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父の死は、父からの最後のギフトだった


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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原稿:植松真理子 (ライティング・ゼミ 日曜コース)

 
 
 実家の玄関を入って一番近くにある和室が、父の寝室だった。
その日は会社を定時に退社してから帰省したので遅い時間になっていたが、玄関を入ると荷物をもったまま父の寝室に直行し、
「お父さん、ただいま。体調悪いんだって? 今日は調子どうだった?」
と声をかけた。父は布団に寝たまま、首だけを動かして私の顔を見て
「おかえり」
といって、涙をこぼした。
 
ショックだった。
 私が子供の頃に単身赴任の期間が長かった父とは、それほど一緒に遊んだ記憶はない。だか、家に帰ってきたときの母の歓待ぶりから、父はすごい人なのだと思っていた。私は父が40歳の時に生まれた子供だったので、年功序列の当時、クラスの同級生のお父さん達よりもちょっぴり偉い役職についていて、それを自慢にも思っていた。
その父が、今、弱々しく横たわっている。横たわっているだけではなく、私の顔をみて涙をこぼしている。
  
 母は私が帰るのを起きて待っていて、居間でお茶を入れてくれた後に「どう思った?」と聞いてきた。
「ショックだった」
と正直に言うと、母もポロポロと涙をこぼした。
 父がこんな状態になるまで、母は一人で不安に耐えていたのだ。
 
 あの時の光景は、父の13回忌を過ぎた今でも鮮明に思い出せる。私が精神的に子供ではなくなった瞬間だったと思う。
 
 あの日の私の帰省は、父がかかっている病院から「検査の結果を説明します。できれば、どなたか別のご親族の方も同席いただければ……」といわれ、母が私を呼び出したからだった。重大な病名を告げられるであろうことは予想していたが、やはり父は、癌であると告げられた。その後入院し、いくつもの検査を経て、既に手術できない状態であること。余命は半年くらいである、と改めて告知された。
 
今であれば、病名は本人に告知されることが基本らしいが、あの当時は本人には伝えないほうが多かった。母もそうしたいといったので、父には告知せずに、できるだけ普段通りの生活を長く過ごすことを目標にして、抗がん剤で自宅療養をすることにした。
父は退院を喜んでいたが、徐々に衰えていく自分の体力と癌性疼痛にイラ立って、周囲にあたることが多くなり、母一人では体力的にも精神的にも支えきれなくなって、私も仕事を辞めて、実家に戻ることにした。介護離職という言葉が登場する少し前の出来事であり、会社の中に利用できる制度などはなく、また実家近くで利用できる訪問看護&介護サービスもなかったからだ。
 
父は、余命宣告のあった半年を過ぎて生きた。
父が小康状態の時は、私は「これまでの私のキャリアがゼロになってしまう」「早く働き始めないと、年齢的にどこからも雇ってもらえなくなる」などと焦り、それが父の死を願っていることと同じだと気づいて自己嫌悪に陥ったりした。 
父の体調が悪くなった時は、父の死が近いことを受け入れられずに、母に隠れて庭の草の中で泣いたりもしていた。母も似たような状態で、2人とも精神的なバランスがおかしくなっていたと思う。
そして父の病状は確実に進んでいき、告知から1年半がたった頃、とうとう亡くなってしまった。
 
母と私はしばらく呆然としていた。しかしそのうち母は、私との同居は拒み、父と暮らしていた家で一人暮らしを始めた。そして自分の健康に気を使い始めた。食べるものに気をつけ、運動サークルを自分で探して参加するようになった。これはおそらく、私を再び自由にするために、自分はできるだけ長く健康でいなければと思ったのだと思う。
「お父さんがくれた時間を大切に使わなきゃ」といって、会合や旅行にもよく出かけるようになった。夫を亡くして独り身になった母の友人たちの、相談相手になったりもしていた。周囲から「気楽で羨ましい」などといわれることもあり、母は憤慨していたが、そういわれるほど、母も自由な時間を過ごしている。
 
私にも変化があった。まず、母との時間の過ごし方が変わった。母の食べ物の好き嫌いや親しい友人や親しくない友人、昔の仕事で嬉しかったこと、どう終末期を迎えたいかなども聞いた。父の介護の際の反省からだ。
仕事を辞めてしまったので、当時思い描いていたキャリアは変えるしかなかったが、仕事に対する価値観が変わり、「自分らしくいられることが一番大切だ」と思うようになった。よくストレスを貯めていた私が、こだわりが減り、少し穏やかになったのではないかと思う。
  
 父の死によって、残された母や私は、「よく生きよう」という努力をするようになった。その意味では、父の死は、父からの私たちへの最後のギフトだったのではないかと思う。
もちろん父の死は、今思い出しても悲しいし辛い。しかし、大喜びで受け取るものだけが、ギフトではないだろう。悲しいけれど、できれば受け取りたくなかったけれど、ギフトだったと、今、しみじみと思っている。

 
 
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2018-09-05 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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