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国語辞典はサービスの鑑


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記事:岡 健一郎(ライティング・ゼミ木曜コース)
 

神戸から金沢への列車の旅の前日、息子が「車中で読んでみてよ」と一冊の本を渡してきた。本のタイトルは「辞書になった男 ケンボー先生と山田先生」。ケンボー先生とは変わった名前だが全く記憶にないし、山田先生という名前はどこにでもあるが知り合いにはいない。「辞書といえば金田一先生だろう」といぶがしげに表紙を見ながら旅行カバンにしまっておいた。
 
金沢からの帰りの車中でこの本のことを思い出したので読んでみた。この本は多くの人が使ったことがあるであろう「三省堂国語辞典」と「新明解国語辞典(こちらも三省堂)」というふたつの国語辞典の編纂者であるケンボー先生こと見坊豪紀(けんぼうひでとし)さんと山田先生こと山田忠雄さんの二人が絡み合った人生ドラマでとても面白い実話だった。ぜひ多くの方に読んでもらいたい。
 

金沢から自宅へ帰った私に息子が近寄ってきて「どうだった?」と聞いてきた。貸した本の感想を聞いてくること自体が非常に珍しいことなので「時間がなくて読めなかった」と言わずに済んでホッとしながら、「良かったよ」と告げた。すると息子は嬉しそうに「実はね」と言いながら自分の部屋に戻り何かを持ってきた。それは「三省堂国語辞典 第三版」だった。まさに本の中で重要な役割を果たしていたのがその「第三版」だった(その本の中での役割についてはぜひ本を読んでみて欲しい)。第三版の発行は初版が1960年12月10日、今から58年前である。どうしてそれを息子が持っているのか不思議に思って聞いてみると以前に家内が使っていたものをもらったらしい。手元にあるのは1982年2月1日発行の第3版(こちらは増刷の方の版)。これなら確かに年代的には不思議ではない。
 

ところで皆さんは国語辞典の最初に書かれている「序文」を読んだことがあるだろうか。私もそうだが大多数の人は序文を読んだことが無いだろう。私は国語辞典なんてどれも同じと思っていたし、ことばを調べるだけにしか使っていなかった。しかし、この序文には著者とも言うべき編纂者の思いが強く著されていることを本で知った私は三省堂国語辞典 第三版を手にした時、真っ先にこの序文を読んでいた。その最初は次の文章で始まる。
 

辞書は“かがみ”である ― これは、著者の変わらぬ信条であります。
辞書は、ことばを写す“鏡”であります。同時に、
辞書は、ことばを正す“鑑”であります。
(三省堂国語辞典 序文より)
 

この後も序文は続き約2頁に纏められた三省堂国語辞典 編纂主管であるケンボー先生の想いが著されている。その重要である前半部分は最後に載せるので後ほど見てもらいたい。
 

ところで三省堂国語辞典は「中学生」を対象に創られたそうだ。信条を基に「利用者である中学生にわかる言葉で、しかし大人にも不足のない説明」を念頭に言葉の説明=語釈や用例が書かれている。実物を見ていると、本では触れられていないが序文と本文(辞書の部分)の間に「ことばのさがし方」と「目的に応じた辞書の使い方」という表題があることに気が付いた。その中見出しには「見出しに見つからないことばの探し方」や「送りがなのつけ方が知りたいとき」といったとても平易な表現で詳しい辞書の使い方が書かれていた。実際の説明の文章を読むと「この辞書はこんな使い方をするとこんなときに役に立つよ」という想いが伝わってきた。また「いろいろの形がある言葉」をまとめている説明の例として「こんがらがる」ということばを載せているというユーモアも見つけた。気が付くと「国語辞典ってこんなに面白かったっけ」とつぶやいていた。

子供のころから「辞書は正しい意味が書かれているもの」としか考えていなかった。しかし、改めて考えてみると“ことば”は発する人の意思によって異なる解釈ができるものだ。辞書に書かれていることばの説明をしている“ことば”にも書いた人の意思が反映されていてもおかしくは無い。小説とは違い、ある種の公的なものとして捉えられがちな“国語辞典”において“ことば”の使い方や選び方にはとてつもない大変さがあることが今は少しわかった気がする。使う人はなかなか気づかない、すなわち利用者が意識しないからこそ、その内容は考え抜かれたものであるべきだし、そこに信条が必要なのだと思う。
利用者や消費者の事を考えに考えて、本人たちが意識していないレベルまでその効果や満足度を高められた仕事、いつかは「そんな仕事をした」と胸を張って言える日が私にも来るように日々の仕事に向き合いたい。国語辞典こそがサービスの鑑だと気づいたのだから。
 
 
三省堂国語辞典 第三版 序文
 

辞書は“かがみ”である―これは、著者の変わらぬ信条であります。
辞書は、ことばを写す“鏡”であります。同時に、
辞書は、ことばを正す“鑑”であります。
“鏡”と“鑑”の両面のどちらに重きを置くか、どう取り合わせるか、それは辞書の性格によってさまざまでありましょう。ただ、時代のことばと連動する性格を持つ小型国語辞典としては、ことばの変化した部分については“鏡”としてすばやく写し出すべきだと考えます。“鑑”としてどう扱うかは、写し出したものを処理する段階で判断すべき問題でありましょう。
“そのことば”を見出しに立てる、ということがまず大切です。
そのことばが社会にあることを知り、次に、そのことばが辞書にないことを知る―新しい見出しが辞書に立つまでには、この二つの手続きがどうしても必要です。そして、その手続きの可能にする方法はただ一つ、用例を採集することであります。
(後略)
編集主幹 見坊豪紀
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2018-10-04 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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