承認欲求を乗り超えた先にたどりつきたい未来がある。
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:高木淳史 ライティングゼミ平日コース
誰かにすごいと言われたい。いい大学に合格したい。いい会社に就職したい。人より仕事で成功したい。できれば稼いでお金持ちになりたい。きれいな女性とつきあいたい。カッコイイ男とつきあいたい。そして周りの人から認められたい。
こんなふうに、とにかく周りの目が気になってしまってしょうがない気持ち。おそらくすべての人が持っていて、すべての人が支配されている気持ち。
それが承認欲求というものだろう。
きっと誰もが「認められたい」と思っていて、きっと誰もが承認欲求に支配されている。
もちろん僕も例にもれず、学生の頃から承認欲求に支配されて生きてきた。進学校にいたので周りには自分より数段頭のいい友達がたくさんいた。大学に入ってみると彼女ができたとか言っている友達が増えたし、サークル活動を楽しく頑張っている友達も大勢いた。そんな彼らを見ていると、どこか差をつけられているように感じてしまっていた。
彼らを見ていると、自分なんて何もない人間だって思えたし、でも自分にもいいところはたくさんあるんだよ、って大きな声で叫んでみたくもなった。他の人の悪口を言ったりして自分をよく見せようとしたり、人の失敗をたたき台にして自分をよく見せようとしていたこともある。なんてちっちゃくて、なんてしょうもない人間だったんだろう。
大学二年生の時、付き合っていた彼女にフラれた。その時の気持ちは忘れない。自分の心がからっぽになったように感じた。本当に何も残っていない、まるで心のコップがからっぽになったようだった。それは僕の心のコップ=承認欲求は、彼女がいるという事実によってのみ満たされていたということだったんだ。彼女がいなくなってはじめて自分のコップがからっぽであることに気がついたのだ。
なんてちっぽけな人間なんだろう。束縛も強かった。自分から離れていくのが怖かったからだ。きっと気づいていたんだと思う。彼女がいなくなったらコップの中身がからっぽになってしまうということに。今ならわかる。だからフラれたんだ。
心のコップがからっぽのまま過ごしていた時、僕はアルバイトで大きなミスをしてしまった。高級鉄板焼きのお店でホールのアルバイトをしていたときのこと。お得意のお客様が来店され、23000円のコースを2人前オーダーされた。
お客さんと話したりするのが楽しくて、僕はホールの仕事を楽しくしていた。しかしただ一つ苦手な作業があった。それは背の高いグラスに入ったビールを配膳すること。トレーの上に置いた背の高いビールグラスを安定させることが難しく、僕はまだそれに慣れていなかったのだ。とくに鉄板焼きのカウンターはお客さんとお客さんの間隔がやや狭く、飲み物を配膳するには自分の体を傾け片手でトレーをキープしたまま配膳しないといけない。これが難しかった。
お客様はその日のコース料理のはじめにビールを注文され、そのビールを持っていくよう言われたのが僕だった。言われたとおりビールを運んだのだが、緊張していたのか手元が狂ってしまい、あろうことかビールをお客様の頭からかけてしまったのだ。
当然その日の食事は中止、お店にタクシーを呼びお帰りいただくこととなった。お店としてはその料理であがるはずの売り上げがなくなり、お詫びとしてのクリーニング代とタクシー代を支払うことに。売り上げどころかとんでもない赤字を作り出してしまったのだ。
さすがに凹んで顔面は蒼白。不思議なことに涙は一滴も出なかったが、その分、感情というものを忘れた人形のように無表情だった。その日は店長からもう帰りなと言われた。一晩中自分のミスを悔やんだ。その日のコースのために食材を準備してきたシェフや、お客様の食事の準備をしてきたホールスタッフのみんな、料理に合わせたワインを準備していたソムリエさん、多くの人の努力を無駄にしてしまったというその申し訳なさで心が擦り切れそうだった。
次の日、消えてしまいたいような気持ちでバイト先に向かい、シェフやホールスタッフに謝りに行った。きっとクビだな、でもしょうがない。取り返しはつかない。せめて申し訳ないという気持ちだけは伝えたい。その一心だった。
「昨日はご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありませんでした」
こんな心からの謝罪をしたのは人生で初めてだったかもしれない。泣きそうになる気持をぐっとこらえ、シェフとホール長、そしてソムリエの3人に謝罪をしたのだ。
するとどうだろう。シェフは「わざとやったわけじゃないんだろ。誰だって失敗はある。同じ失敗をしないように考えて気をつければそれでいいんだよ。つぎ頑張れよ」ホール長からは「大切なのは、失敗したあとどうするかだよ。失敗してもその後真摯に対応すれば、きっと気持ちは伝わるから。お客さんだって人間なんだから」ソムリエさんからは「昨日はあんまり眠れなかったんじゃないか?顔色が青いぞ。今日は無理せずゆっくり休めよ」そんな言葉をいただいた。決して怒らず叱らず。優しい口調で諭すように話をしてくれた。
その言葉を聞いたとき、我慢していた涙が一気にあふれてきた。お叱りの言葉は一切なく、それどころか励ましの言葉や心配の言葉をなげかけてくれるなんて。涙が出たのは自分の人間としての至らなさと彼らの人間としての大きさの違いにあまりにも情けなくなったからだと思う。
その時の僕は当時の彼女にフラれたばかりで、どうしたら自分のことをよく見せることができるか、どうしたら自分を大きく見せることができるか、そんなことばかり考えていた。どうやったらヨリを戻せるか、どうやったら見直してもらえるか。そんな自分のことばかり考えていた。自分の心のコップを満たすことばかり考えていたのだ。
でも彼らは違った。こんなちっぽけな自分のことを第一に考え、励まし、優しく接してくれた。彼らは自分たちの仕事のことはもちろん、お客さんのこと、そしてスタッフのことを第一に考えてくれるような大きな器を持っている人たちだった。
彼らのような大人になりたい。本当の意味でカッコいい大人になりたい。そう思った。
自分の強さを叫んでいるうちはまだまだダメだ。低いところにいるから叫ばないといけないんだ。彼らのような大人たちに本当に認めてもらいたいのなら、叫んでいてはダメだ。
自分に強くて厳しくて、でも周りの人には優しく、相手のことをきちんと考えてあげられる。そんな彼らに認めてもらうためには、自分を大きく見せている場合ではない。大きく見せる前に大きくならないといけないんだ。
彼らによく頑張ったね、と言われてはじめて一人前なのかもしれないし、同じステージに立ってはじめて一人前なのかもしれない。もしかすると彼らには仕事人としても、そして人としても一生追いつけないかもしれない。でもそれでもいい。いつかまた出会ったときに、「あの時のことがあったから、僕はここまでこれました」と胸を張って言えるまで。
それまでは承認欲求は置いておこう。それまでは承認欲求を超えていこう。
そしていつか、本当の意味で彼らの仲間になれたとき、僕の承認欲求ははじめて満たされるのかもしれない。きっとそのときは心のコップはいっぱいになっているだろう。いまこの瞬間を認めてもらいたくて叫ぶのではなく、未来を見据えて成長していこう。
いま僕の周りには、患者さんとして子どもとその親御さんたちがたくさんいてくれる。新人のスタッフさんたちもたくさんいてくれる。
そんな彼らの目に、僕はいまどんな大人としてうつっているだろうか。
あの日の僕の目にうつっていたシェフたちのような大人でいられているだろうか。
もしそう思ってくれる人が一人でもいるのなら、今の僕はきっとあの頃の僕から少しは成長できているのかもしれないし、そこではじめ僕のささいな承認欲求は満たされることになるのだろう。そんな気がするのだ。
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