メディアグランプリ

鍋物はメディアか?


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:伏見英敏(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
「そう言えば、土鍋ってどこにしまったかな」
 
新居に越してから、IHのキッチンになってしまって、出番がなくなっていた土鍋を戸棚の奥から引っ張り出した。直径30センチを超える大きな鍋だ。結婚前に赴任先の福岡で購入したものだから、もう20数年も前のもので、相当いろいろな出汁を吸い込んでいる。東京に転勤した時にも、結婚後に大阪に単身赴任した時にも帯同し、妻よりも長い年月を過ごした愛用の鍋である。防災の観点からも新居のキッチンはどうしてもIHが良いと珍しくかたくなに主張する妻の意見に従い、その鍋はいつの間にか戸棚の奥が定位置になってしまっていた。
 
 
就職して最初の赴任地の福岡は食べ物の美味しい土地柄だった。私は、気ままな一人暮らしゆえに、本能のおもむくままに福岡の味を堪能した。その結果、65キロだった私の体重は、1年後に前年比120%を超えてしまった。福岡には、フグ鍋やクエ鍋の高級料理もあるが、それを囲む機会はなかなかない。ただし庶民的な食べ物は、常に私達のおなかを優しく満たしてくれる。イカや鯛の刺身、屋台のラーメン、牛さがりの串焼き、鳥の水炊き……。その代表格はと言えば「博多もつ鍋」だろうか。赴任してすぐに仲間4人で食べに行った時のこと。
 
「おーい、こっちにもつ鍋10人前、持って来てくれちゃんない!」
「えっ、今、10人前って言わなかった?」
「ああ、野菜はすぐにシナってなるけん、4人で10人前くらい大丈夫たい」
 
地元の若い衆が言う通り、10人前のキャベツとニラの山盛り鍋は、いつのまにかちょうどいいくらいのカサになっていた。昆布と鰹の出汁を使ったしょうゆ味のスープに、牛や豚のホルモンを放り込んで、キャベツとニラとニンニクに鷹の爪。いたってシンプルであっさりしているのに、味が濃くてまた食べたくなる代物だ。グルタミン酸とイノシン酸がガッチリとスクラムを組んで、どんどん押し込んでくるような旨味なのだ。冷たいビールと熱い鍋物でおなかは満たされたはずなのに、仕上げはチャンポン麺。ああ、これもまた別腹の至福。今思えば、あんな生活を続けていれば、体重の前年比20%増も無理からぬことだ。30過ぎで増えた体重は、残念ながらいまだに高原状態を保ったままである。
 
 
「たまには土鍋で鍋物しよう」
 
酷暑が過ぎ去り、急に涼しくなった先日、愛妻より古いつきあいの土鍋を戸棚の奥から引っ張り出した。ふちの欠けたところが数か所あったが、まだまだ立派に現役。釉薬のかけていない素焼きの部分は、焦げ目がついて貫禄十分だ。外側はたわしで、内側はスポンジで洗っていると、なんだかウキウキしてきた。
 
 
土鍋に水を張り、函館の妻の実家から送ってもらった昆布を沈める。2~3時間寝かせてから土鍋をカセットコンロの火にかける。フツフツと煮立って来たら昆布を引き上げ、鰹節を詰め込んだ出汁用のパックを3袋ほど突っ込んで2~3分。このグルタミン酸、イノシン酸の強力タッグが上手に出来上がると鍋物はほぼ成功したようなものだ。
「よし、よし」
ちょうどいい塩加減の出汁ができた。
 
「パパ、なんだか楽しそうね。今日は何のお鍋?」
大学生になったばかりの娘が嬉しそうにやってきた。普段は遊びに行って親と夕食をする機会も少なくなってしまった娘だが、急に寒くなって外出する気も失せていたのだろうか。
 
「鳥の水炊きだよ、ママの好きな塩味でね。ポン酢を少し入れてもOKだよ」
 
白菜のざく切り、白ネギの適当切り、椎茸、エノキ、ねじり蒟蒻、焼豆腐、鶏のもも肉どっさり。大きい土鍋を使うと、アレも入れたいコレも入れたいとなるところだが、不要な味の混濁を避けるために割とシンプルにした。
 
「こうやって見ていると、お鍋ってメディアだね」
湯気が立ち上がってきた鍋を眺めながら娘がつぶやいた。
「メディア? お鍋がかい」
大学で何を学び始めたのか、時々私には理解しがたいことを言う。
「例えば今夜のは、鶏の水炊きがテーマでさ、鶏のもも肉を含めた具が情報なんだよ」
なるほど、そういう情報を乗せる器がお鍋ってわけか。
「じゃあ、出汁は、さしずめ社是ってところか」
「あっ、それいいね。受ける~!」
たいていのお鍋の出汁は昆布と鰹節だし、たいていの大メディアの社是は『中立公正』かなんかだし、似たようなものだ。
 
 
土鍋にいれた具材が煮えるまでの間、娘との珍問答をしながらふと思った。
出汁の使命はくどすぎず、しっかりとした力強さで具材の旨味を引き出すことかな。
じゃあ、お鍋の目的ってなに?
 
もちろんメインの具材のおいしさを楽しみ、それぞれに影響しあって醸し出す脇役たちを楽しむのも大きな楽しみである。でもそれだけではない。
 
福岡で大きな土鍋を前にひとり鍋を楽しんでいたころと比べると、妻と二人で囲んだお鍋の方が格段美味しかった。単身赴任で寂しい冬の夜は、また大きな土鍋に励まされた。東京に戻って娘と三人で囲んだお鍋はテーマは何だったか覚えていないけれど、なんだかとても楽しくて美味しくて嬉しくて……幸せだった。これから家族が増えるかもしれないし、もしかしたらまた一人で寂しく土鍋を前にするかもしれない、いや、それはごめん蒙りたい。
 
お鍋は、幸せな思い出を紡ぐメディアではないだろうか。私達自身の思いを乗せるメディアではないだろうか。
 
娘が結婚して伴侶を連れて来たり、孫ができて大家族になってもお鍋の湯気の向こうには、美味しい楽しい笑顔しか似合わない。きっとこの大きな土鍋もそれを望んでいるのではないかなと思った。
 
 
「あっ、これこれ、そのお肉はまだ煮えてないよ」
「好き嫌いしないで、ちゃんと椎茸やおネギもたべなさい」
 
「ああ~、またパパの鍋奉行が始まった~」
と娘が笑いながら文句を言う。
 
「お奉行さま、指図するばかりでなくて、時々アクも取ってちょうだいよね」
とママ。
 
「いやいやそれは、奉行じゃなくてアク代官の仕事だよ」
 
 
***

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2018-10-03 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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