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メディアグランプリ

責任は、おもりから翼になる


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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 記事:落合健太(ライティング・ゼミ木曜コース)
 
「けど、それもこれも私の責任なんです!」
久々に思い出したが、あまり良い記憶ではない。この後は上司にこう言い返されたはず。
「状況によって、君の出来ることにも限界がある。お客様の満足度が低くても、一律に君の責任を追及している訳ではない。この面談は、組織としてどうお客様に喜んでもらえるかを話したいんだ」
ありがたい言葉を山のように頂いたのだろうが、残念ながら上司のこのセリフ以外、頭の中には残っていない。このセリフだけを覚えている理由は簡単。第三者の立場できれいごとを言うなと、むかついたからだ。
 
これは数年前、私の仕事がピークに忙しかったときの話だ。
仕事量も確かに多かったが、それだけではない。別の専門家に依頼していた仕事が、彼の体調不良とやらで、全部私のところに戻って来てしまったのだ。量は多いわ、初めてで先の見通しも立たないわ、何より専門分野が違うから思うように進まないわで途方にくれながらキーボードをたたき続けていた。
 
何とか専門外の仕事を進めていたときに、本来の私の顧客から満足度アンケートが返って来た。結果は5点満点中の3点だった。我々の会社では顧客満足度は4点が当然。3点をつけられたときは、業務品質について上司からチェックや指導が入る。
信頼の証なのか、あるいは単に放置されているのか分からないが、日常業務について上司からなにか言われることはほとんどない。その反動からか、アンケート結果が思わしくなかったり、クレームを受けてしまったときには、かなり厳しい指導が行われる。そしてここぞとばかりに、普段はお目こぼしをいただいていた細かな部分にまで指導が及ぶのだ。
 
アンケート結果と、上司のご指導を受け、この世の終わりのような表情で社内を歩いていると、仲の良い先輩が声をかけてくれた。
「死にそうな顔してるね(笑)」
普段は自分の辛いことをあれこれと話す方ではないが、このときばかりは先輩に愚痴った。先輩は一通り聞いたうえで、とても簡単に一言返してくれた。
「落合はその仕事、どれくらいしたかった? 本当はしたくないことを、責任感だけで押し通そうとしたから、やりきれなかったんじゃないの?」
 
意味が分からなかった。
したい、したくないで言えば、仕事なんて一切したくねーよ。等と、落ち込みきった頭が、脳内で暴言を吐いた。これ以上意味の分からない話に付き合っていられない。暴言が口から出てしまわないうちに、形だけのお礼を伝えてさっさと先輩の前を離れた。
 
帰り道、一人カフェで悶々としながら先輩とのやり取りを思い出していた。
したくないことをしなくて良いなら、世の中の仕事はどうして回るんだ。そんないい加減な気持ちで、仕事の責任が取れるのか。簡単な言葉の癖に、違和感だけが強く胸に残った。
 
一晩中考えても答えが出ず、少し悔しい気持ちで、先輩に昨日の続きを聞いてみた。
お互い時間があったこともあり、半日も話したところ、少しだけつかむものがあった。
 
結局、責任とは一体何で、誰がその責任を課しているのか、ということだった。
 
抱えていた仕事は、本当に全部私がしなければいけなかったのか。
実はそのとき、顧客の要望に全て応えないと、嫌われるのではないかと怖がっていた。
専門外の仕事も、業務過多の状況も、本当に誰も助けてくれなかったのか。
実はそのとき、誰かに助けを求めると、自分の無能さがばれるのではないかとびくびくしていた。
どうも私は妄想の世界で、自らに課した責任というおもりと、独り相撲をとっていたようだ。
 
落ち着いて考えると妄想だとすぐ分かるのだが、なぜそのときには気づけなかったのか。
きっと必死だったのだ。
自分にとって大切な顧客と、ずっと良い関係を続けたいと、必死だったのだ。
社内の仲間が困っていたら、頼ってもらえる自分でありたいと、必死だったのだ。
責任に必死だった自分が、なんだか可愛く思えてきた。
 
そう考えると、きっと責任はおもりなんかじゃない。
むしろもっと前向きな、なりたい姿の一歩手前だ。
 
人生で最も貴重な資源は時間である。その貴重な資源を何に使うかは、人生を生きている自分が決めて良いはずだ。しかし、複数の人が同時に暮らす社会の中では、ただ自分がしたいことだけをして生きていくことは、難しいかもしれない。
したくないことをするとき、そこには責任という名のおもりがつく。おもりは「○○させられている」とか「○○しなければならない」という強制力を感じさせる。そんなときの責任は、とても重くネガティブな印象を受けるが、勇気を持ってもう一歩踏み込んで欲しい。
 
私が踏み込んだ先には、とても純粋な自分がおびえていた。本当はしたくないけれど、それでも責任に応えたいという理由が、きちんと隠れていた。大きすぎる翼の広げ方がわからず、おもりと勘違いしている自分がいた。
 
ふとしたきっかけで懐かしいことを思い出したが、今でもあまり変わっていない。
責任に必死な自分とは、まだまだ付き合うことになりそうだ。
ただ今は、責任がおもりではないことを知っている。
あのときに先輩がしてくれたように、頑張っている自分に向き合い続けてあげたい。
明日には、責任と言う名の翼をもっと上手く広げられるように。

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2018-10-17 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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