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最期のお別れが教えてくれたのは


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:濱田 綾(ライティング・ゼミ平日コース)
 
「人って亡くなったときに、ようやくその人生が分かるのかもしれないね」
 
テレビを付ければ、皇太子さまと雅子さまのご成婚のニュースばかり。
周りは、おめでたい雰囲気に包まれている頃。
母がポツリとつぶやいた言葉が、子供ながらに重たかったのは、今でも覚えている。
 
 
「あーあ。せっかく学校休みなのに、何にもテレビやってへん」
小学生だった私は、いとこと制服を着たまま、チャンネルを回していた。
どこもかしこも、世紀のご成婚パレードやなれそめの映像が流れている。
「つまんないなぁ。遊びにもいけへんし」
「おそうしき。もうすぐ始まるらしいで」
「おそうしきって何?」
「お別れやって。おじいちゃんとの」
そんなお別れの意味もよくわかっていなかった、あの頃。
黒い服を着た大人たちが、続々と家にやってくる。
何だか怖いような、何も話せなくなるような雰囲気が漂っていた。
 
祖父は明治生まれの、昔ながらの人。
お別れのときの顔はもう思い出せないけれど、白黒の写真は、にこりともしていない。
何かあるとちゃぶ台をひっくり返すような、昔ながらの大黒柱。
毎日、毎日日記をつけて、10年後の計画を手帳に記すような厳格な人だったという。
でも、おぼろげな私の中の記憶では、とても優しいおじいちゃん。
私は、小さなころからおじいちゃん子だった。
どこに行くのにも、おじいちゃんが連れて行ってくれた。
今思えば、もうその名の通り、いい歳のおじいちゃんだっただろうに。
膝の上で、難しい本を読んでくれたり。お風呂の中で、歴史の話をしたり。
たまに内緒のお小遣いをくれたり。
怒られたことは、思い出せないくらい。
私にとっては、そんなおじいちゃんだった。
 
そんな祖父が、脳梗塞で倒れたと連絡が入ったのは、寒い寒い朝のことだった。
命は助かったけれど、退院後、何だか様子がおかしい。
急にわけの分からないことを言い、近所を歩き始める。
何度説得しても急に飛び出す。
家への帰り道が分からない。家族も探しようがない。
服の背中に、連絡先を書いた布を縫い付ける。
今でいうと認知症なのだろう。でもあの頃は、世の中にそんな認識はなかった。
「あそこのご主人。何だか、おかしくなったって」
「あんまり関わらないほうが、ええよ」
あんなに盛んだった、ご近所との交流も少なくなる。
近所を徘徊するたびに、祖母が頭を下げにいく。
昼も夜もなく。家に鍵をかけても、大声は収まらない。
そのうちトイレも、何もかも分からなくなり。
家族総出で交代して、夜は一緒に眠る。
祖父はもちろん、家族も疲れ果てていた。
それぞれに、泣くか怒るかしかない日々だったと、今でも覚えている。
 
そんな時、山奥の病院の空きが出たという知らせをもらった。
同じような症状の方が入院されているという。
ただ、入院すると、面会は面会室でしかできない。
外出や外泊もできない。
一度退院すると、もう入院はできないという仕組みだそうだ。
ということは、ずっと入院?
そんなことが頭をよぎりながらも、疲れ果てた家族は、入院を選んだ。
入院後は、1週間に1回だった面会が、2週間に1回になり。
だんだんと、おじいちゃんが、おじいちゃんでなくなるようで怖くなって。
面会に行きたくないと思う私がいた。
最期に会ったのは、いつだったろうか。
目の前には一言も話さない、うつろな祖父がいた。
その後まもなく、亡くなったという知らせが入った。
 
 
そんな風に迎えたお葬式。
祖母も母も。叔父も叔母も。親戚も。
みんなそれぞれに想いを抱えていたんだろう。
悲しいだけではない空気を、子供ながらに感じた。
「本当にこれでよかったのか」
どこからともなく、ぽつりと発せられたその言葉が沈黙に響く。
 
そんな時だった。
ひとりの男性が受付にやってきた。
何でも昔、祖父が運送会社を営んでいたときの部下だという。
今は地元では、有名な会社の社長さんだ。
「私は昔、社長には本当にお世話になりました。あの時代、簡単には学校に行けませんでした。そんな中、学問を勧めてくれたのは社長です。親以上に親みたいなことをしてもらいました。私が今こうしていられるのは、社長のおかげなんです」
「もっと早くお会いできればよかった。もう一度お礼を伝えたかった」
 
この時私は、大人の男の人が泣くのを初めて見た。
祖母の手を握って、何度も、何度も伝えてくれた。
祖母の涙も、ようやく見た気がした。
 
それからも、次から次から。
参列してくださる方は、後を絶たなかった。
式が始まってしまい、受付を小学生の私といとこが、子供二人で行っていたほどだ。
家に入りきらないくらいの大勢の人に見送られて、祖父は旅立った。
 
「おじいちゃん、すごい人やったんやね」
素直にそう思った。
人が亡くなるという意味をよく分からないでいた、あの頃。
でも、たくさんの人が祖父のために来てくれた。
そのことの凄さだけは、しっかりと感じた。
 
「家族でも、おじいちゃんの一部しか知らなかったのかもね」
「人って亡くなったときに、それまでどうやって生きてきたのか。それが、見えてくるのかもしれないね」
「たくさんの人に想われて、おじいちゃんは幸せやったね」
そう話していた母の顔は、少し晴れやかだった。
 
 
今でも、あの時泣いてくれた社長さんの顔は、忘れない。
その一言で、私たち家族は救われた。
時間が経っていても、亡くなったときに泣いてくれるような関係って、どんな絆だったんだろう。
祖父は、どんなことを考えて、何を大切にして生きてきたんだろう。
もっと色んな事を教えてもらいたかった。
もっともっと、色んな時間を一緒に過ごしたかった。
何で、あの頃の祖父を怖いと思ってしまったんだろう。
何で、もっとお見舞いに行かなかったんだろう。
大好きなおじいちゃんだったのに。
大好きを伝えることもなく。ありがとうを伝えることもなく。
そんなことを思っても、時間は戻らないけれど。
 
そう、人が亡くなることは、最期のお別れという意味だ。
どんなに想いがあっても、もう伝えることはできなくなる。
でも、その人との日々を想うことは、ある意味でのスタートにもなる。
もう一度その人が、心の中で生き続けるスタートに。
あんなに多くの人の心の中にいた祖父は、きっと幸せだったんだと思う。
そして、私も含めて。
心の中に、誰かへの想いを持っている人も、きっと幸せだ。
 
 
命をつないで、想いをつないで。
時間はもとには戻らないけれど、未来につなげることはできる。
今ある想いは、きちんと伝えられるように。
心の中に生き続けている想いも、大事にしていけるように。
そして、いつか最期の時が来た時に後悔しないように。
そんな風に、日々を、人を大切にしていきたい。
 
 
今年、銀婚式を迎えられた皇太子さまと雅子さま。
時の流れを感じるニュースを横目に、そう思った。
 
《終わり》
***

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2018-09-19 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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