誘(いざな)いの先にあったもの
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
【10月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事: 蓬莱 洋一 (ライティング・ゼミ日曜コース)
今日も満席だ。
1階席、2階席、3階席も満席だ。
一度座りたいと思っていた2階のボックス席も、やはり満席だった。
会場を訪れる年齢層は比較的高く、そのためか落ち着いた雰囲気が漂う。聞こえる談笑も、周りを気遣っているためか声のトーンは静かで上品に聞こえる。
ステージにはオーケストラ奏者が座る椅子が整然と並べられ、中央には指揮台がある。オーケストラが座る椅子の後ろには、何段あるであろうか白い階段が用意されている。
オーケストラ奏者が指定場所に着いた。続いて合唱団が白い階段を埋めてゆく。
やがて会場の明かりが落ち、ドボルザーク スターバトマーテルは始まった。
オーケストラが奏でる生の楽器の音は、デジタル化されたCDの音とは違って優しく体に溶け込む。そして、100名を超える合唱団の歌声がオーケストラの音色と共に共鳴するかのごとく魂に響く。ノンストップ1時間半の演奏は、心地良い時間と空間を与えてくれる。
関西フィルハーモーニーオーケストラと合唱団の合同演奏会に訪れるのが私の楽しみになっている。そして、この合唱団の団長は、私の大先輩である。
齢は80歳になろうとしている方だ。
私が30年ほど前に今の職についた頃には、その方はすでに要職にあり、雲の上の存在であった。ただ、同じ田舎の出身だということは誰かを通じて知っていた。ある会合で出会って話をする機会があったのだが、そこで私の母校の高校の、それも生徒会長をされていたということを聞いた。まさしく大先輩だったのである。それ以来、公私ともにお世話になっている。
「ボイストレーニングですか?」
合唱の練習は週2回あると聞いていたが、さらに個人的にボイストレーニングに通っているとの話には驚いた。
「個人的に、ですか?」
私は、思わず聞き返した。
「自分でまだ納得していなくてね」
返された言葉はさりげなかった。
その後も色々な話をしたが、と言っても大半は私の相談事ではあるのだが、その言葉は心に残った。
100名を超える団員を率いて年2回の定期公演を継続して行ない、しかも、会場はいつも満席だ。
私は、常々、継続というものは非常にパワーがいることだと思っている。
「やろう!」と言い出すのもパワーが必要だが、それを続けることはその何倍ものパワーがいる、そう思っている。加えて、個人的にボイストレーニングだ。私は自分が小さく見えた。
その大先輩が今年の夏、団長を退かれた。団長として最後の演奏会の数日後、メールがあった。
「引退はしますが、ボイストレーニングはこれからも続けます」
その言葉は、あまりにも深く重かった。
そして、その言葉は後に、私を後押しすることになったのだ。
娘が京都に住むようになって以来、京都の街歩きが一つの楽しみになっている。特に、東山、祇園界隈は幾度となく訪れている。
神社仏閣はもちろんのこと、おしゃれなcaféや雑貨、古くから続いているであろう和菓子屋、伝統工芸店が点在し街ゆく人を楽しませてくれる。昔と今が共存する街だ。
夜は夜で、お酒を飲む店にも事欠かないのも京都のいいところだ。洒落た店構え、趣向を凝らした店内も良い酒のあてになる。
ある日、河原町で娘と軽くお酒を飲み、祇園を抜けてマンションに帰っていた時である。
娘が、「ここの本屋さん、少し変わって面白いのよ」と私に言ってきた。
「面白い本屋?」
「い○ら○い本屋」というのは見た事があるが、面白い本屋というのは聞きなれない響だった。店構えは京都らしい町家ではあったが、とても小さかった。私の街にも本屋はあるが、それよりも小さかった。
私は、誘われるがまま、いや実は、誘(いざな)われるようにして黒い格子戸を開け店に入った。
これが私の天狼院書店との出会いとなった。
店内の灯りが優しく迎えてくれた。一通り見た後、と言ってもその気になればその場で360度体を回転させれば済んでしまうのだか、何冊かを手に取りしばらく時間を過ごした。その後、店を出ようとした時、ライティング・ゼミのチラシが目に入った。私は、それを手に取り見入った。
「書き方講習、人生が変わる……?」
人生が変わるかどうかはわからないけど、書き方を教えてくれるのか……そんなことを思いながらチラシを見ていた。
娘が「どうしたん?」と声をかけた。
思ったより長くそのチラシを見ていたらしい。
「いや、ちょっと」と言いながら店を後にしたが、チラシが頭から離れなかった。
書くことは昔から嫌いではなかった。仕事で時々書くこともある。論文も何本か書いた。上手に書けているとか、硬い文章だとか言われるけど総じて貶す言葉はなかった。でも自分の中では納得はできていなかった。
「これで良いのか?」いつもそうだった。
満足していない、迷っている自分が後を追いかけてきた。
天狼院書店を出た帰り道、通りを歩く人は疎らで、八坂通りの坂道は店じまい前のわずかな灯りに照らされて静かだった。娘と何を話したかは覚えていない
が、ぼんやりとした灯りの中で、いつも後から追いかけてくるもう一人の自分が問いかける。
「どうするんだ?」
「お前が探していたものじゃないのか?」
「教えて欲しいんじゃないのか?」
もう一人の自分の指摘は的確だ。
そして自答する。
「そこそこ書けているなら、それで良いんじゃないのか」
「京都は遠いぞ」
「そんなに努力しなくても……」
言い訳というものは、長々と続くものである。
「努力」なのか?
「努力は抗い」なのか?
いや違う。
そう、あの大先輩と同じように楽しめばいいんだ。
やらない方が不自然で、抗っているようにさえ思えた。
「自分でまだ納得していなくてね」
やっとわかった。
その言葉が私の背中を押す。
やがて戸惑は励みへと変わった。
坂道のわずかな店の灯りが、道先を教えてくれているように見える。
「やってみるか」
京都の楽しみが、また一つ増えた。
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