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僕が書道をやめられない理由


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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吉本誠司(ライティングゼミ日曜コース)
 
「どうして、書道やっているの?」
休みの日にしている事について質問を受けて「書道」と回答したら、まず発せられる質問がこれだ。
僕は今41歳なのだが、同年代で僕の周辺で書道をやっている人は誰もいない。
僕のような人間が珍しいのだろう。
僕はこの質問に対峙する時、どのように回答するべきかいつも迷ってしまう。
 
書道を始めて、かれこれ5年位が経つ。
当初の動機は、仕事で使用するためである。
僕は印刷の仕事をしていて、和菓子などのパッケージデザインに使用する文字に、パソコンに買った時から入っているゴシック体やら明朝体のようなフォントでは無く、毛筆で書いた「味のある字」をお客さんが要求して来る事が多い。
その度毎に、書道家の方にお願いしていたら、お金と時間が掛かってしまう。
だから、いっそのこと自分が書いてしまえば、この問題をクリア出来るのではないかと思い立ち、近くのカルチャースクールが主催している書道教室の門を叩いた。
何でも安易に考える僕は教室に通えば直ぐに、すぐに「味のある字」を書けるようになると踏んでいた。
今まで日本語を使用しているし、ボールペンやら鉛筆を筆に持ち替えるだけなのだから。
しかし、世の中、そんなに甘く無かった。
書道は「道」という文字が付いているだけあって、奥が深くて習得には時間がかかる。
古代中国で使用された書体、日本の古典で使用された書体等を見て、それに似せるように練習するのだが、近付くようで近付けない。
文字の上手さだけでなく、文字と文字の間に生じる空間、墨の濃淡。
一朝一夕では到達出来ない頂きが有るのだ。
だから、仕事に活用するという思いで始めた書道であるが、仕事で採用されたケースはほんの数件しかないので、「どうして、書道やってるの?」という質問に対しては、おこがましくて「仕事で使うから。」とは答える事が出来ない。
書の道は、諦めてしまいたくなる程に途方も無い道である。
 
「だったら、なぜ続けているのか?」
当然出て来るであろう疑問だ。
僕は2つの要因が有ると考えている。
1つ目は、ある境地。
僕は書道をしている時、仕事の事とかも忘れる位に集中状態になる事が出来る。
集中する中で、ある境地に至っている。
僕はアスリートの様に、ゾーンと読んでいる。
目の前には紙。手には筆。そして、墨。
この3つの要素で作り上げる単純なアナログな世界。
デザインの世界だと、イラストレーターやらフォトショップ等のデザインソフトを使用して、間違ったモノを作っても、キーボードの操作で元の状態に戻って再び作業をやり直す事が可能である。
でも、書道の場合は、一回切り。
字を間違えた場合に巻き戻し出来ないし、紙のスペースの中に収まらなくなった場合も前の状態まで戻す事が出来ないのだ。
この緊張感が楽しいのだ。
なぜ、この緊張感を楽しいと思うのか?
考える事がしばしば有ったが、ふとテレビを見ていて気が付いた。
書パフォーマンスと言って、中学校や高校の書道部員が大きな紙に音楽に乗せて複数名で交代しながら書を連ねて行くのを見る事が有るだろう。
タスキをして重量のある大きな筆をか細い体で持ち上げて、紙に振り下ろして行く。
僕はこの様子を見て、筆が剣に見えてしまった。
つまり、筆という剣で紙という敵に立ち向かい、己自身を表現して行く。
書の世界に、古来より日本人の心に存在する「武士道」を見たのである。
「武士に二言は無い。」という風に、間違いを許さない、自分を律する厳粛さ。
その姿勢の中に見える美意識。そして、漂う緊張感。
僕は日本人として、書道の中に、そういうスピリットを感じていたのだろう。
また、それは僕だけでは無くて、日本人のDNAに根付いているものだと思う。
 
2つ目は、書道の構成要素である文字。
書道は日本、そして文字を日本に伝えた国である中国で文化的に盛んである。
展覧会等で書を展示して鑑賞するのは、世界でも恐らく日本と中国だけではないか?
西洋では絵を鑑賞するが、紙に書かれた文字を鑑賞している光景を見た事がない。
やはり、文字に対する思いが大きい、世界的にも珍しい文化だと思う。
時代劇を見ていると、主人公が家臣を前に話すシーンでは大体後方に文字が書かれた掛け軸が飾られているし、戦闘シーンでは旗指物に文字が書かれていたりする。
文字は古来伝達手段として誕生し、後世に偉業や歴史を伝えたり、対立地域へ文化の優位性を伝えるために文字文化を持ったと伝えられている。
言葉には言霊が宿ると古来より言われる事が多いが、その言葉を伝える文字にも我々は霊性を感じて来たのではないか?
文字に対し、目に見えない魂を感じているのではないか?
これも、やはり日本人らしいDNAと言えるだろう。
 
僕が仕事で自分の書いた書があまり採用されなくても、書道を続けているのは日本人のDNAの存在が大きい。
大河の中に身を置いている感じだ。
逆らえない大きな流れに身を任せて、一体どこに辿り着くのやら。
そんなロマンティックな事に思いを巡らせながら、一方でもう少し仕事で採用されたら受講料の元が取れるのにと目先の事を考えてしまうのは、いかにも現代人らしいではないか?
 
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2018-10-11 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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