メディアグランプリ

イラつき止め


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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YANG MIAO(ライティング・ゼミ平日コース)
「だったら一車両分全部買えば!」とこころのなかで叫んだ。

避暑地から東京に戻る新幹線に乗り込み、子どもを抱っこして、席を探していた。車内はぎりぎり満員になるぐらい混雑していた。三席の窓側に、おじさんが座っていた。入念にカットされている白髪交じりのひげ、淡いピンク色のチェック柄のリネンシャツ、見た感じはちょっとこじゃれたビジネスマンのようだった。スマフォーをいじりながら、真ん中の席におじさんのハンドバックが、防御線のように置かれていた。

車内を見渡すと、隣同士で座れるふた席はここしかなかった。
「ちょっといいですか」と防御線を感じながらも、おじさんに声をかけた。

どれだけ重いかと突っ込みたくなるようにカバンをゆっくりどかしながら席を空けたが、「静かにしてよ!」といきなり注意された。子どもが騒ぐところか、声すら発していなかったのに。

前触れもなくいきなり受けた攻撃めいた一言に、返す言葉が見つからない私をみて、「ここ自由席だから、関係ないよ」と言い放した旦那が子どもを抱っこしておじさんの隣に座った。
おじさんはさらにぶつぶつと言い、旦那も何かを返していた。

ピリピリした空気が爆発寸前になって、幸いにも次の駅で別の席が空いた。私たちは席を変えた。ゆっくり座って一息ついた後、我慢していた悔しい気持ちが一気よみがえり、ああでも言ってやればよかったのにと言い損ねたセリフを心の中でリハーサルしていた。

また別の日、エレベーターのない駅で、階段で子どもを乗せたままのベビーカーを運んで降りようとした。階段を下りたところに、二人若い男性が横並びに立っていて夢中に話をしていた。下りてきた私をちらっとみたにも関わらず、道を空けることなく、そのままおしゃべりし続けていた。
10キロ以上の子どもと荷物を載せたベビーカーをもって階段を降りるのは、かなり体力と技のいることだった。階段のすぐ下で道をふさぐ若者たちに私がイラついてしまった。「通してください!」と怒りを抑えた声で注意したら、いやそうな目で睨みついてきた二人だった。きっと、イラついてるお母さん、いや、嫌な子連れだと見られたんだろう。

最近、街でイラついてる人によく出会うのだ。日本で暮らす20年、こんな印象を持ったのは初めてだ。

今年は確かに暑すぎる。35度を超えると、肌が空気でやけどしてしまうような気がして、仕事のストレスや、通勤のつらさが加わって、みんなの気持ちもショートしやすくなったのかと思ったら、どうやらそれだけではない。

優先席で杖ついているおばあちゃんを目の前にして、座ったままでゲームし続ける中学生。
エレベーターは歩けそうな人たちでギューギュー詰めになり、車いすの人が乗れない。
バスの座席に足を上げて座っていた1歳ぐらい小さい子に「靴ぬいでよ!」と厳しく注意する中年女性……

人の目線が厳しい、人を見る目線も厳しくなる。

社会のルールや「こんなのあたりまえだろう」にめぐって、人にイラついたり、自分がイラつかれたり、街中、イライラが連鎖し、量産されているのだ。
これは単なる常識やルールでは片づけられなくなっている気がしてきた。

考えてみれば、日本にはパブリックはなかった。
オイエも、会社も、社会も暗黙の価値観やしきたりに支配されるムラのようで、「世間の目」という相場があった。それに依存することで、自分の利益が保証されていた。

しかし、今は人々の暮らし方が大きく変わった。地域のコミュニティが消え、核家族も横とのつながりを持ちにくい。外国人住民も増えた。終身雇用が崩れ、働き方も様々。若い人は会社の飲み会を敬遠し、仕事とプライベートをくっきりと線引きするようになった。先輩後輩の付き合いよりも、ネットのバーチャルに本音で語り合う仲間を求めるようになった。
それぞれの事情が違うので、「ムラ」に保証されるものが少なくなる分、依存も減った。

つまり、相場が空洞化し、「世間の目」が「個人の目」にとってかわった。
個々人が自分のルールや相場を持ち出し、お互いがストレートにぶつかる。自分の都合にさえあえばと開き直っているのだ。公共は単なる利用するだけのものとなってしまった。それがイラつきの正体だと思う。

アメリカ人はなぜパーティーが好きか。日常も仕事もあらゆる場面でパーティーをしたがる。新しくところに引っ越した時は、必ず近所の人を招いて、自分の家を公開して、家族も紹介するという「オープン・ハウス」パーティーをする。自分は何者かを周囲に知らせ、周囲を安心させるためにとても重要な儀式なのだ。相場がないからこそ、直接コミュニケーションをとり、敵意がないことを自らアピールする場がパーティーなのだ。そして、直接コミュニケーションが取れない知らない同士が共に過ごす場において、ルールを大事にする。

そのルールとは、誰かが一方的押し付ける「決まり事」ではなく、当事者同士が話し合って見つけた折り合いところなのだ。
そして、何よりも大切なのは、ルールはみんなの利益につながるフェアでなければいけない。他人の利益を守ることは自分の利益を守ることになる、それがパブリックなのだ。

これまでの「相場」にこだわるのではなく、一人でも多くの人が「パブリック」というお互いの利益になるルール作りの原点に立ち返り、もう一度考えなおすことがイラつき止めの処方ではなかろうか。

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2018-08-22 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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