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大嫌いな母が友人になった日


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:今泉まゆ美(ライティング・ゼミ木曜コース)
 
「あんたなんて、産まなければよかった!」
 

それはおそらく、父との喧嘩でストレスが溜まっていた母が勢い余って言った台詞だった。
しかし、小学校低学年の私にとって、母の口から発せられたその言葉はあまりにショックで
受け容れ難く、呪いの矢として心に刺さり、大きく深い傷をつけた。
 

「わたしなんていなければいいんだ。そうしたらこの世のもめ事が全部無くなるんだ」
今思うと、自分はどれだけの影響力を持っているのだと笑ってしまうくらい壮大な事を、
この頃の私は心の底から信じていた。
そして恐ろしいことに、その思考はことごとく現実化していったのだ。
 

「あなたさえいなかったら、私がリレーの選手になれたのに」
「あなたさえいなかったら、私が彼と付き合えたのに」
「あなたさえいなかったら、私がコンクールに出られたのに」
 

中学、高校と年齢を重ねる中で、そんな事を言われるたびに、
「ほら、やっぱり私がいるからもめ事が起きるんだ」と落ち込んでいた。
 

冷静に考えれば、どれも一方的に作られたもめ事だ。
しかし、そんな事は思いもせず、ただ受け入れては傷を深くしていったのだった、
 

その現実化は社会人になっても続き、呪いが解ける気配は無かった。
 

当然ながら、そんな呪いをかけた母の事は大嫌いで一刻も早く家を出たいと願った。
就職するなりこっそり家を探して契約し、友達に引っ越しを手伝ってもらう算段をつけた。
それに気付いて「私を捨てるのね!」と、更に罪悪感という呪いをかける母。
もう限界だ。耳を塞いで家を出た。
 

しばらく一切の連絡を絶った。
散々かかってきた電話も無視し、あまりにしつこい時は着信拒否をした。
 
 

家を出たことで、母の呪いは少しずつ解け始めた。
更に自己肯定感を上げる講座に通うことで、その呪いはほぼ消し去ることができた。
そして、母を許せるようになっていったのだ。
 

ある時、母の立場に想いを馳せてみた。
24歳で結婚し、ハネムーンベイビーで私を産んだ母。
 

私が24歳の頃はどうだっただろうかと記憶を辿る。
仕事も覚えたての社会人2年目で、まだまだ自分の事で精一杯。
毎日終電近くまで残業をし、家には寝に帰るような状態だった。
そんな私が結婚して仕事を辞め、母親になったとしたら?と想像してみる。
 
 

……無理だ。あり得ない。
就職氷河期の中30社以上も訪問し、やっとの思いで手に入れた仕事を捨てるばかりか、
自分の事すらままならないうちに家事をしながら子どもを育てるなんてできっこない。
 

そう考えた時に「母は母なりに頑張ってきたのだ」と、頭では認められるようになった。
そしてその感謝の意を示そうと、母の誕生日に初めてフルコースとサプライズの花束を
用意する事にした。
 
 

誕生日当日になって、久しぶりに顔を合わせた。
相変わらず母は子どもを支配の対象としてしか見ておらず、高圧的に接してきた。
それが私の心を強烈に刺激し、感情が爆発したのである。
頭では認めていても、心はまだ母を受け入れる事に迷いがあったのだ。
 
 

これまでにないくらいの激しさで喧嘩した。互いに大声で罵り合った。
私はレストランをキャンセルし、縁を切ろうかと思ったほどだ。
 

でも、頭の方がそれにストップをかけた。
今までと同じ事を繰り返しても仕方ない。試しにあれを言ってみたらどうか。
私の心は、その提案を採用することにした。

 
 

一呼吸置いて、静かに言った。
「24歳で私を産んで、育てるために頑張ってきたのはわかっているよ」
 

それを聞いた瞬間、反撃に備えていた母の顔は歪み、たちまち号泣した。
そして今まで散々認めてこなかった私への暴言を詫びたのだ。
私たちはお互いに泣きながら、ハグをした。
 
 

泣き晴らした顔のまま、私たちはレストランへ行き、食事をした。
「美味しかったね」と満足げな母。
そこにサプライズの花束が運ばれてきた。さほど大きくはないが可愛らしい花束だ。
 

「お誕生日おめでとうございます。どうぞお受け取りください」とシェフが差し出す。
さほど大きくない目をこれ以上にないくらいに見開き、母は固まった。
こんなにも驚いた母の顔は見た事がない。サプライズ成功だ、とシェフと私は微笑む。
 
 

ところが花束を受け取った母は、ワーッと泣きだしたのだ。
記念写真を撮ろうとした店員さんが困惑するほどに声をあげて。

 
 

ひとしきり泣いてスッキリした母は、こう言った。
「私はこんな事をしてもらえるような人間じゃないと思っていた」
 
 

あぁ、母も私と同じだったのだ。
母もまた、祖母から存在を認めてもらえない人生を送ってきていたのだ。
そして今、その呪縛が解けたのだ。
 
 

「今日は最高の誕生日だった、ありがとう。あなたが娘で良かった」と、笑顔の母。
そうでしょう、と私は冗談交じりに言ったが、心の中では私もやっと受け入れられたという
喜びに満ち溢れていた。
 

そして母は続けてこう言った。
「親子としての関係を、もう一度やり直させてくれませんか」
すぐに直すのは難しいかもしれないけど、努力して態度を改めていくから、と。
 
 

今度は私が驚く番だった。
あの一言と花束で、こんなにも母が変わるなんて思わなかったからだ。
 

今度は友達みたいにフラットな関係で、と言う母。
私の心もそれを望んでいた。
「いいよ、これからは遠慮しないけどよろしくね」
 

そうして、母と私は友人になった。
***

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2018-11-24 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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