メディアグランプリ

戦っているように見えるくらい、全力で逃げろ!


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記事:三木智有(ライティング・ゼミ平日コース)

「お前、どうかしてるぞ!」
「申し訳ありませんでした」

電話越しに若い男性の怒鳴り声が響いた。それは新卒で内定をもらった会社からの電話だった。
僕は内定式に無断欠席をしたのだ。

そもそも僕は、この会社に勤めるつもりはひとつもなかったのだ。

「組織」から僕が逃げ始めたのは小学生の頃からだった。当時僕は学校の中に居場所がなく、友人と呼べる存在はひとりもいなかった。学校という組織は僕にとっては常に敵陣地のような存在で、毎朝吐き気と頭痛をこらえながら何とか登校だけはしているような状態。
その状況は卒業まで変わることはなく、クラス替えをしたくらいでは僕の立場はいっさい好転しなかった。

中学に入ってからは、当時学校を仕切っていたヤンキー先輩にうまく取り入ることができ「いじめられる」という状況からは何とか脱することができた。
しかし、先輩や周辺の「本物」のヤンキーの中で自分のポジションを維持しなくてはいけない苦境に立たされ、今度は自分より弱い者を「いじめる」立場になった。

結局、いじめる側に回ったとは言え、いつも学校に行くのが憂鬱で、ビクビクしながら過ごしていたことに変わりはない。

高校に入ったら、何を勘違いしていたのか髪を金髪にして、制服のYシャツを胸元まで開けて半ケツ状態までズボンを下ろしてクラスの連中を威嚇していたら、同じクラスの本物のヤンキーにトイレに連れて行かれ、便器で頭をかち割られた。入学2日目だった。

子どもの頃からずっと、人との距離の取り方に迷い、方向を間違え、失敗していた。わからない事があればとにかくヘラヘラ笑ってごまかし、それを先生に「いつもヘラヘラしてるだけで人生乗り切れると思ったら大間違いだからな」と叱られたこともある。

だから僕は、大学に入った頃固く決心していた。

「組織に入って働くことから、逃げよう」と。

それにはフリーランスになるしか道はない。僕は「組織で働かないための就活」をはじめた。
独立できる仕事を考える中で、インテリアコーディネーターと出会い、その人のかっこよさと仕事の面白さに魅せられてインテリアの道を歩むことに決めた。

大学卒業も間近に迫った年末。インテリアコーディネーターのための専門学校を知り、卒業後はそこに通いたいと親に打診したが、「就職しなさい」と当然のごとく一蹴されてしまった。
周りもほとんど就職が決まっている中、専門学校に通おうかどうか迷っているだけで、就活すらしていなかった僕はさすがに焦りを感じはじめ、とりあえず就活をすることになった。

「就職できなかったから専門学校に行く、ってよりも就職を蹴って専門学校に行くほうが親も覚悟を認めてくれるだろう」

と、浅はかな思いではじめた就活だったが、運悪くすぐに一社が僕を拾ってくれたのだ。
そこは不動産系の会社だったが、電話にはワンコールで出るのは当たり前。さらには電話を取ったらすぐに立ち上がり、満面の笑みで深々とお辞儀をしながら話しをする会社だった。
社長が誇らしげに、その社員たちの姿を話す傍らで、新人っぽい女性社員が上司に怒鳴りつけられ泣き崩れていた。

「まぁ、ここに入社するわけじゃないし」

と思い、先方に都合のいいことばかりを答えていたら合格したのだった。
親に内定が取れたことを報告し、しばらくしてからやっぱり専門学校へ行きたい旨を相談。無事に説得し、学費等を自分持ちにすることでようやく卒業後の進路が確定した。

そのまま辞退の連絡をし忘れてしまったのだ。

最低な就活だった。先方にも多大な迷惑をかけたし自分という人間のいい加減さがつくづく嫌になった。

自己嫌悪と情けなさでいっぱいの中、夜間はインテリアの専門学校へ、そして日中はカフェでバイトをして過ごすことになった。そのカフェのオーナーの奥さんが、たまたまフリーランスのインテリアコーディネーターだったのだ。

「君、若いのに戦ってるねー!」

その人は、ぐずぐずだった僕の話しを聞いて楽しそうに笑った。
いつも明るくヒョウヒョウとした彼女にとって、僕の失敗談なんかいくらでもリカバリーのきく笑い話しに過ぎなかったのだろう。
むしろ、常に人から逃げ、組織から逃げ、厳しい環境から逃げ続けて来た僕にとって「戦ってる」と言う表現はびっくりだった。

「逃げるんだったら、戦ってるように見えるくらい、全力で逃げてやろう」

僕はその人との何気ない会話の中で、自分に言い聞かせた。
就活だって、就職するつもりがなかったとは言え心のどこかに「もし楽で楽しそうだったら就職すればいいや」と言う甘い気持ちはなかっただろうか?
専門学校を選んだのだって、就活が面倒という気持ちもあったんじゃないか?
「就職決めてから」などと訳のわからない事を言ってないで、正面から親を説得しなかったのはなぜか?
高校だって、中学時代だって。
僕は常に「ただなんとなく」逃げ続けてはいなかっただろうか。

そうじゃなくて全速力で逃げたら、それはいつの間にか何かを追い求める姿に変わるんじゃないだろうか。

だから僕は、全力で逃げることにした。
そうすることで、自分の人生のベクトルが少しずつ定まっていった。

もう後ろからは何も追って来ない。組織への恐怖や不安はいつの間にか振り切った。今はただ、自分の目指す道を全力で走るだけだ。

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2018-08-22 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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