夏。おはぎ事件
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記事:遠藤 朝恵(ライティング・ゼミ 平日コース)
「お前たち、なんで食わねえんだ!!!」
朝ごはんの席で、お義父さんがお箸を食卓に叩きつけて出て行ってしまった。
ふだん温厚なお義父さんが声を荒げるのをそれまで見たことがなかった私は
ただびっくりして、呆然とするしかなかった。
10年前のその夏の日の、 “おはぎ事件”だ。
東北の片田舎にある夫の実家にはお盆と暮れに必ず帰省している。
お盆のその日は午前中にお墓参りに行くことになっていた。
食卓にはいつも通り、お義母さん手作りのおはぎが並ぶ。
どこのお家でもお盆に食べるものだとは何となく知っていたのだけど、
私にはどうしてもどうしてもどうしても、夫の実家で慣れない文化があった。
おはぎをお味噌汁と一緒に、朝ごはんにいただくことだ。
あんこたっぷりの、おはぎ。げんこつ大ほどの大きさがあって食べ応えがある。
お義母さんが小豆を煮るところから手作りしているので、とても美味しい。
美味しいのだけど……
おはぎ&お味噌汁は、私にはショートケーキ&お味噌汁という組み合わせと変わりがない。
おはぎって、おやつじゃないの!?
初めての朝ごはにおはぎが並ぶ光景を見たときの衝撃を、忘れられない。
せっかくの美味しいおはぎ、できれば3時に、お茶といただきたい。ほんとうに申し訳ないのだけど。
夫自身もそうだった。土地の文化を、夫は深く知らない。
私たちは夫婦そろって、おはぎをいつも朝ごはんではなく午後にいただいていた。
理由を聞かれて「朝からおはぎは、ちょっと」と答えた夫のひとことがきっかけにその日、
お義父さんは席を立ってしまったのだ。
東京育ちの私にはいろいろと、夫の実家には慣れない文化がある。
東北文化にというよりは、義父母の生活スタイルにと言った方が合っているかもしれない。
ひとつひとつは些細なことだけど積み重なると、
ボタンを掛け違えたシャツのようになんだかちぐはぐな感じで落ち着かない。
義父母と私の間で、お互いにそんな違和感を積み重ねた頃のできごとだった。
母方は神道で父の実家はクリスチャンという私の育ちや、直感で行動してしまう性格も、
義父母にとっては異端だったろう。
これまで飲み込んでいたものが、おはぎ事件をきっかけにお義父さんの口から溢れたのだ。
食のことって、小さいようで大きい。
あの頃の私は、朝ごはんにおはぎを食べることをかたくなに拒んでいた。
相手の価値観を受け入れることで、自分が消されていくような気がして
怖かったのかもしれない。
食の文化は言語と同じで、
相手に合わせることはそこの風習・文化を尊重する意味があるのだと思う。
「どうして英語以外のことばも、勉強したんですか」
同じ年の夏、知り合いで4ヶ国語を話せるひとに訊いたことがある。
東京タワーのふもとでバーを営んでいる、とてもバイタリティがあるエネルギッシュな人だ。
流暢な英語以外に、フランス語、ドイツ語、スペイン語を話す彼の店を
日本人も含めて毎晩、色んな国の人が訪れる。
英語がこれだけ話せれば、日本に来ている外国人とのコミュニケーションには
困らないだろうにと思う私の問いに、彼は答えてくれた。
「その国の言葉で話すほうが、より深くニュアンスが分かるし伝えられるし、
相手も単純に嬉しいでしょ」
「あなたを尊重しますよ、っていうのを、相手の言語を使うことで表現してるんですよ」
食も同じなんじゃないだろうか。
息をするように相手が自然にしていることを同じようにすることは
相手との信頼関係を作っていくための行動のひとつだと、
どこかで勉強した覚えがある。
おはぎを朝いただくことは、義両親にとっての大切な習慣だ。
お義父さんいわく、おはぎは仏さまと一緒にいただくもので、
朝食べることに意味があるんだと、ほとぼりが冷めたころに夫がさとされた。
私たちがおはぎを朝ごはんに食べなかったこと、それは義両親にしたら
東京に出した息子に自分たちの文化を否定されるようなものだったのかもしれない。
お箸を叩きつけるほど怒ったのは、悲しかったのかもしれない。
その事件以来、私たちはおはぎを朝ごはんとして食べるようにした。
おはぎとお味噌汁のコンビネーションに対して、いまでも抵抗がないと言えば嘘になる。
でも、あの時に受け入れがたかったのはそれだけだったのかな、と今は思う。
どこかで私は、自分を貫きたかったのじゃないかな。
負けず嫌いの自分を認めることができずに。
そういうことじゃないよ、とあの頃の自分に言ってあげたい。
受け入れるって、自分を消すことじゃない。ただ相手に寄り添えばいいのだ。
それで自分は無くならない。
それだけで伝えられることが、たくさんあるのなら寄り添ってみればいい。
あの頃の私たちは子育てに追われるうちに、簡単なことでも見えなくなっていた。
私たちがおはぎを朝にいただくようになってから
お義母さんが私に自分は飲まないビールを勧めてくれるようになったのは
偶然ではないような気がしている。
今年の夏も、朝ごはんにおはぎを食べた。
洗い物をすませたら小さなお皿におはぎを二つよそって、娘に持たせる。
お花とお水を持って裏山のお墓まで歩いていく。
お義父さん、お義母さん、夫がお参りをしたあと、私と娘たちが手を合わせる。
山の棚田が風になびく、いつも通りの夏の1日だった。
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