海の底で見たものは
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
【10月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:藤崎 香奈子(ライティング・ゼミ木曜コース)
水深38メートル。
見上げても、もう水面は見えない。あたりは暗く深い藍色、顔に触れる水が冷たい。
「今パニックになったら死んでもおかしくないな」
初めてディープダイビングに挑戦した時、海の底でそう思った。命綱は背中に背負った空気タンク、そして自分の平常心。
叫び出したいような恐怖とは裏腹に、その状況を楽しんでいる自分。深い海の底で見たものは何だったのか。
私は海から道ひとつ隔てた家で産まれた。産まれた時から海はすぐそこにあり、潮のにおい、波の音を感じながら育ってきた。そのせいなのかわからないが、子供の頃から海の生き物に強い関心があって、夏休みには日がな一日、魚図鑑を読んで過ごしていたものだ。
家の近くにあった水族館には何十回も通った。そこで一番好きだったのが、大水槽を下から見上げること。まるで魚と一緒に泳いでいるような気がして、いくらでも眺めている事ができた。水族館に行けない日は、家で熱帯魚の水槽を眺めていた。勿論下から水面を見上げるアングルがお気に入り。水槽にくっつくくらい顔を近づけると、大水槽の前にいるのと同じように見えた。
そんな私が大人になったらスキューバダイビングに憧れるのは自然な流れだったろう。
しかしダイビングというのはお金がかかる。大学の時に実家を出て、首都圏でひとり暮らし。新卒で就職した頃は毎月カツカツで、親にお金を無心する始末。ダイビングなんて夢のまた夢。海のドキュメンタリーや映画を観て、まだ見ぬ海中に思いを馳せた。
そして働きはじめてから数年後、やっとまとまったボーナスをもらえるようになり、遂に念願のダイビングを始める事になった。まだまだ貧乏だった私には痛い出費だったが、もらったお金をほとんどつぎ込んでのめり込んだ。
「浮上の際はゆっくり、決められた時間をかけてあがっていきます。呼吸を止めないように注意してくださいね。急浮上すると減圧症になってしまう恐れがあります」
「減圧症って何ですか?」
「深い所では水圧が高いので、血液に多くの窒素が溶けこみます。急浮上するとそれが一気に気泡化して、頭痛や吐き気を引き起こすんです。悪くすると死んでしまうこともあるんですよ」
「それは怖いですねー。大丈夫でしょうか?」
「パニックにならないように、落ち着いて行動すれば大丈夫ですよ」
スキューバダイビングは海中で楽しむスポーツなので、当然危険がつきまとう。潜るためにはライセンスが必要で、安全管理について詳しい座学がある。
初心者のうちは減圧症も怖いので、比較的浅い所で慣らしながら潜っていくのだが、気をぬくとすぐに浮かびあがってしまう。自分の意思とは関係なく、足が浮いてバランスを崩す。そうなったらもうパニック。自分で体勢を整える事なんて無理なので、インストラクターさんに引っ張り下ろしてもらう。
私は波酔いも酷くて、浅瀬で揺られているとすぐ気持ち悪くなった。でも減圧症にならないためには、水中で一定時間待たなければならない。必死にこらえ、浮き上がるとすぐに吐いた。
そんな思いをしながらも、潜るのはやめられなかった。憧れだった海の中。色とりどりの魚に、面白い形のサンゴ。水族館で悪役のように見えたウツボが手が届きそうな所でパクパクしている。春には海藻が茂って海は森のようになる。浅瀬に日が差して、その隙間から真っ青なルリスズメダイが体をのぞかせる。まるで天国みたいだと思った。
潜るのに慣れてくると、もっと難しい所にチャレンジしたくなる。流れの速い所、洞窟の中、夜の海、そして限界まで深く潜るディープダイビング。もちろんどれも危険が伴う。パニックを起こしたら私だけではなくインストラクターさんも巻き添えにしてしまうかもしれない。
どんなに怖くても、ぐっと堪えて平常心を保つ。常に呼吸は一定、止めてはいけない。足が浮き上がらないように身体をコントロールする。
水深38メートル。
ある深度を超えると一気に水温が下がり水の色が変わる。浅瀬にはいない魚がこちらをじっと見ている。怖かった。でも自分の心を意志の力でコントロールしている事にゾクゾクした。たった30分ほどの出来事だったが、死に近づいたあの瞬間は忘れられない。
いつしか海の景色と共に、そのスリルも楽しみにするようになっていた。集中力を切らしたら危ない。日々の暮らしでどんなに心乱される事があっても、潜っている時はその瞬間に集中し心と身体がひとつになるのを感じた。
私が海の底で見たものは、自分の心だった。極限の集中は心地よく、海から上がると身体の重さとは裏腹に頭がクリアになっていた。その感覚を味わいたくて、日々の様々で頭が満タンになってくると、なんとか時間をつくって海へ向かうようになった。
そんな夢中になったダイビングだが、子供ができてからは遠のいてしまった。潜らなくなってもう10年くらい経つ。
それでも海への憧れが消えることはなかった。今の夢は家族で潜ることだ。
私があまりに海の楽しさを語るので、子供はすっかり一緒に潜る気になっている。それにはまず泳げるようにならないとね。ダイビングをする目的で、スイミングスクールに通っているのはうちの子供だけじゃないかと思う。シュノーケリングを使って海で泳ぐ練習もしている。そしていよいよ子供がダイビングを始められる年齢、8歳の誕生日を迎える。泳ぐのは得意、海にも慣れている。準備は万端だ。
子供と一緒のダイビングは、独身の頃のようなスリル溢れるものにはならないと思う。安全第一で海の景色を楽しむのがメイン。でもそこにはきっと今まで感じた事のない心の動きがあるだろう。どんな気持ちになるのかとても楽しみだ。
来年の夏、家族でダイビングデビューする。10年ごしの夢、今度はどんな世界が待っているのだろう。
***
この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、WEB天狼院編集部のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。
http://tenro-in.com/zemi/62588
天狼院書店「東京天狼院」
〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F
東京天狼院への行き方詳細はこちら
天狼院書店「福岡天狼院」
〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
天狼院書店「京都天狼院」2017.1.27 OPEN
〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
【天狼院書店へのお問い合わせ】
【天狼院公式Facebookページ】
天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。