メディアグランプリ

大嫌いなマラソンから学んだこと


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:すずき あゆみ(ライティング・ゼミ平日コース)

「あと一周!」
ホイッスルと共に、体育教師の声が響く。
いつしか校庭を一緒に走っていた同級生たちは、ひとり、またひとりと少なくなっていった。
ああ、そっか。
わたしは、みんなより一周遅いんだ。
かなり序盤で颯爽とわたしを追い抜いていった運動部のメンバーは、すでに各々休憩を取っている。
その姿を見て、わたしの足は鉛のように重くなった。
わたしも休みたい、もうやめたい、なんで走らないといけないんだろう。
体力がないわたしは、少し無理をするとすぐ気持ち悪くなる。
小学校か中学校かのマラソンの授業で嘔吐してしまって以来、わたしの中で長く走ることは「吐く危険性がある行動」としてトラウマ化されていた。
最後の一周くらいスピードをあげないと、と思う自分と、これ以上気持ち悪くなったら危ない、という自分が必死に自分の中で戦っている。
あと半周だ。それで、この地獄から解放される。
やっとの思いでゴールにたどり着いたわたしは、よろよろとその場に座り込んだ。
「はい、ではこれから縄跳びにうつりまーす!」
体育教師の元気な声が遠くで聞こえた。

わたしが通っていた高校では、冬季期間の体育の授業はマラソンと縄跳びだった。
マラソンと言っても普段の授業では、女子は1000m、男子は1500m、校庭をぐるぐる走るだけである。でも、わたしにはそのたった1000mが苦痛で仕方がなかった。
そして、クラス全員が走り終わった瞬間にやってくるのが、縄跳びの時間。
縄跳び、というと小学生のころに使っていたようなプラスチックの縄跳びを連想するだろうが、わたしの高校ではしめ縄のような本物の縄を使っていた。
ひとり一本縄が配られて、家で持ち手にバンダナを編み込んだ。そして、自分専用の「縄」を3年間愛用するのである。
マラソンで酷使した足で、縄跳びを跳ぶ。しかも、最後にゴールしたわたしは、休憩をする暇もなく縄跳びの時間に突入する。まさに、地獄以外の何物でもなかった。

普段、どちらかというと「学校が好き」だったわたしは、この期間だけ学校に行くことが憂鬱になった。どうしたらずる休みできるかを悶々と考え、結局なにも思いつかずに、スタートラインに立った。そして、どんどん周りに追い抜かれて、みじめな思いをしながら、気持ち悪くならないペースを維持し続ける。やっとゴールしたと思ったら、休む間もなく縄を手にする。春が来るまで、苦行は続いた。

当時のわたしは、「体力がないから」この時間が苦痛なのだと思っていた。
しかし、今になって振り返ってみると、それだけが理由じゃなかったのかもしれない。
なぜなら、わたしは「長く走ること」に全く意味を見いだせないでいたのだ。
例えば、バレーボールの授業であれば、「チームメンバーと協力して相手のコートにボールを落とす」という目的があった。わたしは球技も本当に苦手で、いつもコートのぎりぎりに立っているだけだったけれど、チームメンバーが見事スパイクを決めたときは嬉しかった。
バスケットボールの授業だって、ボールの動きに合わせてまわりを走っているだけだったけれど、チームメンバーが3ポイントシュートを決めたときは手を叩いて喜んだ。
きっと「チームで協力する」「試合に勝つ」という目的があったから、自分自身が何か貢献できたわけではなくとも、その時間をなんとか乗り切ることができていたのだと思う。

一方、マラソンの授業は、何のために走るのか全くわからなかった。
きっと陸上部のメンバーや、普段から運動をしている人たちからすれば、「昨日の自分よりも早く走ること」や、「体力をつけること」など、様々な目的を見つけられるのだろう。
それが、わたしにはできなかった。
そもそも体力がなくて辛いものに、目的が見つけられないとなると、必然的にそれはわたしの中で「やりたくないもの」になってしまう。
結局、高校時代の3年間はいつも「この時間が早く終わりますように」と心の中で念じながら、体育の授業を過ごしていた。

当時は気付かなかったけれど、きっとわたしは「目的がないと頑張れない」性格なのだと思う。それは体育から遠のいた今も根強く残っているし、むしろ、その気持ちは当時より強くなった気がする。
目の前の仕事も、誰のために、何のために行なうのか。それをきちんと自分の中で噛み砕けないと、前向きに取り組むことができない。逆に言えば、目的がしっかり思い描けたときは、時間を忘れて没頭することができる。

当時は、目的がないことをまわりのせいにしていた。バスケやバレーみたいに、明確でわかりやすい目的がないマラソンが悪いと思っていたし、それを毎週やらせる体育教師も好きではなかった。
しかし今は、目的は誰かから与えられるものではないと思っている。
苦しい環境でも、自分にとってマイナスな状況でも、その中で自分なりの「目的」を作り出すことさえできれば、なんとか踏ん張ることができるのではないかと考えるようになったからだ。
きっとあの時のわたしも、苦しくて、やめたくて、ずる休みしたくて仕方なかったけれど、自分なりに「どうして走るのか」を見つけることが出来ればよかったのかもしれない。

マラソンの次は、「わたしは何のために働いているのだろう」と思い悩む毎日だけれど、あの時のように苦しいまま我満して続けていくのではなく、次こそ自分なりの目的をきちんと見つけて生きていきたいと思う。

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2018-11-29 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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