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何か忘れていませんか


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記事:原雄貴(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
置き去りにされた。
誰にされたのかは、分からない。
置いていかれたことに、誰も気がついてくれない。
でも、何もしゃべらず、ただじっとしているしかない。
何か言いたげな表情を浮かべながら。
 
「ありがとうございました」
今日もイベントを終えた人が帰っていく。
今年の春から、僕は新たにアルバイトを始めた。
基本的には、共用施設の事務所で正職員の代わりに留守番をする仕事だ。
事務所では、一人で留守番をすることが多いが、施設でイベントをやるときは部屋の外が賑やかになる。
僕は、賑やかな雰囲気が好きなので、事務所で一人留守番をするのも悪くない。
でも、施設でのイベントが終わると、途端に静かになる。
イベントが終わるのは、大抵は夜暗くなってから。
シーンと静まり返った施設で、一人で退勤時間が来るまで片付けと留守番をする。
毎回、この繰り返しだ。
 
そんなある日のアルバイトでのことだった。
その日も、イベントが終わって片付けをしていた。
退勤の確認をして、帰り支度をしようとしたとき。
事務所のすぐ隣にある台所で、一人寂しく座っている「もの」を見つけた。
そこにいたのは、電気ケトルだった。
見ると、中にはお湯が入ったまま。
施設の利用者が電気ケトルを使って、お湯を廃棄せずに帰ってしまったのだろう。
お湯の残った電気ケトルを、僕はしばらく眺めていた。
電気ケトルは本当に寂しそうに座っていた。泣いているようにも見えた。
もちろん、何かしゃべるわけではない。
でも、電気ケトルは無言で伝えていた。
「置いていかれたの」
電気ケトルは、相当なエネルギーを使ってお湯を沸かす。
誰かのために、一生懸命に沸かした。
なのに、感謝されるどころかお湯を残されたまま放置された。
そして、この寂しそうで悲しげな姿だ。
「かわいそうだ」
僕は、そっと電気ケトルに近づくとお湯をシンクに流した。
お湯がなくなったのを確認してから、洗浄してあげた。
中がきれいになったところで、電気ケトルを所定のところに戻す。
電気ケトルは、少しいい表情になったような気がした。
そんな電気ケトルを見ながら、僕はあることを思い出していた。
幼少の頃に聞いた「忘れられたおもちゃ」の話だ。
 
ある家に、子どもに懐かれていたおもちゃがいた。
おもちゃは子どもと毎日のように遊び、幸せな日々を送っていた。
ところが、あるときから子どもに遊んでもらえなくなった。
おもちゃはなぜ子どもが遊んでくれなくなったのか、理由がよく分からないまま、部屋の隅や物置などで寂しい生活を送ることになる。
そして、最後には物置の中で、そのおもちゃの魂が天へと昇っていき、おもちゃは跡形もなくなる。
 
忘れられたおもちゃは、何を伝えようとしていたのだろうか。
人によって意見は様々だと思う。
でも、もしかしたら、忘れられたおもちゃは、「やりっ放し」の結果がどうなるのかということを教えてくれているのかもしれない。
よくよく考えてみると、僕らは日常で様々な「やりっ放し」をしているような気がする。
ごみの不始末や電気のつけっ放しといったことから、仕事のやりっ放しや失敗の不始末に至るまで。
人は様々な「やりっ放し」を起こす。
ごみの不始末は、悪臭や景観悪化などで他の人の迷惑になる。自然環境にも悪影響が及ぶ。
電気のつけっ放しは、エネルギーの過剰消費を引き起こす。そして、人が生きるのに必要な地球環境を悪化させる。
仕事のやりっ放しは、関係する人の仕事が進まなくなって迷惑がかかる。
失敗の不始末は、周りの人の信頼を失う。場合によっては、社会からの信頼と自分の仕事をなくす。支えてくれていた人達も失意と怒りの思いで離れていく。
僕自身も、今までの人生で様々な「やりっ放し」をして、苦い思いをしてきた。
やりっ放しが原因で、自分を支えてくれていたものが失われたこともあると思う。
まるで、倉庫から人知れず消えていった「忘れられたおもちゃ」のように。
自分を支えてくれるものは、最後まで大切にしなければいけない。
 
「やりっ放しは、本当に良くないね」
きれいになった電気ケトルを眺めながら、つぶやいた。
恥ずかしいことに、自分も「やりっ放し」がどういう意味なのかを深く考えたことがなかった。
今日、電気ケトルがこうして置き去りにされていなければ、何も気がつかずにいたかもしれない。
「大事なことを教えてくれてありがとうね」
電気ケトルにお礼を言いながら、僕はまた帰り支度をはじめた。
 
それから数週間後、僕はまた施設の片付けをしていた。
一通り終わったところで事務所に戻ってくると、台所が目に入った。
思わず、電気ケトルのことを思い出した。
「利用者さん、今日も電気ケトルを使っていたな。大丈夫だろうか」
シンクの周りをよく見てみる。
すると、電気ケトルはきれいに洗われて、所定のところにあった。
「よかった」
何でもないような光景に、僕はすごく安堵していた。
「今度はきれいにしてもらえて良かったね、電気ケトル」
気のせいか、電気ケトルがほほ笑んだように見えた。
 
***

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2018-12-05 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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