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落ち込むくらいなら、怒れ!


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:原三由紀(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
「もう! だったら最初から言ってよ!」
 
つい先日、もう十何年ぶりくらいに、私はイライラした声で、人前でこんな一言を放ってしまった。あきらかに“怒っている人”という風情。
しかも周りに知り合いがたくさんいるなかで。
 
穏やかな人で通している私は、怒りをコントロールすることについては普段から極度に気をつけて生活している。私自身が「怒っている姿は美しいものではない」と思っているので、喜怒哀楽のうち“怒”だけは表にださないように。たとえ怒りを感じることがあっても、それを外に漏らさないようにと細心の注意を払っている。
 
だから、そのときは怒りを表に出してしまったこと、それを人に見られたことが、本当に恥ずかしく、その後2~3日は自己嫌悪で人知れず何度も頭を抱えたほどだった。
 
おそらくここまで「怒り」に敏感なのは、自分の父親がとても喜怒哀楽の激しい人で、自分の怒りに振り回されて生きにくそうにしていたからだと思う。
怒りが人生を狂わせる。
人生や人間関係を台無しにする。
そんな刷り込みが自分自身のなかにあるのかもしれない。
 
とはいえ私もそんなにできた人間ではないので、もちろん怒りを感じることは人並みにある。私が気をつけているのは、それを人にぶつけない、それを衝動的に強く人前に出さない、ということだ。
 
ちなみに、私は一見穏やかそうに見えるからこそ、怒りを外に出すと、人に信じられないくらい引かれるというのも体験済み。
若気の至りで他人にもろに怒りをぶつけた記憶が、大学生のときにある。男友だちと電話で話していたとき、もはや原因は忘れたけれど言われたことに瞬間的に切れてしまった私は、ガン切れで冷たい言葉を放ちまくり、彼からビックリするくらい引かれたことがある。そのときの彼の引き潮ばりの引きっぷりは、昨日のことのようにはっきり覚えている。
 
普段とのギャップで、たまの怒りは効く、ということも分かったけれど、そういうとき私の性格の悪さが顕著にあぶりだされ、人を驚かせ、凍りつかせ、傷つけるということが分かった。私の怒り、これは滅多なことでは出していけない伝家の宝刀なのだと、自分への戒めとともに深く心に刻んだ。
おそらくそれ以降、私は人に対してここまで本気で怒りをぶつけたことは一度もない。
 
数年前、満員電車に毎日乗って、オフィス勤務をしていた会社員時代は、小さなことでなぜすぐイライラしてしまうのだろう、なぜこんなに心がすさむのだろう、ということが気にかかり「アンガ―マネジメント」について少しだけ学んだ。
 
そのとき怒りをコントロールする意識が高まったのは本当によかったこと。
またイライラや怒りを感じたときの対処法があることを知り、怒りを軽減することができると知ったのは、本当に有益だった。
 
ちなみにひとつだけ、私が好きな怒りの対処法を伝授!
自分の怒りを数値化する、のはとても便利な怒り鎮静法。例えば、満員電車で自分にもたれかかってくるオジサンに出会ったとき。イラッとする前に一拍おいて、少し冷静になって考えてみる。
 
怒りの目盛りがMAX10だとして、さて今の状況の怒りレベルはどれくらい?
この疲れたオジサンが自分の人生へ与える影響はどれくらい?
 
レベル1か2くらい、多くても3くらいじゃないだろうか。
そんな低いレベルの怒りか、と思うとわざわざ怒るのもバカらしくなってこないだろうか。私はこの方法で、数々の怒りをかわすことができるようになった。
ピンと来た方はぜひ、明日からやってみてほしい。
 
これまで、「怒り」を忌み嫌い、なるべく避けて生きてきた私だけれど、自分がイライラにまかせて怒りを表にだしてしまったことで、再び「怒り」について考えた。
 
自分は今回に限って、なぜ突然人前で怒りを出してしまったのだろう。
 
以前読んだアンガ―マネジメントの本も引っ張り出して、対処法をもう一度おさらい。
怒らない自分を維持するためにどうしたらいいのか、じっくり考えた。
気付いたら「怒り」の感情を心の中に生まない方法ばかりを考えていた。
 
でも、ふと思ったのだ。
「怒り」ってそんなに悪いものなのだろうか。
怒る人は、成熟していない人として、アンガ―マネジメントができていない人として、特にビジネスの場では否定される。
 
でも、否定されるべきは「怒り」を感情に任せて表に出すこと。
喜怒哀楽、この感情が心の中に生まれるのは決して悪いことなんかじゃない。
このすべてをちゃんと感じることが健全な心の状態ではないのか。
 
むしろ、この生きにくい世の中で心を病んでしまう人、心のバランスを崩しうつになってしまう人などは、本当なら思いっきり怒っていいところで、自分を責めたり、それを悲しみに感じてしまう人なんじゃないだろうか。
 
私も社会人1年目の頃、心のバランスを崩しかけてしまったことがあった。そのときは、うまくいかない現実や理不尽に「悲しさ」が心を支配していた。タラレバでしかないけれど、もし私が自分を取り巻く現実に健全に怒れていたら、本当はそこまでにはならなかったんじゃないだろうか。
 
「怒り」は本当にエネルギーを使う。
悲しむより、喜ぶより、なにより体力を消耗することは、きっとみんな実体験で感じていることではないだろうか。
 
そう思うと、自分がまだ自分のために怒れているうちは、心が元気な証拠。
落ち込んだり、悲しんだり、自分を責めたりするくらいなら、ちゃんと怒ったほうが精神衛生上きっといい。ただ、その「怒り」を人に向け暴発させないことだけは意識したいけれど。
 
きっとガンジーだって、暴力のある社会に怒っていた。
きっとマザーテレサだって、貧困のある世界に怒っていた。
きっとキング牧師だって、差別のある社会に怒っていた。
 
心の中に生まれた「怒り」を、「怒り」以外に変換して出力することさえできれば、怒りこそ、社会をプラスに変えるエネルギーになるはずなのだ。
 
ちなみに、冒頭のイライラをぶつけてしまった相手には数日後、後悔の念にさいなまれ「ごめんなさい」を伝えた。その返事がコチラ。
 
「え!? なんのこと?」
「なんのことか分からないけど、気にしないで。おつかれー!」
 
私の「怒り」は、いつの間にか「怒り」とすら認識されないくらいに、弱くなっていたらしい……。
 
私は数日間「怒り」に振り回されて、あらためていろんなことを考えることができた。
たまには。
本当にたまになら、ちゃんと「怒り」を出し、向き合うことも悪くないのかもしれない。
 
さあ、落ち込むくらいなら、健全に、冷静に、怒ろう。
社会をよくする原動力は、「怒り」から生まれるかもしれないのだから。

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2018-08-14 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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