余韻は、静かに叫ぶ
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:岸本高由(ライティング・ゼミ平日コース)
「シーーーン」
彼が渾身のギャグを繰り出したとき、場内は非情にも水を打ったように静まり返った。
というような場面で、必ずコマに書き込まれているのが、この、シーーーン、という効果音だ。マンガの話である。
誰かが言っていたが、この「シーーーン」を最初に使ったのは、マンガの神様、手塚治虫先生だとか。これはもう、大発明である。何しろもう、多分100パーセント全員が、この「効果音」が無音状態を示していることを知っているんだもの。
ぼくはマンガが好きすぎて高校生の頃はマンガ家を目指していたので、この辺の作法というか、マンガの文法というのを覚えようとして、当時は「マンガ家入門」とか、「マンガの秘密」とか、そのたぐいの入門書を読みあさっていたんだけど、まぁ先人の知恵というか、発明の数々ったらすごいのだ。音の出ないメディアであるマンガに、いかに聴覚を刺激できるような表現を持ち込むか? あるいは、映画のように時間をコントロールできないところに、どうやって「間」を作ったり、テンポよく展開するためにコマ割りを工夫して、縦長や横長のコマを発明したり、真っ黒な画面や、2ページぶち抜きの見開き画面や、驚きを表すのに白目になる、とか枚挙にいとまがない。
野球マンガでピッチャーが剛速球を投げる。腕の振りが速すぎて、腕の先の方はブレる線で描かれる。バッターボックスで待ち受けるバッターの表情のドアップ、頬の上をツツっと流れる汗。そして球はキャッチャーの構えたミットに、寸分たがわぬコントロールで収まる。
「パシィィィィッ!」
すごい威力だ。バッターは見逃しの三振。スリーアウト、試合終了!
みたいなシーンでよく出てくる、この、小さい「ィ」。
しかし、なんだこれ? 「パシーッ!」じゃダメなのか?
ダメなのだ。豪速球がミットに収まったときに、その球の威力を表現するのに、どうしてもこの小さい「ィィィィッ」が必要なのだ。ぼくらはその理由はわからないが、なぜ必要なのかはわかる。
そう、迫力が違う、迫ってくるものが違うのだ。作者が伝えたかったのは、このピッチャーの投げる球の、パワーなのだ。ただ速いだけではない、そこに魂がこもった、渾身の一投なのだ。その魂の叫び声の余韻が、「ィィィィッ!」なのだ。その思いを、魂の叫びを、ぼくたち読者は、暗黙のうちに受け止めているのだ。手に汗がでてくるのだ。
マンガは絵と、セリフと、文字として書かれる効果音で出来ている。その限られた表現の中で、作者は様々な工夫や発明をしながら、なんとか伝えたかった思いを伝えようと努力する。ぼくたち読者は、その微妙なディテールから、言葉にならない情熱を無意識レベルで受け取っていく。
こうやって文字で書いているから、これは自己矛盾に聞こえるかもしれないけれど、言葉というのは、かなり不完全なメディアだと思っている。頭の中や心で感じたことが、言葉で100パーセント伝わることは不可能だ。恋人同士でも家族でも、100パーセント言葉だけでわかり合えるなんてことは、まずない。だからぼくらは想像力を使う。言葉で語られなかった気持ちや情熱を、想像するのだ。ときに誤解や思い込みもあるのだけれど、そうやって思いやりながら相手のことを考えることが、人間関係を作っていく。
美術館で、キャンバスに描かれた油絵をじっと見る。風景画なのか、人物画なのか、抽象画なのかにかかわらず、近くでじっと見れば、作家の絵筆の跡を、はっきりと見ることができる。その筆致の強さや弱さや流れ方から、ぼくらは無意識に作家の感情の動きを想像している。想像するうちに、その気持ちと自分の気持ちのどこかがシンクロナイズする瞬間があったりする。そんなときぼくらは、時間と場所を超えて、作家の人生とつながったような感覚をもつ。
映画館で、映画を見る。ドラマが進行していく中で、ふと、美しい湖畔の朝靄のシーンに、なぜだか涙する。言葉で説明されたわけではないが、ぼくらはその瞬間、作り手の感情を無意識に受け取っているのだと思う。マンガ家が効果音のカタカナに込めるような、言葉にならない感覚や情熱が、この場合は切り取られた映像で語られているのだ。
もっと抽象的なものでもいい、例えば昔の車のデザイン。カーデザイナーが紙の上でスッとひいたエレガントな曲線を、なんどもなんども職人が削ったり叩いたりして立体にしていく。その車に乗り込み、その曲線に触れるたびに、ぼくらは職人やデザイナーの想いを無意識に受け取っている。
iPhoneとかAndroidの画面だってそうだ。アイコンがズラッと並んだホーム画面を、次のページ、次のページと指を横にスワイプして進めていき、最後のページまで来たとき、スワイプしたらちょっとだけ動いて、ボヨンと戻る。あのボヨンのデザインをした人がいるのだ。ぼくらは無意識に使いながら、そのデザイナーの想いを共有する。
言葉でなんでも全部説明できるなんて思うのは傲慢だ。想いや情熱の、言葉にならない叫びは、無意識で伝えようとしなければならない。細部かもしれないし、気づかれないかもしれないけれど、ぼくらは作り手として、そこを絶対に軽視しちゃいけなくて、こだわって仕上げないといけない。こだわって仕上げたものは、受け手の無意識にどこかでシンクロしていくはずだから。
4ヶ月続いた、この「ライティング・ゼミ」の課題も今回で最終回だが、
パシィィィィ! と、余韻を残しながら読者に届く、そんな球を投げられるようになるまで、もう少し書き続けていきたいと思う。
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