メディアグランプリ

「ケ」の美しさこそ本物なのだ


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記事:田中智子(ライティング・ゼミ平日コース)
 
「幸せました」
祖母はゆっくりとお辞儀をして微笑んだ。
日傘をさした祖母の顔を見上げながら、まだ小さいながらも、私はその美しさに目を離せないでいた。
 夏になると、私は祖母を思い出す。祖母の美しい仕草や言葉を思い出す。
祖母には明治女の逞しさがあった。
私が一度も会ったことのない祖父である旦那さまを亡くし、5人の子供を育て上げた。
母からも伯母からも伯父からも、とにかく祖母の子育てがいかに明るく楽天的であり、時には強く、かつ上品であったかを何度も聞かせてもらった。
祖母は紛れもなく、人間として私の目標であり憧れだった。
こっそり、憧れ、だった。
何だか、堂々と憧れるには、あまりにも遠く、私とは全然違う人間のような気がしていた。
 
「ぱさつ。きゅっ。」
祖母のとなりで眠っていた朝、最初に聞こえてくる音だ。
起き抜けからピシっと着物をまとい、きゅっと帯を締める。鏡も見ずに完璧に。
そして、私を置き去りにして朝から書道をしたり、編み物をしたり、英語の勉強をしたりしていた。
80歳にもなろうという人が、きりっと背筋を伸ばして。
私は、ただただ目を離せずにいた。
その乱れない気と、スーッと流れるような時間と、密度の高い空気が不思議で仕方なかった。
他の人でも別の空間でも味わったことがなかったから。
 
祖母が亡くなり、その空気感を味わうことなく仕事に追われて時は過ぎ、忘れかけていた頃だった。
「あーー! この空気感! なんだ? 知ってる。すごく知ってるんですけど、この感覚!」
2006年。トリノオリンピック、フィギュアスケート。
誰もが知っている金メダリスト、荒川静香さんのフリースタイルだった。
あの時、リアルタイムで見ていた私は、確かにいつも通り、普通にその演技を見ていた、はずだった。
トゥランドットが流れる中、荒川さんはとても優雅に美しく氷上を舞っていた。
もちろんミスはない。柔らかくなめらかで曲線的で、オリンピックという大舞台なのだから特別なはずなのだが、何故だろう、あまりワクワク興奮してアドレナリンが出る感じではなかった。
とにかくゆったりと時が流れているように感じたのだ。
いつもとは確実に何かが違っていたし、他の選手とも明らかに何かが違っていた。
普段日本選手を応援する時は、ジャンプのたびに失敗するなよー、なんて偉そうに緊張しながら見ていたのに、この時は何なら安心感に包まれ、少しずつ、じわーっと、そしてどんどん、ぐわーっと、私は荒川静香さんの世界に吸い込まれていった。
やがて鳥肌がたち、イナバウワーの頃にはあまりの美しさに涙があふれ出た。
その演技は、とびきり派手なショー、という感じではなかったように思うのだが、他を圧倒する演技であり、世界中を魅了した。
とても印象的だったのが、画面に映りこんだ一人のカメラマンが、レンズを覗くのをやめ、直に荒川さんの演技をを観ながら感嘆の表情を浮かべ首を横に振っていたシーンだ。
よく外人の方がしている「Wow! Oh my god!」ってやつだ。
そして、私は祖母を思い出した。
 
最後まで美しく舞い続けた荒川静香さんの演技に、会場では初めてのスタンディングオベーションがおこり、金メダルという結果に世界中が納得し称賛した。
私ももちろんその余韻に浸っていたのだが、一方、別の喜びにも満ちていた。
ずっと好きだった、あの祖母と一緒にいた時の感覚を思い出したからだ。
一体、この素晴らしい5分間の何が、祖母と同じ空気感だったのだろう? 
 
それから私はずっと考え続けていた。
そして、考えて考えて。10年以上の時を経て、あー、そうか! そういうことかも! と思い立ったのである。
それは、『日常』という言葉だった。
世の中には「ハレ」と「ケ」という状態がある。陰と陽のような関係だ。
非日常と日常とも言えるのだが、沢山の方々と仕事の企画をたてたり、悩みのお話を聞いていると、生きがいのために「非日常」を作り出していたり、「非日常」のイベントを提供していることに気付く。ディズニーランドもそうだろう。
その「非日常」はとても楽しく、派手なインパクトもあり、特別感がある。
麻薬性をもって、日常に戻るとまた行きたくなる。悪くない。楽しいのは良いことだ。
でも、私は思うのだ。これでは、日常が可哀そうだし、日常の自分たちが切なすぎる。
日常の世界にいる時間の方が人生ではずっと長いのに。
 
「ハレ」は特別であり瞬発力と爆発力がある。まさに一瞬のきらめきである。
そこに人は魅了されるし、自分でもそんな美しさを身につけようと努力する。
衣装やアクセサリー、髪型やメイク、小物から立ち姿、声の出し方や話し方まで。
でも「ケ」の美しさはずっとそこにある美しさだ。長い時間のなかで自然と自分のものになった美しさ。
派手さはないが持続性があり、自然とあふれてじわっと奥まで染みわたる。
私には、その美しさこそ圧倒的な魅力に感じられるのである。
 
祖母は知り合いと街で会うと別れ際に必ず「幸せました」と笑顔で言いながらゆったりとお辞儀をしていた。
あー言ってみたい。小さい頃から思い続けているのに未だに私には言いこなせない。
そうだ。まずは背筋をのばして、笑顔で優しく焦らずゆったりと。
潤いのある日常を生きていこう。
堂々と祖母に憧れることができる日がくることを信じて。
 
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2018-09-27 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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