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社会人になってしばらく間違っていたこと。


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記事:haLuna(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
私はその昔コンプレックスの塊で、それも、具体的に何かについてというより、ふんわりと「社会性がない」「人と同じに、人並みのことができない」というコンプレックスを全方位的に発揮していて、そして、そのまま社会人になった。
 
そんなふうに社会に出てしまったので、とにかく(人からどう見えていたかは別にして)卑屈からのスタート、だったわけだ。
就職したのが、地方――自分とは縁のない土地の企業で、地元の子ばかりが働く中でたった一人、親元から遠く離れて(つまり、少々「雑な」扱いをしてもそうそう親が出てこない)、しかもおどおどした子が入ってくれば、人の鬱憤はそこに向きやすい、ということは今ならわかる。
その時の店長が、これまたとんでもないいじめっ子で、その店長が率先して嫌がらせのようなことをしたり、仕事を与えなかったり、臭いと言ったりトイレに行く回数をチェックしたりするものだから、先輩も同世代も、パートさんまでもが標的にしてくるようになってしまった。
 
そのとき、皆にひたすら言われたのが
「気が利かない」
「空気が読めない」
「社会人失格」
という言葉だった。
 
私はその時期に「発作性上室性頻拍(PAT)」というものを発症して、循環器科のICUに3日間入院したのだけど、いざ退院するとなったとき、すぐに社長が車で迎えにきて、家にも帰らせてもらえずシャワーも浴びていなくてベタベタのかっこうのまま、とにかく職場に連れて行かれた。
そして、そのまま「ご迷惑をおかけしました」と一人一人に頭を下げさせられた。
その時でさえ
「体、弱すぎるんじゃないの」
「社会人として、なってないんじゃないの」
と半笑いで言われたのだけど、当時の私は「迷惑をかけてしまった」という自己嫌悪でいっぱいで、恥ずかしくて情けなくて、
それらの言葉も全部助言として、ありがたく受け入れこそすれ、反発するなんてとんでもないものとして受け入れた。ひたすら謝った。
入院していた3日間、脈が190から下がらなくて、ひと晩超えたあたりから嘔吐が止まらなくなり、食べるどころか眠ることもできないでいた、その翌日であっても、
 
『そうするのが社会人だ』と教わった。
 
3年、その職場ではがんばった。
 
 
転職してからも、その頃に培った「社会人なら、どんな助言もありがたく受け入れるべし」
という認識は健在だった。
ある時やっぱり唐突に、飲みの席で年上の(だけど、上司でもなんでもない)人から
「あなたはダメ。社会人としての常識がない」
と言われた時も、もうほとんど条件反射的に
「私のどういうところがダメでしょうか。よかったら、教えていただけませんか」
と敵意なく返してしまった。
本気で直そうと一生懸命聞いてみても、どうも具体的でなくて、はっきりしなくて、ただ「言われてわからないということは、私はやっぱりだめなんだなあ」と思い、ひどい自己否定感だけが残った。
 
今にして思えば、その人は「常識がない」と言うに至った事柄について当事者でもなく、私が連絡や報告を欠かしていなかったことも知らなければ、ただ見えたことの印象でものを言っただけで、そこに具体的なアドバイスもなければ愛もなかった、と思う。
そして、私も私で「懐に飛び込んでいくポーズ」を取ることで、必死にアピールをしていたにすぎなかった。何が悪いのかもわからないまま、私はだめな子じゃないと思われたかったし、自分でも思いたかった。まさに、心の底から「隷属」していたのだと思う。
 
世の中には愛のある人もたくさんいる。同時に、無責任に好きなことを言う人だって山ほどいる。
だからこそあえて、今、勇気を出して言ってみる。
「社会人なら、どんな助言もありがたく受け入れるべし」
よりも、
「社会人なら、卑屈になってはいけない」
こっちのほうが、ずっとずっと大事だ。
 
社会人になって「保護者」の手から離れて、自分の身を守るのも自分、になっていくからこそ、忘れてはいけないこと。
少しでも落ち度があればどんな目に遭っても「自業自得」という空気は、私の件だけでなく、世の中にあふれている。だけど、
自分で自分のことを蔑んではいけない。
嗜虐性を選んで、自ら飛び込んでいってはいけない。
新人だろうが中堅だろうが、自分という人間を誇ることや、大切に思うことを害されてはいけないし、価値観や自尊心を誰に対しても明け渡してはいけないのだ。
素直であることと、卑屈であることは全然違う。
素直であることと、盲目的であることも全然違う。
新人であることは愚かであることではない。
消極的な没コミュニケーションは、美徳でもなんでもない。
謙虚であることは大事だけれど、卑屈になっちゃだめだ。
そして、友達だって親だって、究極は、自分とは違う人間。味方になってくれないこともある。そんな時、まっさきに耳を傾けるべき相手は自分だ、ということを忘れてはいけない。
 
自分という船の舵を取るのは、いつだって自分だ。

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2018-08-29 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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