メディアグランプリ

美しい思い出だけではお腹はふくれない


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記事:よくばりママ(ライティングゼミ・日曜コース)
 
 
ここで産みたかったな。
 
自宅から歩いて数分のところに、広く名の知れた有名な産婦人科病院がある。
子どもを小児科や耳鼻科に連れて行くとき。薬局に買い物に行くとき。銀行に寄りたいとき。私はその産婦人科の前を通り、そして思う。
ここで三人目の子どもを産みたかったな、と。
それは自分でも驚くほど重く心の奥底に沈んでいる負の感情だった。
 
昨年、私は念願の第三子を授かり、そして出産した。そう、ここではない別の病院で。
 
 
私にとって、この産婦人科病院は特別な存在だった。
ここは、上の二人の息子たちだけでなく、主人も生を受けた思い出の場所なのだ。けれど、一番の理由は別にある。『食事が美味しい』のだ。
私はずっと昔から心に決めていた。どうせ入院するなら、絶対ごはんの美味しいところがよいと。
 
実際、息子たちの出産のとき、病院食は美味しかった。
朝食時にずらりとテーブルに並ぶ焼き立てのパン、色鮮やかなフルーツ盛り、みずみずしさをたたえたサラダ、ホテル並みに充実したサイドメニュー、そしてそれらがビュッフェ式で食べ放題であった。
主人と食べた出産祝いのフレンチフルコースも美味しかった。
出産前後に血圧が高くなってしまっていた私の分は減塩メニューではあったが、それでも美味しいことに変わりはなかった。
 
三人目の妊娠がわかったとき、もう一度あの病院でお世話になれる! と思ったのもごくごく自然の流れだった。さらには前年病院そのものが新しく建て替えられ、セレブリティさがパワーアップしていた。これはさぞかしごはんも美味しかろう……。私の中で期待がどんどん膨らんでいった。
しかし、そんな期待とは裏腹に、肝心の妊娠経過は決して楽観できるものではなかった。
 
一人目、二人目のときに発症していた高血圧の症状が妊娠初期から出ており、中絶や転院の話も出ていたほどだった。けれど、どうしてもここで! と決めていた私は、食事療法や体重コントロールで粘った。無事に出産できますように。転院しないですみますようにと。
 
けれど、妊娠9か月目を目前にして、私は重度の妊娠高血圧症と診断され、総合病院に緊急搬送されることとなった。母体が危険な状態であること。そして、緊急帝王切開になった場合に未熟児の赤ちゃんを保育できるNICUという設備がその産婦人科病院には備わっていないことが搬送の原因だった。
気楽に臨んだいつもの定期検診は、いつもの結果をもたらしてはくれなかった。
 
慌ただしく救急車での搬送手配や応急処置がなされる中、今後のことを先生やスタッフの方が説明してくれる。私は合間を縫って家族に連絡を入れた。なんせ私の代わりに誰かが保育園にお迎えにいかねばならない。自分のことよりも子どもたちのことが気になった。大丈夫、落ち着こう。そう自分に言い聞かせていた。
子どもたちのお世話の段取りをつけ、電話を切る。すると、まるで糸が切れたかのようにぶわっと胸の奥から悲しさ、悔しさ、情けなさが押し寄せ、こらえかねた思いは涙となってあふれ出た。
アラフォーにもなって泣くなんて。
そんな風に自分を揶揄するも、涙は簡単に止まってはくれなかった。
 
「気分は大丈夫ですか?」
主治医の先生が優しく声をかけてくれる。
ハンカチで目元を押さえつつ、湿った言葉を絞り出す。
「……ここのごはんが、パンが、食べられないのが残念です……」
頭の中はぐちゃぐちゃだった。けれど、なぜか真っ先に浮かんだのがこの言葉だった。
自分自身、びっくりした。
先生も意外な返しに少し驚きながらも、
「大丈夫、婦人科外来のところのカフェでも食べられるよ」と目を細めながら答えてくれた。
 
私はここで産みたかった。
そしてあの美味しい食事に出会いたかった。
胸の奥に住まう正体は、この食べたかったという強い思いだったのだと、振り返った今ようやく痛感する。
 
おそらく、食べられなかったからこそより強く思うのだろう。
それは、夢の中に出てきたごちそうを食べようとした瞬間目を覚ましたり、後で食べようと冷蔵庫にいれていたおやつを家族に食べられてしまうことに似ている。
そして、片想いをすることにもどこか通じているような気がしてならない。
 
誰にいうわけでもないが、なぜか数年に1回の頻度で、昔好きだった男の子が出てくる。
小学五年生から中学三年生までの5年間、ずっと片思いしていたI君だ。
 
告白をするわけでもなく、ましてや付き合うわけでもなかったその想いは、友達と「I君が好きなの? 同じだね! 一緒に頑張ろうね!」という、何をどう頑張るのが正しいのかわからない実に幼い、淡いものであった。
 
にもかかわらず、なぜかI君は私の夢の中に登場する。ひょっこり、まるで昔のアルバムが出てきたような感覚で。もしかしたら純粋に片想いで終わった想いだからこそ、残っているのかもしれない。現に、昔付き合った彼氏が夢に現れることはない。
 
 
食べ損ねることも、片想いも、成就しないからこそ記憶に強く残る。
そして、実現しなかったからこそ、綺麗な思い出のまま残る。
 
私の中で、あの病院の食事はいつまでも美味しいままだ。
そして、I君も少女漫画のヒーローのようにきれいな存在のままだ。
とすれば、成就しないことも、決して悪いことばかりではない。
 
とはいえ、食べ物への思いはまた別格だ。
どんなにわかっていても、また病院の前を通るたびに私は思うだろう。
ここで産みたかった、と。
 
私の中に巣くう暗い感情の正体がようやくわかった今、間違いなく私はカフェに足を運ぶだろう。
 
美しい片想いよりも、美味しい方がいいに決まってる。
叶えてしまおう、夢に出てくる前に。
いつか美味しかったと通り過ぎれるように。
 
***

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2018-11-03 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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