疫病から民を救うためのお守りとして、自ら作られたのが始まりである。今でも法華寺の尼僧たちが、護摩供養後の灰を用いて成形し、古代と変わらぬ絵付け方法で、ひとつひとつ手作りしている。
完成後は、本尊である国宝十一面観音に奉り、祈祷した上で、直接寺に参拝した者にのみ授けられるという、ありがたいものなのだ。
それなのに、そんな説明を聞こうともせず、「ちっぽけ、誰も喜ばない、恥ずかしい」と切り捨てた母の言葉が恨めしく、心の底から母を嫌悪した。
今なら当時の母の気持ちも、ある程度理解できるし、御守り犬も、法華寺の空気を肌で感じた私だから、そのありがたさも感じられたのだとわかる。法華寺も、十一面観音も、尼さんも、護摩の灰も、その場に行ったことのない人にとっては、何の感慨も湧かないものなのだ。そんなものより、生八つ橋や、千枚漬けをもらったほうがよほど嬉しいだろう。
それ以来、土産物は、奇を衒らわず、迷わず「消えもの」を買うことにしている。
旅行土産は、饅頭や漬物のように、食べて消えてしまうものが良い。激レアな、有難い逸品なんぞもらっても、好みに合わなければ、かえってその処遇に困るだけなのだ。母の言い分は、今になって振り返ってみれば正論だったと納得している。
あれから40余年。未熟なくせに生意気な小娘だった私が還暦になり、パワフルに働き、自信に満ち溢れていた母が米寿を迎える9月が、もうすぐやってくる。が、その前に、母は3度目の大腿骨の手術を受けることになった。先日、手術前の通院に付き添い、家に戻ってきたとき、ふと母が言った。
「昨日、久しぶりにお父さんの夢を見たのよ」
母の横顔は、一瞬、若い頃に戻ったようだった。
母娘喧嘩は、よくしたが、父娘喧嘩は、1度もしたことがない。
父の口癖は「母さんの言うことは正しいんだけど、言い方がねぇ……」だった。
9年前に他界した父も、私と同じように、ストレートすぎる母の言い方に、時々傷ついていたのかもしれない。昨日見た夢の中でも、そんなやりとりをしていたようだ。母が語る父の夢の話を聞きながら、猛暑の1日が暮れていった。
母に、「御守犬」のことを覚えているか聞いてみたい気がする一方で、どんなふうに覚えているか確認するのが、こわい気もする。
記憶というのは、時に美化されたり、自分の都合の良いように脚色されて覚えていることがある。また、全く忘れている可能性もある。むしろ、忘れてくれていた方がありがたい気もするが、それはそれで、寂しい気もする。正しく覚えていた場合は、お互い気まずい想いをすることになるのではないか?要するに、覚えていても、いなくても、私はうれしくない結果を聞くことになる可能性大、ということだ。
胡粉が塗られた白い肌は、だいぶ煤けてしまったが、光明皇后から脈々とつづく尼僧達の祈りは、その可憐な姿の中に、しっかり保ち続けていると信じたい。今も手元にあることに感謝しながら、そっと左の掌に載せ、右手を添えて、ふんわりと包み込んだ。
一寸ほどの小さな身体から発する、やわらかいオ-ラが、御守犬を包んでいる掌からじんわりと、ぬくもりとなって伝わりはじめた。
手首、ひじ、二の腕、肩から背中、おなか、全身へと伝わっていったそのとき、掌の中から、かすかな声が聞こえた。
「大丈夫ですよ。今年は戌年ですからね、私がお守り致します」
この可憐なお犬様が、何を守ってくださるのか?
母の手術の成功? 母娘の絆? その両方?
または、全く別の何か、か?
母の手術は8月30日。その数日後が、私の還暦の誕生日だ。60年前のその日、母は産院に入院中だった。
生んでくれたことへの感謝を、もういちどしっかり伝えようと思った。
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