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バイバイ、ありがとうさようなら、愛しいイトーヨーカドー


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記事:太田晴信(ライティング・ゼミ木曜コース)
 
 
2018年9月16日。私は7年4ヶ月勤めたイトーヨーカドーを退職した。
Web制作と集客できるWeb運用のプロデューサーとして独立するため、イトーヨーカドーを辞めることにした。
イトーヨーカドーは私にとって、一番のお薬、向精神薬であった。
 
2005年10月にシステムエンジニア・プログラマとして8年10ヶ月勤めていた、ソフトウェア会社を辞めた。
正確には辞めたというより辞めさせられたのだ。
このソフトウェア会社時代はまさに激務。朝9時出勤から終電までが毎日だった。
休日出勤も多く、残業は100時間を超える月も多かった。
 
私が就職した頃は、会社が儲かっていたので待遇は良かった。
ボーナスも公務員より高く、超大企業の中堅社員並みにもらっていた。
しかし、景気に変動されやすい仕事のため、仕事がだんだん少なくなっていった。
少なくなったため、安いお金でも引き受けるようになった。
景気が良かった頃は「300万円は出さないとウチはやらないよ~」と言っていたレベルのソフトウェア開発も、「150万円でやらせていただきます」となった。
だから多忙なのに会社が儲かっていないというサイクルに陥った。
 
こうなると否が応でも会社はブラックになっていく。なりたくなくても存続するためにはブラックにならざるを得ないと言ったほうがいい。
私の勤めていた会社もブラック化していった……残業未払い……無理な人事異動……
 
その頃、激務は変わらなかったが、私が最も苦手とする管理職の仕事がついてきた。
要するに主任になるのだが、主任候補生という名前を使って主任手当はあげないけど、主任の仕事をしてもらうというものだった。
この辺はブラック企業らしい。
 
そんなこんなで、私のメンタルは破壊されてしまい、ついに心療内科に通うまでになってしまった。
長いこと放置していたので、症状はかなり重くなっていた。
医師のすすめで、会社を休職することにした。
 
しかし、休職してから1年6ヶ月、傷病手当がもらえなくなるこの時期に、私は会社に呼び出された。
そして、「来月末で、会社都合で辞職してほしい」旨を伝えられた。
 
今だったら、原因を作った会社によって発した病気で辞職させるなんてことはないだろうが、当時はまだメンタルの病気はメジャーではなく、病気になった人を保護する習慣もなかった。
 
私が休職していた間も会社は好転しなかったらしく、お荷物になっている部分を削りにきたのだ。
最初に、休職していて稼いでないけど、保険やら年金やら税金やらいろいろ会社負担が大きい私を辞めさせることにしたようだ。
 
言われるがままソフトウェア会社を辞めたのだが、病気はまだ治りきっていない状態だったので、とてもつらい状態が続いた。
 
それでも食い扶持を探さないといけないので、転職活動をするのだが、メンタルの病気になった人の扱いは、当時はひどいものだった。
だから、受けては落ち受けては落ちの連続だった。
 
また、受かって就職しても治りきっていないので、今度は身体がもたない。
強い薬を飲んでいたので、仕事が手につかず、1ヶ月も経たないうちに辞めることが多かった。
 
また強い薬のせいで、躁になったり鬱になったりするので、ボロボロの生活状態になり、大変自堕落な生活をするようになった。
有料出会い系サイトに騙されたり、エステに通うようになったり、親にも消費者金融にも多額の借金をした。
 
ボロボロの自堕落状態だった私に、ひとつのポスターが目に入った。
 
イトーヨーカドーでパート社員さんの募集だった。
正社員ではなくパートで、しかも5時間だったら勤まるかもしれない。
リハビリを兼ねて就職試験に望み、ちょうど人手不足で困っていたこともあって就職することが出来た。
2011年5月のことだった。
 
イトーヨーカドーに就職してからだんだん好転するようになった。
 
とにかく仕事が自分に合っていた。自分の判断で行動できて他人に拘束されないのが自分に合っていたし、
上司も学生アルバイトではなく社会人経験があるので、かなり自由にやらせてくれた。
そして、とにかく人間関係が非常に良かった。いじめとかもなく、やさしかった。
 
2013年に父が亡くなるのだが、パート社員にもかかわらず会社から花と香典、弔電を出してくれた。
直属の上司はお通夜まで駆けつけてくれた。
それくらいパート社員も正社員と同じくらい大切にする会社だった。
 
次第によくなっているのが見えたのか、だんだん重要な仕事を任せてくれるようになった。
人は任されると「頑張れと言われなくても頑張れる」ものだとよく言われるが、私はこの会社で役になっていることが実感できて次第に頑張れるようになった。
任されることがうれしかった。
 
こうして、メンタルの病気も良くなっていった。もう完治と言ってもいい状態にまでなった。
 
良くなると次第に欲も出てきて、もともとやりたかったホームページ制作と運用の仕事で独立し、ひとりで開業してやっていきたくなった。
2014年から下準備はしていたし、副業でやっていたので、手応えもあった。そして独立を決めた。
 
こうして7年4ヶ月仕事したイトーヨーカドーを退職した。
メンタルの病気を治すため、いろんな薬を飲んできたが、イトーヨーカドーが一番の薬になったのは間違いない。
 
転職ではなく起業で辞めることを知っている直属の上司が、
「本当は戻ってきてほしいけど、戻ってこないようにね」と最後に言ってくれた言葉が響いている。
私もそうならないように、勇往邁進する。

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2018-09-20 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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