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元ビジュアル系バンドマンの僕がセミナー講師にジョブチェンジした理由


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記事:黒崎英臣 (ライティング・ゼミ朝コース)

 
 
「俺もあのステージに立ちたい!!」
 
2007年4月のシンガポール。たまたま友人に誘われ参加したセミナーで、外国人スピーカーのエネルギー溢れるプレゼンテーションを見て、僕はセミナー講師になることを決意した。
 
当時の僕は、人生に希望が持てない人間だった。
 
そのころ僕は、父親の経営するハウスクリーニングの会社を2代目社長として手伝っていたが、毎日が退屈でしょうがなかった。社長と言っても、現場仕事が多い。しかも、ひとり作業。朝から晩まで一人で作業している。しかも、休みは日曜日のみ。それも、何かトラブルがあると日曜日も仕事だ。ひとり作業による孤独感とハードワークで、心が休まるときがない。この先、何十年もこの仕事をしていくのかと思うと、恐怖しかなかった。
 
この仕事を辞めたいと何度も思った。しかし、僕が働いているのは、父親の会社。僕は2代目社長であり、後継ぎ。大学卒業後、僕はバンドでプロを目指していた。フリーターでアルバイトしながら、バンド活動。ビジュアル系だったのでメイク代や衣装代などもお金がかかる。バンドは大して売れなかったし、お金もなかった。でも、毎日が楽しく充実していた。しかし、バンドは解散。ミュージシャンの道を諦めた。
 
バンドが無くなったとき、僕はこの先どうやって生きていけばいいのか分からなかった。人生の何の目的も持たず、生活のためにバイト先に向かう毎日。退屈でしょうがない。そんなある日、父親から電話があった。
 
「会社を手伝ってくれないか?」
 
僕は迷った。というのも、あまりやりたい仕事ではなかったからだ。しかし、これまで散々両親に心配と迷惑をかけてきた罪悪感が多少なりともあり、会社を継ぐことが親孝行だと考えた僕は、父親に会社を継ぐことを伝えた。父親は、相当嬉しかったのだろう。「ありがとう」とは言わないものの、それまで聞いたことのない嬉しそうな声色で「わかった」と答えた。この時の父親のうれしそうな声は今でも忘れられない。僕も嬉しくなる、そんな声だ。しかし、この声を覚えているからこそ、僕は人生に希望が持てなくなったのだった。
 
僕は、肉体的にも精神的にもきつい父親の会社を辞めたいと思った。しかし、僕に何ができるかわからなかった。やりたいこともなかった。人生の目的を完全に見失っていた。ただ食べるために働くという、生き甲斐も働き甲斐も全くない毎日を過ごしていた。しかし、そのままでは結果は変わらないと思い、ビジネス書や自己啓発書を読み始めた。それによって、これまでより知識が増え、以前よりも違う視点で物が見えるようになり、様々な面白い生き方をしている人の情報も入ってくるようになった。しかし、どれもまだしっくりとこない。
 
そんなある日、友人からシンガポールで開催されるセミナーに誘われた。それは、世界トップスピーカーたちが十数名集まるセミナー祭りのようなもの。起業や働き方など色々なことが学べるらしいということで、そこに何らかのヒントがあると感じた僕は、バカンスもかねてシンガポールに渡った。
 
そのセミナーは、僕の想像をはるかに超えるものだった。大きなフラットなホールで参加者は2000人ほど。前方にはステージが用意されており、大げさなジェスチャーとユーモアで参加者を楽しませている。セミナーは日本の寺子屋のようなものだと思っていた僕は、非常に衝撃を受けた。プレゼンターの言葉一つで、参加者の表情が変わり、感情が変わり、熱狂していくのだ。僕は思った。
 
これは、エンターテイメントだ!!
 
バンドのステージを見ているような感覚を覚えた僕は、「セミナー講師になりたい!いつか、あのステージに立ちたい!」という想いが芽生え、セミナー講師として生きることを決め、シンガポールをあとにした。
 
日本に帰国後、どうしたらセミナー講師になれるか? その道を探し始めた。なにせバンドとハウスクリーニングしかしていないものだから、何を話せばいいのか分からなかった。しかし、本当にクリアすべき課題はそこではない。父親の会社を辞めること。休みが日曜日しかなく、その休みでさえいつ駆り出されるかわからない状況では、安心してセミナーに集中できない。そのため、アルバイトしながらでもセミナー講師として活動をしようと考えた。
 
でも、父親に退職の話をしようとするけど、なかなか切り出せない。会社を継ぐことが親孝行だと思っているから、会社を辞めることは親不孝だということになる。もしかしたら、勘当されるかもしれない。そんなことも思った。そして何より、僕が会社を継ぐと言った時の父親の嬉しそうな声を悲しみに変えてしまうのではないかというのが一番の苦痛だった。感情的に八方塞がり。セミナー講師になる夢を諦めたほうがいいのではないかと思うようになり、その気持ちをごまかすように毎晩、居酒屋で飲み歩くようになった。この時、僕の中から希望は消えた。
 
それから数か月、僕の想いは膨らむばかり。考えて考えて考えた結果、僕は親不孝をすることにした。勘当されることにした。僕はやりたいことをしたい。自分の人生を生きるために、父親と絶縁する覚悟を持ち、父親に退職を願い出た。すると父親は、二つ返事で、
 
「わかった。やりたいことはできるうちにやっておきなさい」
 
あっさりと承諾。父親に勘当されることもなく、退社し、セミナー講師としての人生をスタートすることになった。それから11年、今ではセミナー講師を育てるまでの実力がついてきた。
 
11年間、セミナー講師をしてきて感じることがある。人生の全ては、プレゼンテーションの糧であり、人を勇気づける種であると。プレゼンテーションは、ロックだ!! 以前、とある音楽番組で美輪明宏がこのように言っていた。「ロックは、生き様だ!」と。プレゼンテーションには、生き様が必要なんだ。僕が、海外のスピーカーに惚れたのは、そのプレゼンテーションに生き様が表現されていたから。そこにロックがあったから。だからこそ、ジョブチェンジを決意できたんだと思う。
 
僕がセミナー講師になったきっかけ、そこにあった苦悩、こうした人生を自分の言葉で堂々とさらけ出すことがプレゼンテーションで大切なことではないかと感じる。きれいな言葉で、正しい順番で話すことではない。その本質は、自分という人間をありのままさらけ出すこと。恥ずかしい、みっともないこともさらけ出す。それがロックだ。だからこそ、聴衆はその人を好きになり、話に耳を傾ける。海外のスピーカーにはそれを教わった。
 
あの時、目標にした世界トップスピーカーのようなロックなプレゼンテーションができるセミナー講師、これからもそうありたいと思う。

 
 
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2018-10-05 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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