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メディアグランプリ

「つながりまくる」から手ぶらになった日のこと


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:Hanao(ライティング・ゼミ日曜コース)

 
 
「紙で出しましょうか?」
 
空港で航空券のQRコードをiPadで表示したとき、チェックインカウンターで笑顔のお姉さんにそういわれた。バーコードリーダーに「ピッ」とするには、9.7インチのiPadは巨大すぎる。それをやっている自分を想像するとなんだかおかしくて自分のことが笑えてきた。
 
先月、東北の田舎に帰省した時のことだ。
 
楽しく連休を過ごし、東京に帰る日は母に車で空港まで送ってもらった。雪も降らず、快晴で空港には出発の1時間前に到着した。iPhoneのWalletに航空券を登録していたので、それをカバンから取り出そうとしたとき、実家に忘れてきたことに気が付いた。
 
「取りに帰ろうか……?」
 
母が不安そうに言った。でも若くない母に急いで車を運転させて事故でも起こしてしまったら、どうしようもない。頭をフル回転させて、すべての情報を同期しているiPadを持っていることを思い出した。Wi‐fiがつながれば、なんとかなるはずだ。私は空港のWi‐fiにiPadを接続し、航空券のバーコードを表示させると、カウンターで冒頭のことを言われた。そうして、久々に紙の航空券で飛行機に乗った。
 
そしてここから約一日iPhoneのない、強制的なデジタルデトックスがスタートした。
 
羽田には予定通り1時間で到着した。
 
帰りのバスの時間を調べようと思ったとき、「あ、そういえばiPhoneないんだ」ということに改めて気が付く。
さらに、iPhoneのケースにSuicaも一緒にしてあったので、交通系のICカードも持っていないことになる。
 
少しの時間、ショックから立ち直れなかったけれど、もうどうしようもない。
バスの時間は案内の画面表示を見て調べ、ここでも紙のチケットを買って、バスに乗った。
 
普段はバスに乗っても、iPhoneの画面を見ていることが多かったけど、その日は晴天と窓の景色を見ながら過ごした。飛行機にのる時は何度も通っている道なのに、見た記憶のない看板や、面白い建物、風景。道路の標識が目についた。歩く人を見て人間ウオッチングも楽しんだ。
 
「このルートを通ると、あそこに行くんだなー」とか、「雲のかたちが面白いなー」とか、「あの親子、喧嘩してるのかな?」とか。
自宅に戻って、ちょっと買い物に出かけようとしても、慣れとは恐ろしいもので、思わずiPhoneを探してしまうし、電車の時間も調べようとする。持っていないということを自分のからだが認識するまでに時間がかかった。
でも、待つといっても大した時間じゃないから電車は駅に行って待てばいい。わざわざPCを開いて調べるほどでもない。徐々にそんなふうに開き直り始めた。
 
そういえば、昔、わたしは時計をする習慣がなかったから、街なかにある時計を探すのが得意だったことを思い出した。駅やコンビニ、ちょっとした商店。よほどの住宅街でない限り、どこかしらで時間はわかったし、どうしようもないときは、通りかかった人に話しかけて時間を教えてもらったりした。ほとんどの人は、時計の文字盤を見せてくれながら「〇時ですよ」と親切に答えてくれたものだ。それは、日常の中でちょっとだけ心が温まる瞬間でもあった。
 
いまはもう、みんな携帯を持っているから、そんな会話もなくなってしまった。つながらなかった時代は、そうやって人と話すことも多かった。当時は営業職だったから、アポイントは電話でとっていて、「人と話をして」約束をしていた。そんなこともふと思い出した。
 
ネットでつながりまくる世界から少しだけ離れたことは、かばんを持たずに家を出てしまったような手ぶら感に似ていた。ちょっと不安だけど、でも、なんだか身軽で開放感にあふれ、スキップしたくなるような気分。
それはすっかりデジタルに埋没してしまっていた私が、何かから解放されたような瞬間だった。
 
よくよく考えてみると、電車の時間を調べるということは、その時間に支配されるということだ。
そして、SNSを見ないということは、自分以外の人の行動を(良くも悪くも)想像しないということだ。
 
つながることは、もちろんいい面もたくさんある。だけど、強制的なデジタルデトックスは「つながりまくる」世界から距離を置いて、他者を気にせず、自分が見たいと思うものを選べる世界に連れて行ってくれた。
 
そういえば、最近、マインドフルネスという言葉もよく聞くようになった。
これは「今この瞬間に起こっていることだけに集中する」ということらしい。
 
この言葉が注目されるようになったのも、きっと人々が「つながりまくる」ところから抜け出したい、と心のどこかで思っているからなのだと思う。願望は、おのずと表に出るものだから。
 
じぶんの心を時には「つながりまくる世界」の外側に置き、少し離れてみる。
手ぶらの世界は、普段見ていなかったものや、見えていなかったものが突然目に飛び込んでくる。
そして、余計なことを考えず、ただ目の前にあることに集中できるようになる。
私がバスの中で外の風景を見ていたように。電車を待つときは、電車を待つことだけに集中していたように。
 
 
翌日には、iPhoneが無事に実家から届いた。
その宅配便の箱を見ると「ホッ」としたのは正直な気持ちだったけれど、それと同じくらい
あの手ぶらの身軽さと開放感がなくなってしまう切なさが私の中を通り過ぎて行った。

 
 
***

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2018-12-05 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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