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郷に入りて郷になじめず


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:丸背 萌いづ(書塾)
 
「やっぱりな。京都はほんと、ええな」
と母は実に満足げだ。
僕は何かのきっかけで素敵な寺とか食事どころとかに遭遇すると
必ずほとぼりの冷めないうちに
母を伴って、京都見物に案内してきたものだ。
小皿のオンパレードの食事どころに入っては
「やっぱり京都やね」
四国の田舎出身の母親にとってはやはり天下の都なのである。
ひとりで、ワクワクはしゃいでいる。
僕はそんな母が大好きで、そんなときだけは、一人前の孝行をしている気で
日ごろのほったらかし、頼りっぱなしの親への感謝祭を実行している。
 
僕が京都に就職したものだから高槻の当時の実家を離れて
下宿することにした。
それは社会人になって数年後のことだ。
 
まっつぁら あいのまち
京都の下京にある松原間之町を下宿のおばあさんはそう呼んでいた。
僕の生まれてはじめての単身生活が始まった。
しもた屋の大家さんは未亡人のおばあさん。
別の部屋には行商のおじさんが下宿していた。
話し好きな下宿のおばあさんは2階住まいの僕を段梯子でよく引き止めた。
そこからおばあさんとのながーい世間話がはじまるのだ。
亡きご主人の自慢はなしのあと、重箱の隅をつつき倒すように
僕の情報をあれこれとほじき出す。
「丸背さんはりっぱやな、よう出来た、お人やな」
大阪から来た若い僕のやること、なすことに
興味がつきないのだろう。
あれやこれやと
「へー」
「まぁー」
「それはたいへんどっしゃろ」
とひとしきり感心し、そのあとは褒めちぎるのだ。
 
ところがある日のことあらぬ方向に展開していた。
その日、風邪で熱がひどく職場を休すんでいた。
下宿の2階で布団を被って横になっていた。
そのときだった。
耳を疑うような会話が階下から聞こえてくるではないか。
ちょうど行商のおじさんとおばあさんの会話らしい。
僕の悪口で二人の話は弾んでいるようだった。
と言うよりは一方的におばあさんが僕のことを
とやかく非難して話しているようだった。
おばさんは僕がいつものように仕事に行って留守だと
勘違いしてのことだろう。
僕は変な気持ちになった。
「日ごろ僕のことをあれこれ褒めちぎっていたのは、いったい何だったんだろう」
ふと僕は桂米朝さんの落語を思い出していた。
 
「京の茶漬け」
大阪から京都に来た客人が、おいとましようと立ち上がりかけると
訪問先の女将さんが
「まぁー、よろしやんか。ちょっとお茶漬けでも」
と引き止めるのだ。
大阪人の客は
「そーうですか、すんまへんな。(しばらく沈黙の間)じゃ、せっかくでっさかい」
と座りなおす。
だが待てど暮らせど何の気配もない。
客人は思った。
大阪だと
「まあ茶漬けでも」
となったら
すき焼き程度はご馳走される。
 
ここは京都。待てど暮らせど、なにもない。
家人としては真に受けて居座られても困るのである。
京都は、本音と建前の使い分けをする必要が
生活の中にいつもあったのだという。
これが京都王朝文化の一般だと京都の先輩から聞いたことがある。
 
若かった僕は正直なところ、たいへんショックを受けた。
 
こんなこともあった。
京言葉には独特の美しさとニュアンスがある。
「はんなり」なんか好きな言葉だ。
職場で仕事が一段落して「ほっとした」ところで「ほっこりしましたね」
と言ったらこんなときは「ほっこりした」なんて言わないと一笑された。
 
はたまた、こんなことも
初めての祇園祭り宵々山でチマキを5本買った。高価だと思ったが
縁起物なのでと薄給の身ながら、ええカッコをした。
実家に持ち帰り、さてと藁縛りを解けども解けども餅が出てこない。
「あんた、あほやな」
翌日の職場で笑いのネタに晒らされた。
 
人はつまらないこと、ひょんなことがきっかけで
物事が好きになったりその逆になったりするものだ。
僕は、どんなにあがいても三代京都生まれには成れない。
 
なにかと半身にかまえて人と接するようになったのも事実。
「京都きらいなんです」
あげくには京都人の前でこんなとんでもないことを、もらしていることがある。
 
海外で現地の人に向かって
「この国は嫌い」
なんて暴言をはかないだろう。
できるだけ溶け込もうと努力しているではないか。
そんなことも思うようになった。
また知人のなかで自ら心をハダカにさらけ出して
ぶち当たっているのを見ているをみて感心した。
それからは僕も少しは真似事を心がけるようになった。
 
するとどうだろう。
努力の甲斐あって居心地がよくなって、なじみが出来、
ココロ安らかにいっしょに居れる人や空間が
いくつか定着してきたのだ。
先入観をかなぐり捨てて、はだかになって京のまちに出よう。
道はもっともっと、ひらけるかも知れないのだから。
ただこれにはすこし但し書きがある。
どうもうまく行っている人たちは多府県からの連中が多い野田。
熊本、沖縄、大阪、兵庫、名古屋、富山、秋田、北海道
京都の人は敷居が高いのだろうか。
そんな僕も京都の自室を大改装しているし、銭湯が沢山あって楽しめるし、
毎早朝の坐禅のあと、時から朝粥が食べれるお店を堪能しているし、
この環境が心身に程よい健康を与えてくれていると感謝するようになった。
 
一抹の不安をかかえながらもなにか「えにし」を感じるのだ。
いつまでも客人の立場であってはならない。
郷に入れば郷に従う、果敢にアタックしていこうと思う。
 
そうそう、忘れるところでした。
我が家の猫ちゃんもやはり生粋の京都人でした。
本音と建て前、ちゃんと使い分けて、のほほんと暮らしてます。
***

 
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2018-11-03 | Posted in メディアグランプリ

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