わたしは壊れたルンバだった
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:砂島 迅(ライティング・ゼミ平日コース)
「ルンバを、充電してください、ルンバを、充電してください、……」
悲しいBGMとともに、ルンバが悲壮なメッセージを流しながら、停止した。何度スタートボタンを押しても、悲しいBGMとともに、あの冷静な女性の声が充電の必要を、繰り返すだけ。昨日から、充電器に繋いであって、ボタン周りのカラーはグリーンだった。パンパンにフル充電済みの、はずなのに。
うちのルンバが壊れた。
いつも文句言わず、どんなにゴミが絡まっていても、働いてくれたルンバ。外出中に黙々と我が家の床の、あらかたの塵を回収し続けてくれた、ルンバ。一度バッテリが充電しなくなって修理にだしたっけ。12年一緒に暮らしてきたルンバが、何度フル充電しても、動かない。悲しいBGMを奏でて、動くためのパワーが無い、と訴えて動かない。動けないのだ。
それはまるで、7年前の、私のようだった。
7年前のある朝、目覚ましで目覚め、いつものように会社にいくために起き上がろうとした。起き上がれなかった。指一つ、ピクリとも動かせない。体が動かない。食欲は落ちていたが、体を動作させるための最低限のカロリーは取っていた。心拍だけが高まっていき、冷や汗が全身から噴き出し、吐き気のためにえづきを繰り返す。そんな私を見て、家人が一言「もう、専門家のところに行きなさい、心療内科へ。今の環境は、君には過酷すぎる。君がいるべき場所じゃない」と言った。まるでパスワードを与えられた圧縮ファイルが展開するように、体がフリーズから一気に解放された。
当時、勤めていた会社は、リーマンショックのあおりをまともに受け、史上最低の業績を更新し続けていた。いろいろと手は打ったが、最終的にリストラという手段を取ることになった、と社長から一斉通知で告げられた。ひとりひとり面談され、残るもの、去るものが別けられた。そうなると、職場の雰囲気は一気に悪化した。毎朝、出社すると机の脚をガンガン蹴とばす者。去ることが決まり、業務上の秘密に触れないようにするため、「今日からあなたとは一切しゃべれません」と会話を拒否する者。
その時担当していたプロジェクトは、私を含めて5人で行っていた。参ったのは、私を除くメンバー3人が、去ることになりプロジェクトを降りてしまったことだった。残ったのは、プログラマ兼デザイナ。とても優秀な方だったのだが、残念なことに、私とは決定的にウマが合わなかった。大いに不安だった。
プロジェクトマネージャーが去ってしまったため、当然のようにサブリーダーだった私にプロマネのお鉢が回ってきた。当時、私は顧客と彼らが扱う商品が大好きだった。それだけをモチベーションに働いていた、といっても過言ではない。額も大きい。顧客に迷惑をかけるわけにはいかない。彼と、私でどんなことをしてでも、プロジェクトをやり切り、納品まで持っていく。私はそう覚悟を決めた。
それからは、文字通り朝駆け夜討ちでがむしゃらに働いた。顧客が好き、とはいったものの、顧客の中には私とはあまり合わない方もいた。悪い事は重なるもので、客先側の窓口はその方に変更された。打合せではダメ出しから開始。なんとか話をまとめて帰社すると、今度はプログラマ兼デザイナの彼とバトル。当時、技術面の話は私の決定的な弱点だった。去ったプロマネが技術面をカバーしていたからだ。プログラマの彼にとって、私が客先から受けたオーダーのなかには、「理不尽」で飲むことができないものも含まれていた。彼は爆発し、私をこき下ろした。無理もない。実力が伴っていないのは百も承知だ。でも、やりきらなければ。
彼に謝りながら、客先に土下座して訂正を入れながら、それでもプロジェクトは納期にむかってじりじりと進捗していき、なんとか納品までこぎつけた。やりきった。これからも引き続き、働いていかなくては。顧客と、大好きな製品のために。
それからも、製品のプロモーション企画を考え、提案し、Webや販促品の制作を指示する毎日が続いた。リストラ騒動も一応の落ち着きを見せたある日、新しいプロマネに呼ばれた。
「あのさ、砂島さん、ポジション微妙なんだよね。砂島さんが、ここのメンバーに何をして、『ありがとう』って言われるのか、俺わかんないんだよね」
一瞬、何を言われているのか理解できなかった。黙っていると、彼が言葉続けた。
「だからさ、A君をとりあえず、部下につけてみるわ。うまくやってね」
「あなたが、何をして『ありがとう』と言われる存在なのか、俺には、わからない」
この言葉が、一瞬で私を奈落の底へ叩き落した。それから体の不調が噴出しはじめた。PC画面が、白く見える。企画が考えられない。食欲が出ない。朝起きると吐き気が収まらない。それでも負けたくなくて、這うように会社に行く。そんな状態で、見積もりのミスを頻発するようになった。とある見積もりで、削除したはずの最安アプリ制作試算の項目が消えていなかった。たまたまそれを目にした、私にアンチの顧客が、目ざとく見つけて言った。「このアプリ、この値段で作ってね」
帰社してチームに報告。プログラマ兼デザイナの彼が開口一番、「ずーっと思っていたけれど、砂島さんて、無能だよね」と言って、席を立ち、出て行ってしまった。体中の力が抜けたままプロマネを飛ばして上司に報告した。しばらく黙って報告を聞いていた上司は、私に一言、「死ねば」と言った。
心療内科行き、話をした。「うつ」と診断され、即刻自宅休養加療を申しつけられた。「とにかく、今の環境から、一刻も早く、離れてください。そうしなければあなたはもっと壊れてしまう。いいですか、これは緊急避難です。間違っても逃げた、などと罪悪感をもたないでくださいね」私より少し年若い医師は真剣な目で話を聞き、そう答えた。逃げる。そうだ、私は逃げるんだ。好きな顧客、好きな製品。それらをプロモーションするのが私の仕事。でも。私の本当の顧客って誰? 私を見て、君がいるべき場所じゃないといってくれたのは、誰だった? それは、家人だ。そうだ、私は、家人と楽しく、幸せに暮らすために、働いていたのだ。私は、私の真の顧客をみつけた。真の顧客のために、職場から逃げだすことにした。
それから1か月、処方された薬を飲みながら、死んだように毎日眠り倒した。家人は、毎晩おいしい夕食を作ってくれた。よく眠り、おいしいものを食べた私は、ゆっくり回復しはじめた。会社の産業医は、「うつになった社員は、7割が再発を繰り返して、社会人としてのパフォーマンスを落し、結局退職していく」と言った。ならば私は、どんなことをしても残りの3割に入ってやろう。真の顧客である、家人との幸せな暮らしを、送り続けるために。
「君は、あのときの私のようだけれど、逃げ出せないものね……」
充電しても、動けなくなったルンバに、そっと話かけた。
「こきつかって、ごめんね。でも、私たちは君のおかげで、とても助かっていたよ。もう働かなくて、いいよ。本当にありがとう」
私は、ルンバを電源から切り離し、ルンバの掃除をはじめた。
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