とある不気味で不潔な小学校教師の芯のある生き方
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:黒崎英臣 (ライティング・ゼミ日曜コース)
僕の小学校には、『モジャキチ』と生徒たちに呼ばれている先生がいた。40代半ばの女性の先生で、担当は、図画工作。中肉中背で色黒。髪型は、パーマなんだか、アフロなんだか、ソバージュなんだかよく分からない、とにかくモジャモジャの髪を肩まで伸ばしていた。『モジャキチ』というのは、そのインパクトのある髪型からI君がつけたあだ名。僕は、モジャキチが嫌いだった。
実のところ、モジャキチは多くの生徒から嫌われていた。いや、嫌われていたというよりも、気味悪がられていたという方が正しいのかもしれない。モジャキチは、なにか得体がしれないのだ。これまで出会ってきた先生とは、何かが違う。その違いを子どもながらに感じ取るのだが、それをどう解釈していいのか分からなかったからかもしれない。とにかく子どもの僕たちにとっては、不気味な存在だったのだ。
僕の学校では、小学校3年生まで図画工作は担任の先生が教える。4年生からは担任の先生ではなく、専門の先生が教える。その専門の先生が、モジャキチというわけだ。モジャキチに教わるようになってからは、いつもの教室ではなく、絵画室で授業を受けていた。そのすぐ横には、絵画準備室があって、授業の材料やモジャキチの私物も置いてある。通常、ここには生徒は入れない。しかし、何かの拍子に絵画準備室に入ったときのこと。入り口近くにモジャキチの作業机があり、机の上にあるものを見たときに、僕は驚きとモジャキチの不気味さを実感した。机の上には、生命を失った雀の死骸が2羽並べられていたのだ。それだけではない。トンボやカマキリ、モンシロチョウなどの昆虫の死骸も置いてある。
「……」
机の上に死骸が並べられているという衝撃に言葉を失い、用件もそこそこにその場を立ち去った。僕にとって絵画準備室は、お化け屋敷以上の不気味さを感じる場所であり、モジャキチは本当に不気味な存在だったのだ。
モジャキチの指は、いつも汚かった。爪だけではなく、来ている服も煤で汚れている。服も野暮ったく、おしゃれとは遠くかけ離れた装いだ。とにかく、汚らしい。僕はそう感じていた。しかも、彼女はその汚れた外見を一向に気にすることがない。
「もっとキレイにすればいいのに……」
僕は、子どもながらにそう感じながら、モジャキチに近づくと僕も汚れるような気がして、あまり近づかなかった。
そんなある日、友人から衝撃的な言葉が発せられた。「モジャキチは優しい」と。友人が例の絵画準備室へモジャキチに用があっていったところ、モジャキチが飴をくれたというのだ。飴をくれたから優しい人だと思うのは、そこは小学生だ。しかし、これまで全く見えなかったモジャキチの人間としての顔が見えたような気がした。相変わらず飴を差し出したその指は汚かったし、飴の包み紙も汚れていて、飴も少し溶けていたらしい。が、そんなことは関係なかった。友人がモジャキチの優しさに触れ、その話を聞いた僕もモジャキチの優しさに触れた気がしたのだ。
それから数か月後、僕はモジャキチを好きになる日がやってきた。その日は、担任の先生とモジャキチが引率し、学校近くの雑木林に写生に行った。その雑木林は何度も行ったことがあって、その中に僕の好きな1本の樹木があり、それを書こうと決めた。その樹木は、ウロが特徴的で僕はウロを中心に写生をしていく。写生時間が終了し、担任に見せたところ、冷たい目で僕を見ながら一言。
「雑な絵だねぇ」
ショックである。
僕は別に手を抜いたつもりはない。確かに上手ではないのは認めるが、雑と言われたのは本当にショックだし、悔しかった。担任の言葉に納得できない僕は、同じ絵をモジャキチに見せに行った。すると、モジャキチ。
「おぉ!これは、良いねぇ!素晴らしい!良く描けてるよ!」
凄い褒めてくれた。特に何が良いとかは言わない。が、とにかく褒めてくれた。もしかしたら絵としては褒める点はなかったのかもしれない。絵を頑張って描いたってことを褒めただけかもしれない。それは、モジャキチにしか分からないが、とにかく僕は嬉しかった。「雑な絵だ」と言われた後だったからなおさらだ。そのモジャキチの優しさに触れ、僕はモジャキチを好きになった。
それからしばらくして、僕はモジャキチがなぜあんなに汚れているのかが分かった。彼女の汚れには理由があったのだ。彼女の汚れの原因は、版画。彼女は、版画をよく手掛けるのだ。彼女の汚れは、版画のインクによる汚れだった。版画を彫り、インクで刷る。そのインク汚れで指も服も汚れているのだった。そして、絵画準備室にあった様々な死骸。あれらは、細かいデッサンをするために、収集してきたものだということも分かった。それまでの僕は、彼女のことを死骸を集める不気味で不潔な変人だと思っていた。しかし、違った。彼女は、アーティストだったのだ。アーティストだから死骸を集め、アーティストだから身なりが汚れていったのだ。
大人になって思うことがある。アーティスト含め、本当にやりたいことをやっている人は、生き方に芯があると。自分の本当にやりたいことをやっていると、周りの声に振り回されず、常識にもとらわれない。自分を満たしているため、他人に優しくする余裕もある。モジャキチがまさにそんな人だ。確かに、傍から見たら変人に見えるし、誤解されることも多い。しかし、誤解はやがて解かれ、ファンになっていくのだ。本当にやりたいことをやるということは、生き方に芯を持たせ、自分だけでなく周りの人も幸せにしていく。そんな生き方のように感じる。モジャキチもきっと、自分のアートで多くの人に幸せを配っていることだろう。そんな生き方を僕もしていきたいものだ。
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